間章 マーリン――ある魔術師とベドウィル・トゥルブ(52歳)の邂逅(1)

 マーリン、またはマーリン・アンブロシウス……言わずと知れた偉大なる魔術師にして、ウーゼル・ペンドラゴン、アーサー親子二代の王を導き、王国を影から支えたアーサー王伝説における最重要人物である。


 アーサーがこの世に生を受けたのも、彼がブリテンの王になったのも、エクスカリバーを湖の貴婦人から手に入れさせたのも、すべてはマーリンの御膳立てによるものだ。


 そればかりか、彼はランスロットが偉大な騎士になること、グウィネヴィアとモルドレッドが裏切ることなどを予言し、そのすべてを的中させた偉大な予言者でもある。


 妖妃モルガンやガラスの塔を彼に送ったフロルディア、新たな湖の貴婦人となるニムエ(ヴィヴィアン)などの魔女に魔法を教えたのもマーリンで、その最後はまだアーサー王の宮廷が絶頂を迎えている時期に、彼が愛し、自分の持てる術のすべてを授けた弟子のニムエに裏切られ、樹の根の間にある洞窟(水晶や空気の洞窟とも)に閉じ込められて、この世から姿を消す。


 そんなアーサー王伝説に欠くことのできぬ登場人物マーリンであるが、この人物についても、アーサー王と同じくらい多くの者にその実在が信じられ、反対の否実在も含めて、史実の彼を探究するいくつもの説が語られている……。


 古くウェールズの詩にも『プリディ・アヌウン』を書いたとされる6世紀後半の吟唱詩人タリエシンとの関係を主張して出てくるのだが、最初に詳しく取り上げたのは、こちらもアーサー王同様、あのジェフリー・オブ・モンマスである。


 そのジェフリーの生きた12世紀、マーリンはブリテンの未来を正確に言い当てる予言者として名を知られていたらしく、実は『ブリタニア列王記』を書く以前にジェフリーは『マーリンの予言』なる本も著しており、これが後に『列王記』に組み込まれることとなるのだが、本人の言によると「これは創作ではなく、 ブリテン語をラテン語訳したもので、原本はおそらくマーリン自身の執筆である」のだという。


 そして彼は、さらに『列王記』後のマーリンの冒険を描いたラテン語の長編詩『マーリンの生涯』も著している。


 こちらは『列王記』で用いた伝承とは別の、新たに発見したウェールズにおける〝森の野人〟としてのマーリンの伝説をもとにして書かれ、予言に関しては『列王記』と同じく12世紀の英国とフランスで現実に起こった出来事に関連づけて語られるが、タリエシンや魔女モルゲン(後の妖妃モルガン)なども登場し、アーサー王がいなくなった後、マーリンとタリエシンを会わせて「最後の戦いの後、アーサー王は林檎の島――〝アヴァロン〟へ運ばれて行った」というような話をさせている。


 だが、この二つの著書を跨ぐマーリンには多少の時間的矛盾がある。


 『ブリタニア列王記』のマーリンは遅くともアーサーがカムランの戦いで亡くなる遥か以前、6世紀前半に姿を消しているのに対し、『マーリンの生涯』ではタリエシンの生きた6世紀後半の出来事にマーリンが関わっているのだ。それが一人の人物の業績だとすれば、彼の年齢はかなりのものになってしまう。


 この矛盾に対し、ジェフリーは「長く生きて、多くのものを見た」とマーリン本人に語らせているが、どうやら彼はネンニウスの『ブリトン人の歴史(ヒストリア・ブリトヌム)』に登場する八、九世紀頃にウェールズの伝承で語られていた〝少年予言者アンブロシウス(ウェールズ語ではエムリス)〟と、タリエシンと同じ六世紀後半の〝北部の吟唱詩人ムルジン(あるいはミルディン)〟という一世紀以上も隔たりのある二人の人物を合体させ、ラテン語名〝メルリヌス〈Merlinus〉〟――即ちマーリンとしたらしい。


 ちなみに本来、ムルジンをラテン語風にするとしたら〝メルディヌス〟だが、これはフランス語で〝メルド=糞〟を連想させるので〝メルリヌス〟にしたようだ。


 そのマーリンのモデルの片割れアンブロシウスは、夢魔インキュバスもしくは悪魔によって母親が身籠った少年とされ、生まれてすぐに高僧から洗礼を施されたので悪の心に染まることはなかったが、父親の魔力を受け継いだために予言の力を持っていたのだという。


 アーサーの父ウーゼルがまだ若かりし頃、ブリテンの王位を簒奪した僭主ヴォーティゲルンが城砦の塔を築こうとしたところ、何度作ってもなぜか塔は崩れてしまった。


 そこで魔術師に占わせてみると「人ではない者から生まれた子供の血を基礎に撒くとよい」という結果が出たので、まさにそういう子供であるアンブロシウスが探し出され、塔の建設現場へ連れて来られて殺されそうになった。


 ところが、アンブロシウス少年は恐れることなく「この塔が崩れるのは地下に水溜まりがあり、そこにいる二匹の龍が喧嘩しているからだ」と反論し、ヴォーティゲルンが半信半疑のまま塔の下を掘らせてみると、まさに紅白二匹の龍が出てきて互いに争っている。


 それを見て驚くヴォーティゲルンに、少年は「赤い龍はブリトン人、白い龍はサクソン人であり、この争いはコーンウォールの猪が現れ、白い龍を踏み潰すまで終わらないだろう」と予言したという。


 この〝コーンウォールの猪〟とはアーサー王のことであり、この予言はつまり、アーサー王がサクソン人を討ち破ることを表しているとい訳だ。


 その後、この功績により、アンブロシウスはヴォーティゲルンからこの城砦を与えられ、ディナス・エムリスと呼ばれるようになったとジェフリーは言っている。


 一方、もう一人のモデルであるムルジンはというと、例の正気を失って森に迷い込んだ野人のムルジンで、10世紀半ばのダヴェッドの聖職者の手による『ブリテンの偉大な予言者アルメス・プリデイン・ヴァウル』という書物には、「彼らがアベルーペリゾンで大王の家来達に出会うことをムルジンは予言する」とあり、その頃にはもう予言者としてその名が知られ始めていたようだ。


 同様の森に迷い込んだ野人の話にスコットランドの〝ライロケン〟もあるが、この名はウェールズの詩において〝ラロガン〟もしくは〝ララウク〟という形でムルジンという名の形容語句として使われており、ウェールズ語で〝ラロガン〟は〝親友〟を、〝ライロケン〟は〝双子〝を意味する言葉に似ていることから、ジェフリーによるマーリン複合説を否定し、本来、カレドニアの森に逃避した吟唱詩人ムルジンという一つの物語だったものが、ライロケンという名に置き換えられた物語と、ウェールズに伝わったムルジンの物語の二系統に分かれ、この二人の人物が本来同じであることを発見したジェフリーが二系統の物語を再統合して『マーリンの生涯』を書いたとする説もある。


 また、類似するアイルランドの伝承から、ムルジンがケルトの魔術師―—おそらくはブリテン島最後のドルイド僧やケルトの神マポノスの預言者であった可能性を指摘する者もいる。


 このマポノス神は『パ・ギール』に登場するモドロンの息子マボン、『キルフフとオルウェン』において生後三カ月で誘拐され、ケイとベディヴィエールに助け出されるマボン、クレティアンの『エレックとエニード』のマポマボナグランなどと同一の者と考えられている存在だ。


 これらの実在の人物にモデルを求める説に対して、やはりアーサー王と同様、人間ではなく神や星に由来するとする説もある。


 一説にマーリンは妹のガニエダ(古くはグェンディド)との双生児とされるが、マーリンは男性神=暮れの明星、妹のガニエダは女性神=明けの明星であるとする者もあるし、妻のグェンドロナが他の男と再婚すると知ったムルジンは、鹿に乗り、大群の鹿を引き連れて結婚式に現れ、鹿の角を投げつけてその男を殺すなど牡鹿との縁が深いので、角を生やしたケルトの神ケルヌノスとの関係を示唆する者もいる。


 最後にもう一つ付け加えると、このマーリンという人物は、現在のカマーゼン―ウェールズ語で〝カイルヴルズィン〟、ケルト語で〝マリドゥノン〟と呼ばれた都市と関係付けて語られることが多い。


 ジェフリーはこのマルドゥノンの出身者だったから少年予言者がムルジン(マーリン)と呼ばれるようになったとしているが、他の文献の多くはその逆で、カイルヴルズィンとは〝ムルジンの要塞〟を意味し、ムルジンの建てた町なのでそう呼ばれるようになったと言っている。


 だが、11、12世紀の詩集『ブリテン島の三題歌トリオイズ・イニス・プリデイン』によると、〝カイルヴルズィン〟とは元来〝クラス・ムルジン=ムルジンの牧草地〟を意味し、古くはブリテン島の名称として用いられていたとある。


 そうなると、予言者も町もブリテンそのものの名称にちなんで名付けられたということになるが、そのまた逆にブリテン島がマーリンという神のものであったからそう呼ばれたと取ることもでき、マーリン神説の根拠ともなっている。


 こうして延々と語ってもなお深い霧の中からその正体を現さぬ、アーサー王以上に謎多き魔術師マーリンであるが、私が出会ったあの男もまさに彼のような予言者であった……。

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