間章 マーリン――ある魔術師とベドウィル・トゥルブ(52歳)の邂逅(2)

 あれは八月にしては肌寒い、ある小雨の降っていた夏の日、私が放浪の果てに辿り着いたウェールズのカマーゼン……そう、奇遇にもかの地の森の中でのことだ。


 あの頃の私は野人ムルジンの如く精神に異常をきたしていて、記憶は朧げであったり、途切れ途切れであったりするのだが、この日のことだけはなぜか鮮明に憶えている。


 その時、突然降り出した雨にどこか非難できる場所を探して、私は小道の方へと木影から出て行こうとしていた。


 すると、路上には先客がいたのだが、その男の姿に私は思わず息を飲んで足を止めてしまった。


 彼はまるで魔術師かドルイドのように、その身に暗灰色のローブを纏い、頭からすっぽりとフードを被っていたのだ……いや、今から冷静になって考えてみれば、雨も降っていたことだし、レインコートかパーカを着ていただけなのかもしれない。


 だが、当時の私には、その男がこの森に住む魔法使いか何かのようにしか思えなかった。


 顔はフードの濃い影に隠れていてよくは見えなかったが、彼は時折しゃがんで地面の上を穿ったり、茂みの下草を持っていた杖で掻き分けたりと、歩きながら何かを探しているようであった。


 魔法のための薬草や鉱石でも探していたのだろうか? それとも、森に住む妖精でも見付けたのだろうか? あるいはカマーゼンの地に残るマーリンの魔法の痕跡を求めて、あの森の中を巡っていたのかもしれない。


 魔法で石にされた人間のようにその場で固まっていたせいか、幸いにも男は私の存在に気付くことなく、そうしてしばし様子を覗っている内に、いつの間にか灰色の魔術師の姿は森を覆う深い霧の中へと消えてしまっていた。


 男が見えなくなると、わたしは魔法が解けたかの如くようやく動き出し、ついさっきまで男のいた小道へと転がるようにして飛び出した。


 すると、雨に濡れた地面の上には、古めかしい茶色の革のカバーの付いた一冊の分厚い手帳がポツンと置かれている。


 状況から考えて、おそらくは男が落しいていったものだろう……。


 だが、その時のわたしには、追いかけて渡してやるようなまともな判断力はなく…否、もしあったとしても、あのこの世ならざる不可思議な雰囲気の中では、そうすることはできなかったことと思う……。


 ただ、人間が本能的に持ち合わせている純粋な好奇心のままに、私はその手帳を拾い上げると、留め金を外して、中身をパラパラと覗いてみた。


 そして、そこに書かれていた文面を見た時、私は身体を雷に貫かれたような衝撃を受け、そして、長らく失っていた正気を不意に取り戻したのである。


 それは私にとって、ある種の神秘体験と呼べるものだったかもしれない……。


 手帳に記されていたのは、アーサー王伝説に仮託した幾つかの冒険のリストだった。


 冒険といっても、伝説の中で騎士達が行ったような、巨人を倒したり、悪い騎士と一騎打ちをしたり、聖杯を探究したりといったものではない。


 もっと現実的な、より現代風な言葉でいえば、社会をあっと驚かせるような犯罪の計画である。


 だが、そこには無機質な犯罪ではない遊び心があり、それらのすべてがアーサー王伝説で語られる人物や出来事に関連付けて計画されている。


 そのことを考えるだけで、なんだか胸がわくわくしてくるような代物だ。


 気が付くと、私は夢中になってその手帳のページを繰っていた。


 採用されている各種伝説の中にはかなりマニアックな知る人ぞ知るようなものもあったが、私は大学在学中、中世英文学を専攻しており、特に卒論ではアーサー王伝説について書いたりもしたので、記されている内容はすべて理解することができた。


 しかも、その冒険のリストは、ただのリストではなく、円卓の騎士の生まれ変わりである者達を集め、それを組織して新たな円卓の騎士団を結成し、さらに大規模な冒険を行っていく……というように、順を追って発展的に記されている。


 計画は途中までしか書かれていなかったが、まるでアーサー王の王国が―キャメロットが出来上がって行く様を見ているようである。


 その内容に、私にはそれが〝予言の書〟であるように思われた……これから私が成すであろう、未来の冒険について書かれた予言の書であると。


 そう……これは、先程見たあのマーリンのような魔術師が置いていったものだ……それに円卓の騎士の末裔という自分の出自からしても、私がこれを拾ったのがただの偶然とはとても思えない……きっとこれは、かの魔術師にして大予言者マーリン・アンブロシウスが私に与え賜うた〝マーリンの予言書〟であるに違いない。


 いや、それだけではない……私は与えられる以前に、むしろ私の方からこの予言書を欲していたような気がする……。


 正気を取り戻すと、すっかり忘れ去っていた人間らしい感情というものも徐々に蘇って来る……私を騙し、私からすべてを奪ったアダムスが憎い。ヤツに復讐がしたい……否、ヤツばかりでなく、私をここまで追い詰めたこの世界すべてに対して復讐がしたい……。


 そうだ、そうなのだ。このどこに向ければいいのかわからない、もやもやとした恨みや鬱屈を解き放ってくれるものとして、私はまさにこのマーリンの予言書を心の奥底でずっと求めていたのである!


 これを期に〝社会への報復〟という新たな生きる目標を得て生まれ変わった私は、予言の遂行のために動き出す。


 まずは逃げ出した精神病院へと戻り、入院治療を行う振りをして、そこで催眠やマインド・コントロール、心理学などの計画に不可欠な知識と技術を貪欲に吸収していった。


 その三ヶ月の間には、他にも男女の恋愛や戦術、裏社会の商売等、必要と思われる様々なジャンルの書籍も読み耽り、マーリンの弟子となったニムエやフロルディアのように熱心に学んだ。


 剣術や馬術、射撃といった騎士が身に着けるべき技術に関しては多少の憶えがあったので、ゼロから始めなく良かった点は時間的に大いに助かった。


 その後、あっと言う間に月日は過ぎ、すべての準備が整った11月末、私はめでたく退院し、円卓の騎士達を集めるべく、ロンドンの一角に恋愛カウンセリングの診療所を設けて翌一月に開業した。


 開業資金は妻の実家に頭を下げて借りたが、その後、たっぷり利子を付けて返してやったので、向こうとしてもむしろありがたかったろう。


 そして、私ことベディヴィア・トウゥルブ改めベディヴィエール卿と〝マーリンの予言書〟による新生円卓の騎士団の冒険は、ついにその幕を切って落したのである……。

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