ⅩⅤ アーサー王の帰還(4)

 それより数時間の後……。


「何度も訊くようですまないが、やはり、そのマリアンヌを名乗った女の顔はわからないのだね?」


 タイル舗装の街路を歩きながら、辺りの建物に目を配りつつマクシミリアンは尋ねる。


「はい。暗がりでよく見えませんでしたし、ヤツらはモルガン・ル・フェイと呼んでいましたが、確かに魔女というか、まるでサーカスの曲芸師のように飛び回りますので……それに、お恥ずかしながら、わたしもその時は自分の身を守ることに必死で……」


 その隣をいつものように付き従いながら、ジェニファーが神妙な顔つきで答えた。


「いや、君を責めるつもりはない。これまで噂でしか聞いたことのなかった彼女の姿を実際に目にしただけでも大収穫だ。しかし、本当にドラクロワの〝自由の女神〟の格好をしているとは、どこまでもふざけた女だな……」


 申し訳なさそうに謝るジェニファーに、マクシミリアンは彼女の方へ目を向けることもなく、なおも周囲に探りを入れながら返事を返す。


「それと、ベイリン卿と呼ばれていた黒尽くめの大きな剣を持った男か……」


 ジェニファーから聞かされたマリアンヌと一緒に乱入して来たという賊の話に、マクシミリアンはふと、あのストーン・ヘンジで出逢った男女の姿を思い出す。


「いや、これはただの思い込みだな……ともかくも、まずは新生円卓の騎士団の行方を追うのが先決だ。あの女怪盗もきっとまたそこへ姿を現す」


「はい。そうですね……」


 なぜか脳裏に浮かんだ連想を振り払うかのようにして言うマクシミリアンに、ジェニファーも沈んだ声で答えると周囲に視線を走らせた。


 二人は今、地元警察やスコットランドヤードの警官達とともに、朝のウィンチェスター市街を行き交う一般人達に混じって、新生円卓の騎士団のアジト〝ティ・グウィディル〟の場所を探しているのである。


「だが、ここにしろ、サウサンプトンの港にしろ、手配がすんだのは結局、こんな時刻だ……昨夜もそれで取り逃がしたが、今度ももう手遅れかもしれない……」


 苦々しげにマクシミリアンの嘆く通り、上を納得させるのにかなりの時間を要し、そのために決定的な犯人逮捕のチャンスを逃しはしたのの、昨夜のティンタジェルの一件で、ついに英国警察も彼の意見を受け入れ、一連のテロ事件の容疑者を新生円卓の騎士団と判断して捜査に乗り出したのだった。


 今回は地元コーンウォールの警官達も重武装した騎士の姿をその目で実際に見、さらには豹に襲われて大怪我をする者も出ていたし、それにもまして潜入捜査をしていたマクシミリアンとジェニファーの証言が上層部の考えを改めさせる大きな要因となった。


 ただし、独断でそのような行動をとっていた二人はスコットランドヤードの捜査本部から猛烈に抗議とお叱りを受けることとなったが、それにはマクシミリアンの〝怪盗マリアンヌに関する捜査〟という大義名分が大いに効果を発揮した。


 その方便として、「マリアンヌ捜索のために潜入した先が偶然にも今回のテロ事件の容疑者達のもとだった」とマクシミリアンは主張したが、彼はマリアンヌの逮捕に限定してであれば、いかなる国においても捜査権をICPOより認められていたし、ジェニファーは彼の補佐を上から命じられていたので、その命に忠実に従っただけだと言い張れば、一応の筋は通るのである。


 もちろん、いい顔はされなかったが……。


「………………」


 自分には目をくれることもなく歩くマクシミリアンの顔を、ジェニファーは懺悔と感謝のない交ぜになったような複雑な感情を抱きながらちらりと見上げる。


 彼女は昨夜、自分とランスロット卿――ジョナサン・ディオールとの関係についても、観念してマクシミリアンに洗いざらいすべてを白状した。


 それはティンタジェルで起きたことを説明するのに避けては通れない道ではあったが、それを上に知られれば、彼女の刑事生命を今度こそ完全に終わらせるような一大スキャンダルでもあった。


 ところが、予想外にもマクシミリアンはそのことだけはうまいこと伏せて、捜査本部に報告してくれたのである。


 生真面目で、仕事に情けを挟む余地など一切ないと思っていた彼がそんなことをするとは、はっきり言って意外だった。


 だが、そのおかげで、こうして自分はまだ刑事としての仕事を続けられている……意外な優しい一面を見せた、この男の端正な顔立ちを見つめていると、何か、仕事仲間としての尊敬や感謝の念とはまた違う、異性としての感情がやんわりと込み上げてくる……。


「……ん? 何か?」


 自分を見つめる視線に気付き、マクシミリアンはいつもの冷淡な表情を向けてジェニファーに尋ねる。


「い、いえ、別に。な、なんでもありません……」


 ジェニファーは乙女のように頬を染めると、慌てて目を逸らし、気拙そうに言った。


「ん? あれは……」


 しかし、次の瞬間には何か別のものに気を取られ、マクシミリアンは通りの向こうに立つ一軒の建物の方へと足早に近付いて行ってしまう。


「ハァ……」


 助かったという思いで息を吐き、ジェニファーもその後を追った。


「ティ・グウィディル〈Ty Gwydr〉……ガラスの塔か……」


 ぼんやりと街の景色を映すガラスの壁面を見上げ、マクシミリアンは独り言を呟く。それは左右の煉瓦造りの建物に挟まれた、全面ガラス張りの特色ある建造物だった。


「留守か……」


 同じくガラスでできた入口のドアに手をかけてみると、しっかり鍵がかかっている。


 そのドアのガラス面には「有限会社KRT」と何をやっている会社なのかよくわからない社名が白い文字で書かれているが、建物の中に人の気配はなく、営業しているような様子もまるでない。


「……妙だな」


「どうかしたんですか?」


 マクシミリアンの隣に並び、一度、その美しいガラスの城を見上げてから、先程と反対にジェニファーの方が尋ねる。


「いや、このガラス張りの……おそらくは水晶宮クリスタル・パレスを模した建物は……」


「ああ、確かに綺麗ですよね。オーストリアではわかりませんが、昔、英国ではこうした建築様式が流行ったんだとか」


「いや、そうじゃない。ヤツらのアジトの名は〝ティ・グウィディル〟――即ち、ガラスの塔だ」


 勘違いした返事を返すジェニファーに、険しい表情でガラス壁を凝視したままマクシミリアンは言う。


「えっ! ……じゃ、じゃあ、ここが、新生円卓の騎士団のアジトだと?」


 今度はすぐにその言葉の意味を正しく理解し、それに思い到らず、呑気なことを言っていた自分の愚かさを恥じつつ、ジェニファーは声を上げた。


「その可能性はある……すぐにこの会社のことを調べてもらおう」


「は、はい!」


 言ってスマホを胸元のポケットから取り出し、素早くボタンを押して耳に当てるマクシミリアンに、ジェニファーも表情を引き締めて頷く。


 その30分程後、二人は地元警察とともにこのガラスの塔へと踏み込んだが、その時既に、中がもぬけの殻であったことは言うまでもない――。

 

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