間章 ランスロット卿――ジョナサン・ディオール(30歳)の回想(1)

 あの日、人生に打ちひしがれていた私は、なんとなく受けてみることにしたそのカウンセリングで、図らずも自らの宿命を知ることとなった……。


「――ジョナサン・ディオールさん……ですね。お仕事は元公務員と書かれていますが、具体的にはどのような?」


 目の前に座ったカウンセラーは、開口一番、私自身が書き込んだ簡単な問診票を眺めながら訊いてきた。


「………………」


 だが、カウンセリングを受けに来ておいてなんではあるが、わたしは頑なに沈黙を守る。


それについて多くを語れば、迷惑のかかる人間が出てくるからである。


「まあ、話したくないことは別に言わなくても結構ですので……それで、今はお仕事をされていないのですね?」


「え、ええ。半月程前に辞表を出して、その後はずっと……」


 僅かの間の後、訊き直したカウンセラーのその問いには、別に答えても支障はないので、今度は素直に本当のことを言う。


「なるほど……で、お辞めになった理由はやはり、あなたの抱えている〝その問題〟と関係があるのですね? つまり、〝お相手〟はその……職場関係の人だったと?」


「それは……」


 しかし、続くその質問に、私はまたしても口籠ってしまう……いや、問診票には肝心なことをすでに書いてしまっているし、このカウンセリングを受けようと思ったら、そこだけはどうしても避けては通れない部分なのであるが……。


「ディオールさん。何も隠すことはありませんよ? 私はこれまでにも同じような悩みを抱えた方々を何十人と見てきています。誰しもよくあることなんですよ」


 その、どこか気品漂う顔立ちをしたカウンセラーは、口を噤む私を優しくそう諭す。


 歳は私より少し上くらいだろうか?対面した者に安心感を与える、穏やかな雰囲気を盛った英国紳士である。


「……その通りです。部署は違いますが、相手は職場の同僚でした。しかも、彼女の夫は私の直属の上司です。言うまでもなく、上司の妻との不倫が明るみに出れば、それは身の破滅を意味します。ですが、私は……私は自分の思いを止めることが、どうしてもできませんでした……」


 私は言い淀みながらも、意を決して事実を隠さずに語り出す。


「なるほど……それで、お仕事をお辞めになったのですね?」


「はい……しばらくは隠し遂せていたのですが、ついに彼女の夫の知るところとなって……別に法の上での罪を犯したわけではないですし、表だって処分されるようなことはなかったのですが……その、やはり、いづらくなって……勿論、彼女の夫もこのことは秘密にしていましたが、同僚達は薄々感付いていましたからね」


「それは確かにお仕事を続けていくには辛い環境ですね……そのお相手の女性も、やはり、ご一緒にお辞めになって?」


「いいえ。彼女は残りました。体面を気にする夫とも離婚することなく……ま、もう皆知っていることですから、今更、体面も何もないんですけどね。でも、彼女は私よりも社会的地位のある夫と、そして、仕事を選んだんです。彼女は仕事が生き甲斐でしたから。辞めたのは……私との関係の方です」


「それでは、その方との関係はもう完全に……」


「ええ。終わりました……」


 そう答えかけた私だったが、すぐに言い直す。


「いや、終わったはずでした……ですが、どうしても忘れられないんです。もう、あれ以来ずっと会っていませんが、今でも彼女を愛おしく思っています」


「なるほど。それがあなたを苦しめている悩みなのですね……」


 わたしの告白にカウンセラーは頷くと、何か思うところでもあったのか不意に押し黙る。


 再びしばしの沈黙……しかし、次にその口が開かれた時、どういうつもりかカウンセラーは、まるで関係のないような質問を私にしてきたのだった。


「……ところで、今はロンドン市内にお住まいとのことですが、ご出身はどちらで?ずっとこちらですか?」


「え? ……あ、いえ。湖水地方のグラスミアです…が、それが何か?」


「ほう……湖水地方ですか。それはまた風光明媚な良い所のお生れで……グラスミア湖といえば、かの有名な詩人ワーズワースの住んでいた……」


 訝しげに答えたわたしに、カウンセラーは意味ありげな笑みを口元に浮かべてさらに続ける。


「ええ。そこです。その田舎の小さな村で生まれ育ちました……といっても、父はフランス人なんですけどね」


「フランス人? ……というと、お母様の故郷がグラスミアなのですかな?」


「はい。父は小説家だったのですが、湖水地方を旅行で訪れた際に気に入って移住したらしく……ほら、ワーズワース以外にも、南西のウィンダミア湖畔には『ピーター・ラビット』の作者ベアトリクス・ポターの家があったりと、文学者には好まれる土地のようですからね……そして、その旅の途中、グラスミアの宿屋の次女だった母を見染めたというわけです」


 本題とはまったく関係のない話に不信感を抱きながらも、私はしばらく帰っていない故郷のことを思い出し、その懐かしさに思わず饒舌になっていた。


「なるほど。そうですか……時にディオールさん。剣術フェンシングや馬術をお習いになったこととかはございませんか?」


 そんな私に、カウンセラーはさらに奇妙なことを訊いてくる。


「剣と馬ですか? ……ええ。まあ、馬は子供の頃から。剣術(フェンシング)は学生時代にやっていなかったこともないですが……一応、地方の学生大会で優勝したこともあります」


 それでも奇遇というのか、それともそういう人間は意外と多いのか、多少なりとも憶えがないわけでもなかった私はそう答えたのだったが。


「やはり……これではっきりしました。あなたを苦しめている問題の原因が……それは、あなたの前世にあるのです!」


 彼は、普通聞いたら頭がどうかしているとしか思えないような、そんなとんでもないことを言い出したのだった。


「前世?」


「ええ前世です! あなたの前世はアーサー王の円卓の騎士の中でも〝第一の騎士〟と謳われた、かのランスロット卿だったのです!」


「は? ……それは、何かの例えですか?」


 当然、私はそれを鵜呑みにはしなかった。というより、彼が本気でそんなことを言っているなどと考えすらもしなかったのである。

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