間章 ガヘリス卿――ナンシー・ワトソン(16歳)の日記

三月二日(火)

 

 今、思い起こしてみても、あの日はわたしにとって、一生で一番の記念すべき日となったわ。


 だって、わたしは大嫌いな〝ナンシー・ワトソン〟という人生から解き放たれ、新しい〝わたし〟へと生まれ変わることができたんですもの。


 そう。わたしはナンシー・ワトソンとして生きる日々が嫌で嫌で仕方がなった。


 あの母から生まれたナンシーとしての人生が。


 わたしの母は……いいえ、ナンシーというこの時代での仮のわたしの肉体を生み出した人物は、とても汚らわしい人間だった。


 あの女は、お父さまとは違う男と関係を持っているばかりか、それをわたしやお父さまに知られても平気な顔をしていたのだから。


 学校が終わって家に帰ると、必ずと言っていいほど、家には見知らぬ男がいたわ。それも、その日によって違う男が。


 あの女は、常に男がいなくては生きてはいられないケダモノだったのよ!

 

 なんて不潔なんだろう!


 しかも、その男達はみんな、わたしのこともいやらしい目で舐めまわすように見つめていた。なんて汚らわしい連中なの!吐き気がするわ!


 それにお父さまもお父さまだわ。母の不倫を知っても、怒るでも悲しむでもなく、まるで関心がないように見て見ぬ振りをしていたのだから。


 銀行の支店長をしているお父さまは、事を荒立てて他人に恥をさらしたくないと、世間体ばかりを気にしていたのよ。そんなお父様だったから、あの女も他の男と浮気をするようになったのだと思う。


 でも、だからと言って母に同情する気になどなれない。わたしとお父さまを裏切ったあんな女に。


 お父さまと母の間には、もう愛なんていう感情は一切存在していなかった。

 そんな偽りの家族が住む家に帰るのは、わたしにとって苦痛以外の何ものでもなかったのよ。


 だけど、学校に行っている間も、わたしに安息を得られる時間なんてどこにもなかった。


 そう。わたしは、どうしても学校というものに馴染むことができなかったのね。


 クラスの中では目立たない存在だったけど、別にいじめられているわけでも、仲間外れにされているわけでもない。表面上はクラスメイト達と普通におしゃべりをしていたし、一緒にお昼を食べたりもしていた。


 でも、いつまで経ってもその輪の中に、本当の意味で溶け込むことはできなかったの。


 わたしの悩みを真に理解してくれる、心を許せるような友人は一人もいなかったし、何よりも、女の子特有のグループを作ってたむろする慣わしがわたしは嫌で仕方なかった。


 ある日、わたしが表面上属していたグループが、他のグループのリーダー的存在の子の弱みを握り、その子を貶めるために攻撃をしたことがあった。


 でも、わたしは別にその子に対して恨みはなかったし、そうした行いを卑怯だと感じていたから、他の子がみんなして彼女の悪い噂を流す中、わたし一人だけはそれに参加しなかった。


 そのことで、わたしがグループの者から何かされるということは特になかったけど、この出来事を境にわたしはますます周囲への不信感を募らせていったように思う。


 わたしは参加しなかったにも関わらず、その攻撃をされた子から、わたしも他の者達と同じように憎まれたことがさらにその感情へ拍車をかけた。


 そうしてわたしは、彼女達ともなるべく接触を避けるようになり、より一層、クラスの中で浮いた、影の薄い人間として生きていくようになった。


 母もそうだったけど、なぜ、こんなにも女というものは愚かな行為をするのだろう?


 なぜ、そうした不正義が、この世の中には蔓延っているのだろう?


 そんな苦悩と孤独の中にいたわたしを救ってくれたのは、偶然、訪れたあのカウンセリングのお店だった。


 あのカウセリングによって、わたしの苦しみに満ちた人生は幕を閉じ、希望に満ちた新たな人生……いいえ。真の人生が始まったのよ。


 あの日も、家にいるのが居たたまれなくなったわたしは、いつものようにロンドンの街へと出かけて行った。特になんの用事もなかったのだけれども。


 でも、それはきっと神さまのお導きだったのよ!


 その時、リージェント・ストリートをぶらぶらと歩いていたわたしは、ビラ配りをしていた人からあるチラシを受け取った。


 それは恋愛関係での問題を抱える人専門のカウンセリング・サロンのものだった。


 恋愛なんて、こんなわたしにはまるで関係ないと思われるかもしれないけど、実はそうでもない。


 といっても、同世代の女の子達が悩んでいるような、そんな悩みとは全然違う……むしろ、そこが問題だった。


 あんな母とお父さまの関係をずっと見てきたせいか、わたしには〝恋愛〟というものがまったく理解できなかった。


 なぜ、あんなにも異性を求めなければいられないのか?


 なぜ、他の女の子達は、あんなにも恋の話で盛り上がることができるのだろうか?


 そんな感情を理解できないことも、わたしが周囲から浮いていた原因の一つではあったんじゃないかと思う。


 だから、わたしは〝恋愛〟というものがいったいどんなものなのか? その答えが知りたかった。


 だから、わたしは思い切って、そのカウンセリングのお店に行ってみることにしたの。


 初めは期待などしていなかった。きっと、ありきたりなことしか言わないんだろうな、と思っていたわ。


 でも、わたしの質問に対するカウンセラーの答えはまるで想像していたものとは違っていた。


 わたしの悩みを聞いたカウンセラーは、突然、わたしの前世はアーサー王の円卓の騎士の一人、ガヘリス卿なんだなんて、とんでもないことを言い出したの。わたしが苦しんでいるのは、そのガヘリス卿の生まれ変わりであるせいなんだと。


 もちろん、最初に聞いた時にはバカにしてるんじゃないかと思ったわ。だけど、カウンセラーの――今では信頼する同志であるあの人の話を聞いている内に、そんな疑念もみるみるとなくなっていった。


 カウンセラーは、ガヘリス卿の母・モルゴースも不倫をしていたのだとわたしに語った。それも、自分の父・オークニーのロッド王を殺したペリノア王の息子・ラモラック卿と。


 その境遇は、わたしとまったく同じものだと思った。ガヘリス卿もわたしと同じように、母親に裏切られたのよ!


 また、ランスロット卿と不義を働いたアーサー王の王妃グイネヴィアが処刑されようとしていた時には、救出に来たランスロット卿によって、故意ではないにしろ、弟のガレス卿共々斬り殺されてしまったのだという。


 以前、彼に助けてもらった恩義を感じ、兄のガウェイン卿や義弟のモルドレッド卿がランスロット卿を失脚させようとした時には、それを拒絶して、彼を庇ったというのに。


 そんな、けして報われない彼の姿に、わたしはますます共感せずにはいられなかった。


 確かにカウンセラーの言う通り、ガヘリス卿の苦悩とわたしの抱えていた苦悩は同じものだったのよ。わたしと同じようにガヘリス卿もまた、この不正義に満ちた理不尽な世界の中で苦しんでいたのね。


 そこまで話を聞かされた頃にはもう、わたしもガヘリス卿が赤の他人であるようには思えなくなっていたわ。


 そして、カウンセラーが退行催眠で見せた遥か過去の記憶の中で、わたしは、わたしが昔、ガヘリス卿であった日のことをはっきりと思い出したの。


 そう。わたしはこの時、本当のわたしとして生まれ変わったのよ。


 〝偽りのわたし〟であったナンシー・ワトソンから、〝真実のわたし〟であるガヘリス卿へと。


 それにもう一つ。あの日を境に、とても素敵なことが起こったの。


 気の許せる友達や姉妹もおらず、ずっと孤独だったわたしにもお姉さまができたのよ。


 ああ、あの頃には男だったから、お兄さまと呼ぶべきなのかしら?


 いいえ、前世の年齢からすれば弟になるのかしらね?


 でも、わたしはこっそり、お姉さまだと思っているの。だって、わたしはずっと、あんなお姉さまが欲しいと思っていたんですもの。


 彼女も、わたしと同じく円卓の騎士の生まれ変わりの一人だったわ。


 彼女の前世はモルドレッド卿――つまり、ガヘリス卿であるわたしの弟にあたる人物だったの。あの、ガヘリス卿同様、母モルゴースの裏切りに心を痛めていた異父弟よ。


 彼女がモルドレッド卿だと知って、わたしは彼女に悩みをすべて打ち明けたわ。母の不倫についてのことやいつも周りから浮いていることについての悩みを。


 すると、やっぱり彼女も同じような悩みを抱えていて、とてもわたしに同情してくれたの。


 それからというもの、わたしは前世でもそうであったように、お姉さまとは本当の姉妹になったの。もっとも、前世と違って現世では彼女の方が二つ年齢も上だし、あたしの方が弟みたいな感じなんですけれどもね。


 それと、モルドレッドお姉さまの他にも、ガウェインお兄さまや他の円卓の騎士達といった、同じ騎士道の理想を目指す仲間がわたしにはできたわ。


 前世では敵対してしまったランスロット卿達とも今度はうまくやっていくつもりよ。


 わたし達には、わたし達の偉大なる王を復活させて、この乱れた世界を正すという崇高な使命があるんですもの。


 そのための第一歩として、今日、わたしはまた一つ、なすべきことを成し遂げた。


 それは、ナンシー・ワトソンという偽りのわたしとの完全な決別をするための儀式――つまり、前世でガヘリス卿であったわたしが母のモルゴースに正義の剣を振り下した時のように、現世でもまた、あの不実な汚らわしき母をこの手で成敗してあげたのよ!


 これで、ようやくわたしもガヘリス卿としての完全なる覚醒を果たすことができたわ。


 わたしはようやく、本当のわたしを取り戻したのよ!


 ああ、なんて、すばらしいことなのかしら。今夜はこの胸の高鳴りに朝まで眠れないかもしれない。


 ただ、可哀想なのはお父さま。お父さまをこのまま一人残して行くのは少し心苦しくも感じられる。


 お父さまは母と違って、わたしにとってはいいお父さまだったんですもの。


 でも、わたしは旅立たねばならない。円卓の騎士として、わたし達の崇高なる使命を果たすために。


 お父さま、わたしはこれより、円卓の騎士ガヘリス卿として生きていきます。

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