間章 ボールス卿――ロバート・ウィルソン(21歳)の独白(3)

 しかも、ボールス卿と僕との共通点はそれだけではなかった。


 カウンセラーの話によると、彼にもどうやら〝不思議な事象を目撃する〟才能があるらしいのだ。


 彼がまだ赤子だったガラハッド卿に出会った時には、黄金の枝を咥えた白い鳩、豪華な食事と飲み物、そして聖杯を抱いた少女が「この子は円卓の〝危険の席〟に座り、聖杯を手にするでしょう」と言うのを聞き、その夜には凶暴な騎士、たくさんの矢、ライオンや龍が立て続けに現れ闘う幻想を見て、その幻想の終わりに現れた不思議な老人に「そなたは試練を潜り抜けた。だが、いかに優れた騎士でも資格がなければ聖杯を手にすることはできない。そなたの慕うランスロット卿にそれを伝えよ」と伝言を頼まれている。


 これもまた主人公になるかと思いきや、やっぱりただのパシリ役にされてしまうのだが、まあ、ここでは触れずに置いておこう……。


 また、聖杯探究の旅の途中、聖杯を目にすることのできる清らかな身体になるため、パンと水だけを食し、赤い衣服を身に着ける生活を送っていると、一羽の鳥が飢えた雛のために自らの体を嘴で切り裂き、流れ出る己の血を雛に与えるという、おそらくは〝聖杯〟と〝聖なる槍〟を意味するものと思しき幻想も目にしている。


 その後の旅でも彼は毎晩、幻想を見続け、ある夜には古びた椅子と小さな花が並んでいるのを目撃し、威厳のある声で「枯れた木を救おうとして、花を枯らすなかれ」と言われるのだが、それは弟を見殺しにし、それを代償に襲われている美しい女性を助けるということの暗示だった。


 さらには、ある僧によって塔へと導かれ、そこで「愛してくれなければ自殺する」とまで言う美しい女性の誘惑に耐えると、塔も弟の死も実はすべて幻想であったり、パーシヴァル卿との再会後、「海へ行け」という声を聞き、海辺で小舟を用意しているところへちょうどガラハッド卿も現れて三人合流できたりと、ボールス卿にはそうした不思議を目撃するエピソードが多いようである。


 半ば呆けたような顔をして話に耳を傾けていた僕に、カウンセラーは、もしかして、あなたもそうなのですか? と訊いてきた。


 その問いに、僕は心此処にあらずというような感じで、はあとか、ええとか、どちらかわからぬような曖昧な返事を返す……じつを言うと、僕もそうだったのだ。僕も結構、〝あり得ないもの〟を見てしまう性質たちなのである。


 といっても、神の奇蹟を目の当たりにするだとか、神秘的な光景を幻視するだとかいう派手な話ではないし、超自然現象を頻繁に目撃したりするという訳でもない。


 いや、まあ、幽霊は何度か見たことあるし、UFOらしき光る飛行物体にも二度程お目にかかっていたりはするのだが、そうした類のものでもなく、もっと現実的な、日常生活の中において、普通はまず遭遇しないだろうというようなことによく出くわすのである。


 例えば、偶然、銀行にお金を下ろしに行ったら、そこへ銀行強盗が押し入って来たりだとか、ふらっと寄ったコンビニに運転を誤った自動車が突っ込んでみたりだとか、街を歩いていたら、突然、目の前で逃亡した犯人を警官達が取り押さえる逮捕劇が展開されるだとか、具体例を上げてみると、まあ、そんな感じだ。


 そういえば高校の頃、親の車に乗って高速道路を走っていたら、事故ったトラックから逃げ出した羊の群れが道路上を逆走して行くのを見たこともあったか……。


 お蔭さまでいずれの場合も僕自身が被害を被るようなことはなかったのであるが、そんな風にして非日常的な光景というのには、どういう理由わけかよくお目にかかるのである。


 恐る恐る僕がそのことを告げると、カウンセラーは、ああ、やはりそうでしたかと、最初からわかっていたような口ぶりでうんうんと頷いた。


 なぜ、彼は〝やはり〟などと、僕もボールス卿と同じように変な才能を持っていることを予測できたのだろうか?

 僕は、どういうことです? と訝しげな顔で訊き返す。


 するとカウンセラーは、〝あなたはボールス卿の生まれ変わりなのですよ〟と、より一層、僕を混乱させるようなことを言い出すのだった。


 しばし無言で相手の顔を見つめた後、意味がわかりませんと僕が答えると、彼は〝あなたの前世はボールス卿なのです〟と、先程とは異口同音の言葉を発して、それがあなたを悩ましている問題の原因なのですよと、唖然とする僕の瞳を覗き込みながら告げる。


 彼の言うことには、僕が物語の主人公になれないのも、通常、あり得ないような場面に遭遇してしまうのも、すべては僕の前世がボールス卿だからなのだそうだ。


 普通、カウンセリングでこんな診断結果を出されたら、バカにしているのか、そうでなければ気が狂っているのかと思うところである。


 だが、この時、僕は心の奥底で、その常軌を逸したカウンセラーのトンデモ話にどこか納得のいくものを感じていた。


 それでも、そんなエキセントリックな考えを受け入れることは、世間一般の常識からすれば、僕は頭がイカれていますと宣言しているようなものだったし、僕は自分の本心を謀るようにして、物語の主人公が前世だなんてこと信じられませんよと、カウンセラーに反論した。


 しかし、カウンセラーは表情を変えることもなく、アーサー王伝説の登場人物だからといって架空の人物とは限りません。アーサー王は実在の人物なのですから、ボールス卿が実在していたとしてもなんの不思議もありませんと、僕の意見を一蹴する。


 そして、他にもあなたとボールス卿の共通点はあるはずですよ。あなたは女性との性交渉の経験がほとんどありませんよね? と、今度は唐突にセクシャルハラスメントな質問をしてきたのである。


 僕はそれまで感じていた奇妙なボールス卿への親近感も一瞬にして吹き飛び、なんて失礼なことを訊いてくるのかと憤慨した……なぜならば、カウンセラーの言ったことは当たっていたからだ。


 僕はさっき話したような境遇なので、そうした経験はほとんどないどころか……恥ずかしながら童貞だったのだ。


 僕の動揺からそのことを読みとると、カウンセラーはやはりそうですかと物知り顔で呟き、大変、失礼な質問をしましたと詫びてから、ボールス卿もやはり同じだったのですよとさらに説明を加えた。


 並みいる円卓の騎士達が軒並み聖杯の探求に失敗する中、なぜ、ボールス卿が聖杯に到達することができたのかというと、聖杯は童貞でなければ得ることができなかったからなのだそうだ。


 キリスト教において性欲は悪とされ、異性と交わることは禁忌とされている。


 ボールス卿はただの一度だけブランデゴリス王の娘と寝所を供にしたことがあったので正確な意味で童貞ではなかったが、以後は悔い改めて貞節を守り抜いていたため、ランスロット卿すら到達できなかった聖杯へと到達することができたのである。


 僕は別に敬虔なクリスチャンでもないし、そんなところが一緒だと言われても嬉しくもなんともない…というか、むしろ嫌なのだが、僕らの共通項の一つであることに変わりはない。


 それに普通なら、それだけで特に親近感が湧くようなこともないのだろうが、ここまで話を聞いてくると、僕はもう彼が他人のようには思えなくなっていたのである。


 だが一方で、それが事実であることを…これまで生きてきた常識の中から逸脱してしまうことを恐れていた僕は、だからといって僕の前世がボールス卿である根拠にはならないでしょうと、心にもない言葉を再びカウンセラーに返した……本当はもう、根拠などなくても〝充分わかっていた〟のであるが。


 そんな僕の心中を知ってか知らずか、カウンセラーは、まあ、突然、このような話をされてもすぐには信じられないことでしょう、なんてことをぬけぬけと口にすると、これから退行催眠を用いて、あなたが忘れている前世の記憶を蘇らせてみますと、僕に催眠を施そうとした。


 僕は最早、抵抗らしい抵抗をすることもなく、カウンセラーの指示通り目を瞑って、ソファに身体を任せて気持ちを落ち着かせる……その後、夢ともうつつともわからぬ状況の中で僕の脳裏に映ったものは、先程聞かされたボールス卿の物語そのままの光景だった。


 そして、心地よいその催眠状態のまどろみから目覚めたその時、僕はそれとともに本当の僕……ボールス卿としても覚醒したのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る