間章 ランスロット卿――ジョナサン・ディオール(30歳)の回想(2)

「いいえ。例えでも比喩でもなく、そのままの意味です」


「ちょ、ちょっと待ってください。前世云々という話もですが……そもそもランスロット卿の話というのは誰かが作った創作物語フィクションじゃないんですか? そんな架空の人物が前世だなんて……」


 改めて言い直すカウンセラーに、私は彼の正気を疑いつつ、慌てて反論しようとするのだったが……。


「いいえ。そうではありません。確かに今、世間一般に知られている話は十二世紀後半のプランタジネット王朝において、シャンパーニュ伯爵夫人マリと詩人クレティアン・ド・トロアによって書かれた『荷馬車の騎士』――または『ランスロ』の名で呼ばれる物語が元となっていますが、ドイツないしはスイス人のウルリヒ・フォン・ザツィクホーフェンが記した『ランツェロット』はそれとは際立って異なるランスロットの物語で、おそらくはケルトの神マボンがモデルの魔法使いマブーツが登場するなど、こちらは明らかにケルトの起源です」


「ケルト? ……だからなんだと…」


「それにクレティアンにしろ、ウルリヒにしろ、どちらもランスロットが湖の妖精にさらわれ、育てられるという物語――つまり〝妖精に捕まる〟というモチーフを使っています。これなんかもケルトの伝説にはよく見られるモチーフなのですよ」


 彼はわたしの合いの手も無視し、真剣な表情でランスロットの講釈を始める。


「そこからウェールズの伝説『プリティ・アンヌウン』でアーサーと共にあの世へ遠征するルウフ・レミナウクや、同じく『キルフフとオルウェン』でアーサーが大鍋を盗む手助けをするアイルランド人のレンレアウクを、大陸の作家達が名前の似ているランスロットに置き換えたのではないか?とも考えられています……ランスロット卿は、けしてただの創作の人物とは言い切れないのですよ」


「で、ですが、完全な創作でないにしたって、それだって伝説上の人物でしょう?それに、もし仮に実在の人物だったとしたって、それが私の前世だなんてことは……」


 無論、そんな説明をいきなりされても、世に名高い伝説の騎士の生まれ変わりなど、到底、理解できるような話ではない。私はもう一度、当時持っていた一般常識からイカれた彼の考えに意見しようとする。これではもう、どちらがカウンセラーでどちらが患者なのかわかったものではない。


 しかし……。


「考えてもみてください。ランスロット卿はガリア――つまり今のフランスの生まれであり、また湖畔で湖の妖精である〝湖の貴婦人〟に育てられたことから〝湖のランスロット〟とも呼ばれています……これは、誰かに似てはいませんか?」


「それは……」


 次に彼が語った話に、図らずも私は反論の言葉を見失う……それは、偶然にも私の生い立ちにどこか似ていた。


「そして、ランスロット卿の抱えていた苦悩です。彼は彼の仕えるアーサー王の王妃グウィネヴィアと道ならぬ恋に落ちてしまったことで悩み続け、次第に身を滅ぼしていくのです……そう。今風に言えば、まさに上司の妻との不倫です!」


「それは、私の……」


 それは……私の抱えている問題そのものだ。


「加えて、あなたは騎士には必須である剣と馬の扱いにも長けておられる……これらはすべて、あなたの前世がそうさせていることなのです! その悩みも! その運命も!」


「そんなことが……」


 そんなこと、あるわけがないと思った……だが、その一方で、偶然にしてはよく似ている自分とランスロット卿との境遇に、何か因縁めいたものを感じ始めている自分がいるのもまた確かなことだったのである。


「他にもきっと、あなたとランスロット卿との間には共通点があるはずです」

その感情を気取られまいと視線を逸らす私に、カウンセラーはさらに畳みかける。


「例えば……クレティアンの『荷馬車の騎士』で、グウィネヴィア妃がメレアガンス卿という円卓の騎士に誘拐された際、メレアガンスの部下に自分の馬を射殺されランスロット卿は、そこへ通りかかった荷馬車に乗ってグウィネヴィア妃の救出へと向かいます。当時、荷馬車は罪人を乗せる乗り物とされていたのに、それに乗る恥辱をも恐れずにです。あなたにも、そうして自らを犠牲にして、恋人を救おうとしたことがあるんじゃないんですか?」


「………………」


 私は閉口した……確かに、私にもそうした憶えがないわけではない。


 仕事をやめる際にだって、私は後に残る彼女のために、私の方からしつこく関係を迫ったのだという事実と違う噂にも何も語ることなく、黙して静かに彼女のもとを去ったのだ。


 だが、そうして愛する者のために自分の名誉を顧みないということは、男ならば一つや二つ誰しも憶えのあることだろう……。


 ただ、私とランスロット卿との共通点はそればかりではなかった。


 じつは私も仕事の関係で、ランスロット卿と同じように〝荷馬車〟に乗ったことがあったのだ。それも、彼女の仕事を助けるために……。

 

 こじつけと言ってしまえばそれまでだが、ここまでカウンセラーの話を聞いてくると、そんなこともなんだか自分とランスロット卿とを結ぶ運命の糸のように私には思えてきてしまう。


「まあ、急にそんなことを言われても信じられないのは当然です。それでは、これよりあなたに退行催眠をかけて、前世の記憶を引き出してみましょう。退行催眠はご存じですか?催眠により子供の頃へと徐々に記憶を遡っていくことによって、いつしか生まれる前――前世の記憶までをも思い出すことができるという催眠療法です」


「え……ええ。話に聞いたことは……」


 心ここにあらずといった私の前で、カウンセラーは淡々とした口調でそう断ると、既にその怪しげな施術を行う態勢へと入っている。


「では、さっそく始めますので、そのまま気を楽にして、ソファーの背に体を任せてください。なあに怖がることはありません。むしろ心地良くなりますよ。さあ、もっとリラックスして、気持ちを楽に……」


 私は耳触りのよいカウンセラーの声に従い、柔らかなソファーに深々と埋もれると、そのまま徐々に潜在意識の縁へと落ちていく……。


 ……そして、その日を境に、私はランスロット卿になったのだった――。

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