Ⅸ 冒険ごっこ(1)

 新生円卓の騎士団がサマセットで新たな事件を起こしてより二日後の朝……。


 もうすっかり毎朝の習慣となりつつあるのだが、石神刃神は|緑男の骨董店グリーンマンズ・アンティークの応接用テーブルで、ティーカップ片手に今日の朝刊に目を通していた。ちなみに今朝のお茶はアールグレイである。


「サマセット州ハンティング街道で〝幽霊の狩猟〈Wild Hunt〉〟出現 ……一昨日の深夜、この街道を馬に乗った騎士の一団が駆け抜けていく姿を多くの地元住民が目撃した。目撃者によれば、その一団は中世さながらの甲冑を身に纏った姿をしており、その手にはアーサー王の〝円卓〟が描かれた三角旗ペナントを掲げていたという。これはまさしく当街道に出没すると古くから伝わる、アーサー王に率いられた〝幽霊の狩猟〟の姿そのままであり、地元住民や怪談好きの人々、心霊現象研究家などの間で話題を呼んでいたが……って、おい! こりゃ、あいつらの仕業じゃねえのかっ⁉」


 ベルガモットの余韻を鼻腔に感じながら、新聞の記事を読み上げていた刃神は思わず大きな声を発する。


「ほう、幽霊の狩猟かね。それはまたおもしろい……」


 すると、今日もカウンターの向こうで店開きの準備をしている店主が、刃神とはまた違ったところに興味を示して呟く。


「んん? ……なあ、その〝幽霊の狩猟〟ってのは一体なんなんだ? 英国じゃ有名な妖怪かなんかなのか?」


 その口振りに刃神が尋ねると、店主は白い口髭を上下させて丁寧に説明してくれた。


「ま、妖怪というか、そういう怪奇現象じゃの。この国ばかりでなく、大陸にも伝わる民間伝承でな、馬に乗った幽霊の一団が何かを追っかけるように雲間を飛んで行くというものじゃ。何を追っているのかはよくわからんがの、英国やフランスではアーサー王がその一団の統率者であり、正午、あるいは満月の夜には先頭に立って導くアーサーの姿が見られるともいう。フランスじゃ、ずばり〝ラ・チェシィ・アルテュ〈la Chasse Artu〉――即ち、アーサーの狩り〟と呼ばれておるの」


「ほう……そんなアーサー王の伝説もあるのか。そいつは知らなかったぜ」


「ま、もともとの統率者はアーサー王ではなかったらしいがの。これがドイツや北欧ではゲルマンの最高神ヴォーダンもしくはオーディンが一団を率いており、かの童話で有名なヤーコプ・グリムによると、ドイツの一部では準歴史的存在であるハッケルベーレント――生前の名はハンス・フォン・ハッケルベルクなる男だとも云われておる。古サクソン語で〝ハコルベラント〈hakolberand〉〟という言葉はヴォーダンに対する枕詞だともいうから、これもヴォーダンと見てよいのいかもしれんの」


「つまり、本来は〝ヴォーダンの狩猟〟だったってことか」


「そういうことじゃな。おそらく、この〝幽霊の狩猟〟というのはドイツ起源の伝承で、それがアングロ・サクソンの侵入とともにブリテンにも伝わり、サクソンとブリトン人の文化が融合する中で統率者がヴォーダンというゲルマンの神からブリテンに馴染みの深い英雄アーサーへと変わっていったのじゃろう」


「なるほどな。で、その幽霊の狩猟が、このサマセット州のハンティング街道にも出るって云われてるわけか?」


 店主の解説に、刃神は腕を組んで頷くと、確認するように尋ねた。


「うむ。そういうわけじゃ。他にも、これもサマセットじゃが、毎年のクリスマス・イヴにアーサーがサットン・モンティス教会に家来を連れてやってきて、秘密にされておる井戸で馬に水を飲ませるという伝承もある。古い伝説ばかりじゃないぞ? 1940年代には、ハロウィンにウェスト・コッカーの空を駆け抜けたという噂があったし、1960年、ストガンバーに現れたという報告もある。デヴォンでも見られたらしいの」


「なんだオヤジ、やけに詳しいじゃねえか?」


「まあの。こんな商売やっとると、いろいろと無駄な知識も身に付くってもんじゃよ」


 呆れと感心の言葉を口にする刃神に、店主は特に照れるでもなく、別にどうということはないというような口振りで答えた。


「じゃが、幽霊の狩猟とえば、普通、馬で空を翔けて行くもんなんじゃがの。お前さんが今読んでたのを聞いとると、今回のはどうも地面の上を走って行ったようじゃの」


「ああ、そういやそうだな。ってことは、こいつは心霊現象じゃなく、人間の仕業の可能性が高いってことか……ん? ちょっと待てよ、まだ続きがあるな……」


 店主の疑問に、刃神はそう呟くと再び新聞に目を落として続きを読み上げる。


「翌朝、その奇怪な騎馬行列に使用されていたと思われる馬の群れが付近の平原で発見された。しかも、さらに驚くべきことには、その後の警察の捜査で、馬達は前々日の深夜、ニューマーケットのナショナル・スタッドから何者かに連れ去られた馬であることが判明し、警察は今回の怪事を起こした者と同一犯の犯行と考え、現在、捜査に当たっている……ハン! 楽しいことしてくれるじゃねえか!」


 刃神は愉快そうに声を上げ、店主に尋ねる。


「ニューマーケットっていやあ、あれだろ? あのケンブリッジの上の方にある競馬の街だろ? 競馬場の他にも競馬学校や牧場とかがたくさんある……」


「ああ、その競馬のメッカじゃ。しかし、盗んだ馬を置いていったということは、犯人達は幽霊の狩猟をやるためだけに国営の厩舎から馬を盗みだしたってことかの? もしそうだったとしたら、なんともまあ、酔狂な馬泥棒じゃの」


「ハハ! 間違いねえ……これはヤツらの仕業だ。証拠はねえが、アーサー王の真似したさにこんなイカれたことすんのは、世界広しといえども、あの円卓の騎士野郎ども以外に考えられねえぜ!」


 犯行の動機を推理して呆れる店主に、刃神はさらに愉快そうに笑った。


 と、その時。


 カラン、カランとベルがなり、勢いよく開いたドアからマリアンヌが飛び込んで来る。


「ああ、ジンシン・イソノカミ! やっぱり来てたのね! ねえ、この記事見た?」


 彼女は応接セットで寛ぐ刃神の姿を確かめるや、右手に摑んだ新聞を彼の目の前に突き出して言う。


「あ、やっぱり、お二人さんも来てたんすね。なんか、あの騎士団がまたやらかしたみたいっすよ?」


 すると、そんなマリアンヌの背後から、今度は白いスーツに身を包んだアルフレッドが、これまた新聞片手に現れる。


「フン。タイミング良く、ちょうど面子が揃ったようだな」


 不敵な笑みを浮かべる刃神の言葉通り、こうして前回同様、偶然にも集まった三人は、早速〝円卓の騎士団〟についての私的捜査会議を始めるのだった――。

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