Ⅴ 夜の博物館での邂逅(1)
旧トゥルブ家領遺跡の現地説明会が行われたその日の夜半――。
大仕事を終えたヘンリー・ハンコック博士は、旧トゥルブ家邸博物館の三階にある談話室でスコッチを傾けながら寛いでいた。
グラスの中の亜麻色の液体は頭上に灯る淡く黄色いシャンデリアの光に照らしっ出され、より一層、甘美な飲み物としての輝きを増している。
酒というものも飲む場所によって味が変わるのであろうが、さすが貴族の住んでいた所だけあって、この談話室の作りもいやはや瀟洒なものである。
もとトゥルブ家の屋敷であったこの建物は、現在、一階・二階が博物館の展示室に改装され、三階にはここに泊まり込んで発掘調査をしているハンコックとアルフレッド、それからオーナーのアダムスが自前で雇っている警備員の生活する空間となっている。
もともとがそうした性格の建物なので、豪華な装飾の施されたこの場所で暮らすのはなかなかに快適である。下手な高級ホテルなんかに泊まるよりずっといいかもしれない。
そんなお屋敷の談話室で、優雅に独りソファに腰掛けるハンコックの目の前のテーブルには、遺跡の遺構配置を描いた図面一式が積まれている。
コップの端を舐めながら、彼は自分の〝手掛けた〟この
「ふへ~やっと休めるっすよう……」
と、そんな所へ、締めていたネクタイを片手で緩めつつ、不平を漏らしながらアルフレッドが入って来た。
普段着と化した作業着姿のハンコックとは対照的に、こんな夜中でもソフト帽を被り、パリっとしたシャツ姿でいるのは彼のちょっとしたこだわりである。
「ああ、お疲れさん」
その声に、ハンコックは図面に目を落としたまま社交辞令的な言葉を彼にかける。
「いやあ、納期を遅らせた上にこんな遅くに持ってくるなんて、ひどい業者っすよ。まったく……ま、その分、腕はいいんすけどね」
「ハハハ。なんだかその口ぶり、残業させられたカタギのビジネスマンみたいじゃの」
文句を垂れて対面のソファに腰を降ろすアルフレッドに顔を上げると、ハンコックは愉快そうに笑った。
「どうじゃ、いっそ、その人様には恥ずかしくて言えないような商売から足を洗ってみては?」
「よしてくださいよ。カタギだなんて人聞きの悪い……こう見えても、同業者の間じゃ一流の詐欺師として通ってるんすからね」
その冗談めかした提案に、アルフレッドはものすごく嫌そうな顔をしてそう返した。
「その方がよっぽど人聞き悪いと思うがの……で、どうじゃった?
やはり冗談だったのか、その返事には特に拘る様子もなく、ハンコックはすんなりと話題を変える。
「ええ。なかなかのもんでしたよ。さすが職人芸ってところっすね」
「そうかね。わしはあんまり興味も持っていなかったが、それなら、ちと見てみたい気もするの」
「ええ。せっかくなんで是非、見てやってくださいよ。今、飾り付けもすませてきましたんで明日にでも。なんなら遊んでもらってもいいっすよ?あれは見本っすからね」
「ああ、そうじゃの……しかし、あんなバカ高い代物、ほんとに欲しがる人間がいるもんかね? まあ、売れんでも注文製作じゃから、さほど損はないじゃろうが……」
手を広げ、自慢げに語るアルフレッドにハンコックは腕を組むと、疑問の眼差しを彼に向ける。
「その心配は要りませんよ。この世にはアーサリアンがごまんといますからね。大枚叩いてでも欲しいって筋金入りも中にはいまさあ。それに、そうでなくてもあれはパーティのネタなんかにはもってこいっすから、買ってくれるお金持ちもきっと大勢いることでしょうよ」
「そういうもんかね?」
「ええ。そういうもんっすよ」
なおも疑うハンコックだったが、アルフレッドは自信満々にさらりとその疑念を受け流した。
「ふむ……まあ、お前さんが言うからにはきっとそうなんじゃろう。お前さんはわしと違って商才があるようじゃからの。ここを博物館にする発案や準備をしたのもお前さんじゃ。やはり詐欺師なぞしておるのは勿体ない。その才能を活かして、カタギの商売をしてみてはどうかね?」
「だから、よしてくださいって。こちとら生まれてこの方、すっかり詐欺師の性分が身についちまってるんでね。その商才とやらも詐欺師稼業に使って初めて活きてくるってもんでさあ」
再び諭すように言うハンコックに、アルフレッドはまたも苦虫を噛み潰したような表情をしてそう答えた。
「そういう博士は今夜も図面と睨めっこっすか? 今日は慣れない説明会なんかやって疲れてるってろうに、相変わらず好きっすねえ」
お説教じみた会話に居心地が悪くなったのか、卓上のものを覗き込むと、今度はアルフレッドの方からハンコックに話を振る。
「まあの。こちらもお前さんの言うところの性分ってヤツじゃよ。こうして
「ヘヘヘ…やっぱりハンコック博士を選んで正解でしたよ。その学者バカの性分のお陰で、この仕事も想像以上にうまくいきましたからね。感謝してますよ」
アルフレッドは笑みを浮かべると、口は悪いがハンコックに礼を言った。
「いや、礼を言うのはわしの方じゃわい」
すると、逆にハンコックの方が不意に畏まって、真摯な態度でアルフレッドのヘラヘラした顔を見つめる。
「わしは初めお前さんがこの話を持ちかけてきた時、どんなに零落れても考古学者の端くれとして、死んで遺跡の捏造なんぞには加担すまいと思うておった。じゃが、結局は食う腹には代えられず、研究費も欲しかったわしは欲望に負けてしまい、正直言うと、そんな道を踏み外すような真似をさせたお前さんを逆恨みすらしたもんじゃわい」
「ええ、それはこっちも重々承知してますんでお気になさらず。詐欺師なんざ恨まれて当然の人間。何も感謝されようだなんて、んな贅沢なことは要求してませんや」
そう、おどけた調子で手をひらひらと振るアルフレッドだったが、ハンコックはその軽口を遮り、さらに先を続けた。
「まあ、話は最後まで聞け。確かに最初はそう思っておったがの。今ではお前さんに大変、感謝しとる。もし、お前さんがこの話をわしんとこに持ってこなんだら、わしは人生に打ちひしがれたまま、いまだに暗い地の底で燻ぶり続けておったことじゃろう。今と比べれば、あの頃のわしは自分でも信じられんくらい卑屈で後ろ向きな日々を送っておった。なんせ、わしをのけ者にした社会に復讐してやろうと、愚にもつかない犯罪計画を夢想しておったりしたからの」
「え? 真面目が服着て歩いてるような博士がっすか?そいつはどんなもんか気になりますねえ~」
「ま、別に実行するつもりはなかったし、それを書き付けた手帳は調査に行った先で失くしてしもうたがの。ようはただの現実逃避の空想ごっこじゃよ。じゃが、お前さんがわしの前に現れて、そんなくだらん憂さ晴らしもせんですむようになった。これも神のお導き。そして、お前さんのおかげじゃ……どうも、ありがとう」
そこまで語るとハンコックは一呼吸置き、より一層真摯な眼差しをアルフレッドに向けて礼を言った。
「……よ、よしてくださいよ。そんな……」
いつにない博士の態度に、アルフレッドは面喰ってしまう。というより、こうした場面に彼は慣れていないのだ。
詐欺師である彼はそんな心よりの礼を言われることなど滅多にないことであったし、もし仮に言われたとしても、その時はこちらに騙しているという罪悪感がある時であって、こんな感謝されて心温まるような心境になることなど、これまでの人生の中でも数える程しかなかったのである。
「詐欺師になんか感謝したって、ろくなこたありません? 感謝するなら神さまだけにしておいてくださいな」
その慣れない気恥かしさを隠すかのように、アルフレッドはわざとふざけた態度をとってそう返した。
「ハッハッハッ……確かにその通りじゃの。では、お前さんの分まで神に感謝の祈りを捧げておくこととしよう」
そんな居心地悪そうなアルフレッドを察してか、ハンコックもおどけた調子で笑ってみせる。
「おお、そうじゃ。どうじゃね、お前さんも一杯?」
そして、この話はこれで終いとばかりに、今、気付いたというような様子で空のグラスを彼の方へと差し出す。
「あ、ええ……んじゃ、いただきますか」
やはり話題を変えたいアルフレッドの方も、渡りに船とグラスを摑み、ガラス瓶から注がれるスコッチをその杯になみなみと受けた。
「ま、ローマ化したブリトン人であるアーサー王からすれば、敵方のスコッチではなく、イタリア産のワインの方がいいんじゃろうがの。英国生まれのわしはやっぱりスコッチの方が好きなんでな」
「さっすが拘りますねえ~。こっちはスコッチでもワインでもビールでも、飲めりゃなんでもござれっすよ」
「おお、そうかね。じゃあ、どんどんいってくれ。わしは少々自嘲せんといかんからのう。以前は食うや食わずでもっとスラっとしておったんじゃが、酒にも困らなくなった今では腹がほれ、この通りじゃわい。ハッハッハッ…」
だが、そうして無駄口を叩きながら、ささやかな酒宴が催されようとしていたその時。
‐――ガシャァァーン…!
と、遠くで、何かが砕け散るような音が鳴り響いたのだった。
「ん? ……今のはなんじゃ?」
「……一階の方っすかね?」
その音に、二人はグラスを持ったまま、不審そうに顔をしかめる。
「まさか、泥棒じゃあるまいの……」
「いや、まさか……盗人ならセンサーに引っかかって発報するはずですし、監視カメラで警備員も見張ってますからね」
「じゃが、少々気になるの……」
「まあ、確かにそう言われると……ちょっと見に行きますか?」
「うむ……」
ハンコックとアルフレッドはソファから立ち上がると、いそいそと廊下へ通じるドアの方へ向かった――。
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