Ⅴ 夜の博物館での邂逅(2)

 それより、数分程前のこと……。


 マリー・ド・メルクール――怪盗マリアンヌの姿は、すっかり展示用照明の落ちた旧トゥルブ家邸博物館の〝エクスカリバー〟が展示されている二階ホールにあった。


 どこから忍び込んだものなのか? 壁際の闇から姿を現したマリアンヌは、まるで体操選手か曲芸師のようにハンド・スプリングや側転を素早く繰り返し、音もなくクルクルと身体を回転させて、警備用の微弱な明かりだけが灯る薄暗いホールの中央へと躍り出る。


 その目を見張るような身のこなし……すばらしい身体能力ではあるが、この派手な動作については特に意味はない。


 別に触れると発報するセンサーの目に見えぬ光線を避けるためでも、監視カメラに映らないよう、素早くカメラの死角を移動するためでもない。これは〝そんな動きをすれば怪盗らしいかな?〟という、彼女の勝手なイメージによるパフォーマンス……つまりは完全に無駄な動きである。


 だいたい、この館のそのような防犯装置は彼女の手によって既に無能化されている。今のマリアンヌは、大きな音さえ立てなければ誰にも気付かれることなく、普通に歩いて楽々お宝に近付くことができるのだ。


 今日の昼間、仕事の下見にここを訪れた彼女は、運悪く鉢合せしてしまったあの野蛮な東洋人と別れた後、まだ見ていなかった二階の部屋の展示を見学しつつ、各部屋の警報装置や監視カメラの状況を隈なく確認して回った。


 すると、〝エクスカリバー〟の置かれたホールを取り囲むように配置された二階の部屋には、アーサー王とは関係ない、もとトゥルブ家所蔵の古美術品やら絵画やらが飾られており、こちらもなかなかにマリアンヌの目を惹く素晴らしいものであったが、それからさらに足を伸ばして立ち入り禁止の三階や地下室なんかにもこっそり探りを入れた彼女は、監視カメラやセンサーを統括している警備室が三階にあることを突き止めたのである。


 防犯システムの中枢の在り処さえわかれば後は簡単。若干20歳にしてプロのトレジャー・ハンター…というより盗賊の彼女は、若くしてこれまでに培ってきた知識と技術によってシステムの配線を辿り、センサーを切るとともに監視カメラのモニターには以前に録った映像がずっと再生されているように細工を施しておいたのである。


 そんな下準備の甲斐あって、一旦、博物館から引き揚げ、夜半、準備をすませて再び戻ってきた彼女は、一階の窓の鍵を難なく破り、こうして易々と忍び込むことに成功したというわけだ。


 そうしたプロとしての手際の良さにも関わらず、無駄にアクロバティックな動きでホールに躍り出た彼女は、引き続き無駄な回転運動でエクスカリバーの納められているガラスケースへと近付いてゆく……。


 無駄といえば、彼女が今、身に纏っている衣装コスチュームも無駄…といおうか、こうして泥棒が忍び込む際に着るにしてはあまりにも不適切なものである。


 普通、こういった時には目立たぬよう黒系統の、身体にフィットした動きやすい衣服を身に付けるべきところなのであろうが、彼女は黒色どころか、なんと明るいクリーム色のゆったりとしたドレスを身に纏っているのだ。


 その上、腰には赤い布の帯を締め、頭には先端のくるんと反り返った赤い三角形の帽子を被るという、どこからどう見たって泥棒には向かない、まるで道化師のような奇抜な格好である。


 だが、そんな常識的意見など一向に介していないかのように、怪盗マリアンヌはスカートの裾をひらひらとはためかせ、何回かの回転の後にガラスケースの手前すれすれの場所へピタリと着地した。


 もしもここが体操の選手権会場だったならば、10.00をあげてもいいくらいの正確無比な演技である……まあ、この場においては、やはり無駄な動き以外の何ものでもないのであるが。


「お・ま・た・せ。あたしのお宝ちゃん♪」


 ガラスケースに張り付くようにして覗き込んだマリアンヌは、ドレスの胸元から小さな懐中電灯を取り出し、中に飾られた〝エクスカリバー〟を照らしながら独白する。


 警備用の僅かな照明で多少は明るいが、やはりそうしないとケース内の物まではよく見えない。


「はぁ~……」


 強い光に煌めくエクスカリバーの美しい刃や金銀の細工を眺めながら、まるで長らく離れ離れになっていた恋人とようやく出会えた乙女ででもあるかのように、マリアンヌは甘い吐息を漏らす。


「この感動の再会をもっとゆっくり味わっていたいところではあるけど……そんな時間もないわね」


 そして、名残惜しそうにそう言うと、先程、窓の鍵を破る時にも使ったガラス切りの道具をスカートの下から取り出し、早々仕事に取り掛かろうとした。


 が、その時である。


 バリン…!


 と、どこからか、ガラスが割れるような音が微かに聞こえてきたのである。


 えっ、何……?


 その音に、マリアンヌは正直驚いていた。この状況で聞くにしてはまったく想定外の音だったからである。


 当然、警備員が見回りに来る可能性もないとは言い切れないから、その足音や話し声などが聞こえてくるのだったらばわかる。


 だが、今みたいな音のする理由が彼女には皆目、見当つかない。この場所、この時間帯でそんな音を立てるのは、自分のような泥棒ぐらいのものである。


 といっても、自分は窓から侵入する際、慎重にガラスを切って物音一つ立てずに鍵を開けたのだし、第一、今、自分はここにいる……念のため手元に視線を落としてみたが、ガラスケースを割ったわけでももちろんないようだ。


 では、いったい……。


 だが、彼女がその理由に考え到るよりも早く、今度は廊下へと繋がるホール右側の入口から黒い人影がぬっと姿を現す……。


 ドアが取り払らわれ、壁に四角く穿たれた闇より出でしそれは、警備用の照明に晒されてもなお、その暗闇が凝固したかのように真っ黒い。


「……っ⁉」


 その妙に濃厚な人影に、マリアンヌは思わず手にした懐中電灯をそちらへと向ける。


「チッ! 人がいやがったか……」


 すると、不意に眩い光を浴びせられた黒い塊は咄嗟に顔を腕で覆い、面倒臭そうに舌打ちをした。


 一方、人影の身形みなりを確認したマリアンヌは、目を大きく見開いて真ん丸くする。


 それは警備の者に見付かったから…というような在り来りの理由からなどではない。むしろ、その人物が警備員などではなかったからだ。


 薄闇の中、懐中電灯のスポットライトに浮かび上がったのは、黒いロングコートに黒いターバン、背中に二本の剣を背負った長身の人物……覆った腕で顔はよく見えないが、その特異なファッションには見憶えがある……そう、昨日、緑男の骨董店グリーンマンズ・アンティークで出会い、今日の昼には今いるまさにここで出くわした、あの野蛮で危ない東洋人の姿だったのである!


「あ、あなたはあのカルト!」


 それに気付いた瞬間、マリアンヌはそう無意識に口走って声いた。


「ああん?」


 その言葉に野蛮な東洋人――石神刃神も、彼女の姿を確認しようと怪訝な様子で目を細める。


「あっ! 怪盗小娘!」


 そして、なぜかイラっとくるその声と背格好などから彼女だとわかると、彼の方でも驚きの表情を作った。

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