Ⅲ 嘘から出た史実(2)
その夜、アルフレッド・ターナーは、ロンドン南西部、テムズ河沿いのリッチモンドにある豪壮な大邸宅の一室で
ゆったりと座り心地の良いソファであるにも関わらず、20代後半のこのアメリカ人青年はその長身が小さく見えるほどに縮こまり、緊張した面持ちで青い目だけをキョロキョロと動かしている。
今夜はこの一月後に着ることとなる作業着とは違い、白に紺縞のスーツに黄色いネクタイ締め、白いソフト帽子を被るといった小洒落た格好だ。
周囲を見回してみると、天井から下がるクリスタルのシャンデリア、床に敷かれたペルシアかどこかの高級絨毯、その絨毯の上に並ぶ中世の甲冑や中国か日本の物らしき大きな壺に、壁にかかる高そうな特大の油絵……どこからどう見てもお金持ちの家だ。
……だが、アルフレッドにはまるで憶えがない。こんな家に来たことはないし、この優雅な高級住宅街に住む人間に知り合いは一人もいない。ましてやこの界隈で〝仕事〟をしたこともないはずである。
それなのに、なぜ、今、彼がここにいるのか?といえば、本人としてもいまだにその理由がわからない。
かれこれ30分程前、ロンドン市内のカジノで楽しくポーカーに興じていたところ、突然、黒服を着たマッチョなグラサンの黒人二人が現れ、そのままアルフレッドを両脇から抱きかかえると、有無を言わさずここまで連行して来たのである。
それも、幸運にもロイヤル・ストレートフラッシュを引き当て、トウシロウの客相手にお得意のブラフでガンガン賭け金を吊り上げていたところをである。
最初、アルフレッドはカジノの関係者がイカサマを見付けて、自分を抓み出しに来たのかと思った。
しかし、今夜に限っていえばイカサマはしていない。
思い返してみても、ここのカジノから金を騙し取った記憶はない……ま、他では後ろめたいこと多々あったりするんだけど……。
ならば、自分が過去に嵌めた相手が仕返しに来たのかとも考えたが、連れて来られたのは使われていない港の倉庫だとか、人気のない山奥の森の中だとか、そういったいかにもな場所ではなく、ふと気付けばこんな高級住宅地の大豪邸である。
やはり、いくら考えてみても、自分がここへ連れて来られた理由がまったく思い当たらない……。
そこで、アルフレッドはとりあえず強い態度で出てみることにした。
せっかくのロイヤル・ストレート・フラッシュを棒に振らされた挙句、努力して稼いだチップまで置いてこさせられたのだから、ここは怒ってもいいところだと思う。いや、善良なアメリカ人旅行客に対してのこの仕打ち、自分には怒るべき権利があるのだ!
彼は不遜な態度でゆったりとソファに座り直すと、目の前の大きなオーク材でできた書斎机に座す人物の方を斜に眺めた。
「アルフレッド・ターナー君だね?」
その人物もアルフレッドの顔をしばし観察した後、おもむろに口を開く。
50代くらいの、灰色のダブルのスーツを着た大柄の人物で、骨太の顔に黒髪をオールバックに纏めている。イメージ的に、なんかマフィアのボスとかやっていそうな感じだ。
「いったいこれはどういうつもりですか? あなた、これははっきり言って拉致ですよ! 拉致! つまり犯罪です。事と次第によっては警察に連絡させていただきます。いや、アメリカ大使館に今すぐ連絡願いたい!」
アルフレッドは質問に答える代わりに強い口調で相手に脅しをかけた。こんな状況ではあるが、あわよくば慰謝料を頂こうなどという姑息な魂胆があったりなんかもする。
だが、そんなハッタリな脅しが通じるような相手では、どうやらなかったらしい……。
「いや。私は構わんがね、ターナー君。そんなことをして困るのは君の方じゃないのかね? どれ、さっそく警察とアメリカ大使館へここに君がいると電話をかけてみようか? ついでにインターポールにも照会してみるように助言を添えて…」
惚けた調子でそんなことを言いながら、マフィアのボス風の男は机の上の電話に手をかける。
前言撤回……アルフレッドは下手に出ることにした。相手はこちらの職業についてよくご存じのようだ。
「あ、アハ…アハハハハ……いや、それには及びませんよ。何かこちらが勘違いしていたみたいで……いやあ、お屋敷にお招きいただき光栄です。ええと……」
「ディビット・アダムスだ。美術品の売買と投資業、それに金貸しなんかもやっている」
急に調子の良い態度になるアルフレッドに、男はドスの利いた声でそう名乗った。
「ジェイソン・マクレガーが世話になったそうじゃないか? ヤツは私の知り合いでね」
さらに男の付け加えたその名前にアルフレッドは聞き憶えがある。それは、彼が以前、詐欺にかけて金を巻き上げた悪徳保険会社の取締役だ。
「あ、いや、その…アダムスさん…でしたっけ? あなたのお知り合いだと知っていたら、けして手を出すような真似は…」
「いや、別に気にしなくてもいい。あいつは気に食わんヤツだったからな」
「さ、さようで……」
マズイと思い、言い訳をするアルフレッドだったが、どうやらそのことで怒っているわけでもないらしい……。
では、ほんとになぜ、自分はこんな所に連れて来られたのだろう?
「さて、本題に入ろうか、アルフレッド・ターナー君。今夜、わざわざ君にご足労願ったのは、君を腕のいい詐欺師と見込んで頼みたいことがあったからだ。勿論、それ相応のギャラは払うつもりだ」
疑問に思うアルフレッドの心中を見透かすかのように、アダムスと名乗るその人物は話を切り出す。
「へ……?」
予想もしなかった展開に、アルフレッドは口をだらしなく開いたまま呆けた顔を作る。
「えっ? ……じゃ、じゃあ、俺を拉致…じゃなかった、ここへお連れになったのは仕事の話をするためで? ……なあんだ。最初からそう言ってくだされば、喜び勇んで参りましたのに。仕事の話でしたら全然大歓迎っすよ。ま、その内容とこっちの額によって、受けるか受けないかは決めますがね」
そして、連れて来られた目的が仕事の依頼であるとわかるやいなや、顔にニヤニヤと笑みを浮かべ、右手の親指と人指し指で円を作ってアダムスの方へ見せる。
「どうやらウチの者が手荒な真似をしたようだな。すまない。融通の利かん連中でね。君もいろいろと恨みを買っているだろうから、誤解して逃げられないようにしろと言っておいたのだが……」
いや、逆に誤解招くって…と、ツッコミを入れたくなるアルフレッドだったが、仕事の件が気になったので話の先を急いだ。
「で、その仕事っていうのはどういったもので?」
「ああ、それはだな……二年ほど前、私が金を貸していたキャメルフォード男爵のトゥルヴ卿という田舎貴族が投資で大損こいて破産してな。借金の形にその家屋敷と土地、それとトゥルブ家に代々伝わってきた家宝の品というのが私のものになったのだが……」
アルフレッドの質問に、アダムスは椅子から立ち上がると、部屋の中をゆっくり歩きながら語り始める。
「その家宝の中に、なんと、あのアーサー王の持っていたという魔剣〝エクスカリバー〟があったのだ。いや、そればかりでなく、他にもアーサー
「へえ! かのアーサー王のエクスカリバーですか⁉ そりゃあスゴイ! ……って、それ、どう考えても偽物だと思うんですが……」
アルフレッドはわざと驚いた振りをして見せた後、冷静な顔に戻ると疑わしそうな眼で彼を見つめた。そんな話を真に受けているのであれば、このアダムスという男はかなりのアレだ。
だが、さも当然というようにアダムスは話を続ける。
「無論、私も本物などとは思っていない。だがな、一つおもしろい話がある。このトゥルブ家というのはな、アーサー王の側近であり、エクスカリバーを湖の妖精に返したベディヴィエール卿の末裔だと名乗っている一族なのだよ」
「はあ……つまり、そのなんとかいうアーサー王の家来の子孫の家の物だから本物である可能性がなきにしもあらず……と、まあ、そう言いたいわけですかい? いや、それにしても胡散臭いなあ」
「だから、君に頼みたいのだよ」
なおも疑わしい目を向けるアルフレッドに、アダムスはその言葉を待っていましたと言わんばかりの顔で答えた。
「だから?」
「うむ。つまりだ。そのエクスカリバー並びにアーサー王所縁の品々を、世間が〝本物だと思い込むように〟してもらいたいのだよ」
「ええっ⁉ その…エクスカリバーをですか? ……んな、無茶な…」
「そうなれば、かなりの値段で取引することができる。世の中には…特にこの英国にはアーサー王マニアが多いからな。手に入れたいと思う者は大勢いるだろう。自慢するために欲しがる金持ちだっている。それにアーサー王は偉大なるこの島の――グレートブリテンのシンボルだ。王室や有名博物館だって買取を申し出てくるかもしれない……これは、いい商品になるぞ」
「いや、確かに本物のアーサー王の品物なら、そりゃそうでしょうけれどね……その手の〝どこそこに本物として伝えられている物〟ってやつほど疑わしいものはないですし、しかも、あの世界的に有名な伝説の剣っすよ?それがぽっと出てきても、おお、これがあのエクスカリバーか! なんて、そんなあからさまな嘘に騙されるような馬鹿はいませんて」
そのとんでもない企みに驚き、そして呆れるアルフレッドだったが、アダムスはまるで冗談を言っているような様子ではなく、しごく真面目な口調で彼に言葉を返すのだった。
「いいや。まるっきり嘘だというわけでもないぞ? さっき言ったトゥルブ家の伝承もあるし、その〝伝エクスカリバー〟という剣も、どうやらかなり古い物ではあるようだからな。一方、アーサー王の方はといえば、伝説上の人物とも、実在の人物とも、はたまた誰か実在の人物がモデルになっているのだとも云われ、いまなお謎多き存在だ。これがエクスカリバーでない可能性もまた、誰にも否定できんのだよ」
「まあ、可能性ってやつはなんにでもあるんでしょうがねえ……でも、それが本物だって証明するのもまた不可能に近いわけで……」
「なに、少しばかりそれが本物だと信じられるような状況証拠を足してもらえればそれでいい。人間という生き物は希望的観測をしたがるものだ。もともとアーサー王を実在の人物とみる説はいくつも語られているからな……そうだ、ターナー君。君はアーサー王についてどのくらい知っているかね?」
それでもまだこの企ての現実性に懐疑的態度を見せるアルフレッドに、不意にアダムスは質問を投げかけてくる。
「え? いやあ、まあ、そんなに詳しくは……ああ、『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』は見ましたよ。あとは子供の頃見たディズニーの『王様の剣』ですかねえ」
「モンティ・パイソンのコメディ映画とT・H・ホワイトの『石にささった剣』を元にしたアニメだな。まあ、アメリカ人の関心としてはそのくらいのものか……」
「あ! あと、ブロードウェイ・ミュージカルの『キャメロット』も見ました。ああ、こっちの方が本筋か。そういえば、ジョン・F・ケネディもこのミュージカルが好きだったとか……あ、〝ケネディ―キャメロット神話〟とかいうゴシップもありましたね? なんでもJ・F・Kはダラスで死んではおらず、彼を回復させるべく、奥さんのジャクリーヌ夫人が再婚したオナシスとともに船である島に運んだんだとか……確か、彼の大統領時代を〝キャメロット〟とも言いましたっけ? おお、なんか、だんだん思い出してきたぞぉ……」
「そのミュージカルの原作もT・H・ホワイトだな。まあ、ケネディの話はプレスリー並のゴシップだとしても、確かに〝回復のため、船で島に運ばれる〟というところはアーサー王の最後そのものではある……それはともかく、どうやら〝歴史上の〟アーサー王についてはあまりよく知らないようだ。簡単に凡そのところを話しておいてやろう……」
この偉大なるブリテンの王について、アルフレッドがほとんど知識を持っていないらしいとわかったアダムスは、そう断りを入れると彼にまつわる講義を長々とし始めた。
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