ⅩⅢ ティンタジェルへの船旅(4)

 階段を上ると道は二方向に分かれ、左の平坦な遊歩道を行けば観光用の駐車場へと到り、もう一方の右の階段を登るとさらに二手に分かれる。


 その片方の恐ろしく長く急な石段は半島側の断崖絶壁上にある砦の跡へと続き、残り一方の谷間に架かる橋がティンタジェル島へ向かう唯一の道であり、橋を渡って、さらに長く険しい階段を登って行くと、島の上部に残る崩れかけたノルマン時代の城砦に辿り着くのである。


 もし逃げ出すとすれば、絶好の好機である駐車場側との別れ道に至った時、人知れずジェニファーの目と、彼女の身を案じるランスロット卿の目がランタンの薄明かりの中で合った。


 ランスロット卿は仲間に気付かれぬよう、眼だけで「早く逃げろ」と彼女にメッセージを送る。


 だが、それに対してジェニファーは微かに首を横に振って、その意見には従えぬことを彼に伝えた。ランスロット卿はさらに強く眼で彼女に意見するが、それでもジェニファーは聞こうとはせず、より頑なに拒否の意思をその瞳に込めて見つめ返す。


 ランスロット卿はなおも諦めず、もう一度、彼女の説得を試みようとしたが、その前に一行は右の階段を登り始め、彼らの無言の会話は平行線のまま、ティンタジェル島へ渡るための橋を進んで行った。


 橋に続く階段は狭いので、ベディヴィエール卿を先頭に一団は縦一列となって上って行く……。


 ジェニファーは宝珠の入った箱を持っていることから、行列の中程にランタンを持った者に挟まれる形で、同じく木箱を運ぶモルドレッド卿、ガヘリス卿の後に続き、お宝が気になるのか、アルフレッドはそのまた後につけている。ジェニファーを気に掛けるランスロット卿の位置はさらにそのまた後だ。


「皆、存じているように、ここティンタジェル城は我らが偉大な王アーサー生誕の地とされている場所だ!」


 激しい海風が吹き付ける細く急こう配な階段を上りながら、ベディヴィエール卿が観光ガイドよろしくティンタジェル城の説明を始める。


「だが、現在見られる廃墟と化した城砦は13世紀にノルマン人・コーンウォール伯レジナンドが築いたものであり、アーサー王とはまったく関係がない」


「え⁉ そうなんすか?俺もずっとアーサー王の城だと思っていましたよ。そんじゃ、アーサー王がここで生まれたというのもまったくの嘘……」


 さらりと口にしたその衝撃発言に、すぐ後にいたコーンウォール出身のトリスタン卿が思わず口を開いた。他のあまり歴史には詳しくない者達にも動揺が広がる。


「まあ、話は最後まで聞け。城自体は今言った通りだが、ただし、ラルフ・ラドフォードなどの発掘によって、5~7世紀の修道院と思われる石とスレートでできた長方形の遺構や、ローマ風のワイン、油なんかを入れる壺〝アンフォラ〟などが発見されており、ローマ街道の道標なども出土していることから、おそらくは3、4世紀までにローマの支配下に入り、ローマ人がブリテン島を去った後――すなわち〝アーサー王の時代〟には、この地にやってきたケルト人の築いた城砦か、もしくは商業の中心地があったものと推測されている」


 先走るトリスタン卿を制し、ベディヴィエール卿は先を進める。


「仮にコーンウォールがドゥムノニア王国の支配地域に入っていたとして、ドゥムノニアの支配者が夏に過ごす居住地であったと考える説もある。また、700年頃に編纂された『ラヴェンナ・コスモグラフィ』という文献に〝砦もしくは城壁に囲まれたコルノウィ族の居住地〟として〝プロコロナウィス〟という地名が見え、これがローマ時代のこの地の名称〝ドゥロコルノウィウム〟と類似点が多いということも指摘されている」


「そうなると、やはりアーサー王とは関係ないということのような……」


 今度は、トリスタン卿の後に続くガウェイン卿がぽつりと呟く。


「いや、ところがだ。1998年にグラスゴー大学の発掘チームがティンタジェル島を発掘したところ、とんでもない物が出てきてしまったのだ」


「とんでもないもの?」


「それは5~6世紀の準ローマ時代、つまりはアーサー王がいたとされる時代の下水溝の蓋なのだが、そこにはラテン語・初期アイルランド語・ブリテン語の三言語で〝PATER\COLI AVIFICIT\ARTOGNOV〟と記されていた。これは〝コルの末裔の父アルトグノウがこれを造らせた〟と解読されたが、この〝アルトグノウ〈ARTOGNOV〉〟はブリトン式だと〝アルスノウ〈Arthno〉〟であり、〝Art〟もしくは〝Arth〟はケルト語でクマを意味し、それはつまり、アーサー〈Arthur〉にも通じる名前なのだ」


「ああ! んじゃあ、やっぱりここはアーサー王の城なんだ!」


「うむ、それはもう間違いない」


「そう……けして、ここティンタジェルがアーサー王と関係ないなどと言い切ることは誰にもできないのだ。一説に、アーサー王はドゥムノニアの王の一族であったとも言われているしな」


 歓喜の声を上げるトリスタン卿とガウェイン卿に、ベディヴィエール卿も満足げな笑みを揺らめく松明の炎の中に浮かべ、最後にそう付け加えた。


 そんな話をしている内にも、一行は果てしなく続くかに思われた階段を登り切り、ティンタジェル島の絶壁の上に建つ朽ち果てた石の城へと到着する。


 先ず目にするのは修復されたノルマン時代の城壁で、そこに開くアーチ状の小さな入口に付けられた新しい木のドアを潜れば、崩れかけの石壁がかつての城砦の姿を比較的よく残している場所へと出られる。


 崩れてはいるが、スレートを積み上げて作った壁にはかつて窓やドア枠であったらしき穴がよく残るものもあり、往時の様子がそれなりに忍ばれる。


 それ以外にも、厳しい海風に耐え、傾斜のきつい地面に張り付くようにして生える雑草に覆われた島の上には、礼拝堂、庭園、井戸などの朽ち果てた残骸やら、ごつごつと奇怪な形をした岩やらがそこここに点在しており、今でこそ観光用に遊歩道が整備されていたりはするものの、よくもまあ、こんな所に人が住んでいたと感心する程の、なんとも荒涼とした風景の広がる場所だ。


「…ハァ……ハァ……ふへえ、やっと着いた……ひえ~、こりゃまたスゴイとこっすねえ……」


 木戸を潜り、城壁の途切れた部分から下を覗いたアルフレッドは、上がった息も飲みこんで恐ろしげに声を上げた。


 垂直に切り立った断崖下の海面まではどれほどの高さがあるのだろうか?漆黒の口を開けた底なしの闇からは、ごうと吹き上げる海風と共に、ただ浪の音だけが不気味に聞こえてくるのみである……落ちたらまず助かりそうもない。


 その深い谷を挟んだ対岸にも同じように半島側の城砦跡があるはずなのだが、今は暗くて黒い山のようにしか見えない。


 その代わりと言おうか、さらにその向こうのティンタジェルの町側には、〝キャメロット・キャッスル・ホテル〟なるアーサー王の城を模した、なんとも物好きなホテルの明かりが暗闇に輝いていた。

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