間章 パロミデス卿――アヴドゥル・バットゥータ(28歳)の診察体験(1)
「――アヴドゥル・バットゥータさん……ご出身はどちらで?」
カウンセラーは、私の顔を見つめながら最初にそう尋ねた。
それは、私の名前とこの顔立ちを見ての質問であろう。
「国籍はGBD(※英国属領市民)です。子供の頃に家族とともにイラクからこちらへ移り住みました」
「ほう、イラクから……現在はロンドンにお住みのようですね。お仕事は会社員と……」
次に、彼は私が先刻記入した問診票に目を落としながら確認する。
「ええ。貿易会社に勤めています。少し前までは北アイルランドにある支社にいましたが、今年からロンドンの本社勤務になりました」
「ふむ。そうですか……で、お抱えになっている問題は三角関係とありますね」
「はい……」
三つ目の質問に私はそう答えて頷いたが、正確に言えば、それは三角関係などではない……この問題は、一重に私一人の勝手な横恋慕にあるのだから。
「もう少し詳しく教えていただけますか?」
そんな私の心の内を見透かしているか、中年のカウンセラーは容赦なく訊いてくる……いや、それはただの思い込みなのかもしれないのだが。
「実は……私が本社に異動して来たのと同時に、新採である重役の娘さんも同じ課に配属となったのですが……」
私は意を決して、私の心の闇を語り出す。
「……私は、一目で彼女の虜になってしまいました」
「ほう、一目惚れですか? それはさぞかしお美しいご婦人なのでしょうな」
「はい。それはもう……今までに見たどの女性よりも美しく、輝くような金色の髪と透き通るように白い肌を持った、上品で、それでいて奢るところのない、まるで少女のようなうら若き乙女です」
私は少々気恥ずかしさを感じながらも、彼女の麗しい姿を心に思い浮かべ、なんだか嬉しいような気分になって饒舌に語った。
……だが、その後すぐに現実を思い出し、その感情も瞬く間に消え去る。
「ですが、彼女が私の方を振り向くことはありませんでした。私と同じく本社に異動してきた若い同僚の方を彼女は選んだんです」
「なるほど。それで三角関係ですか。では、その同僚の方も彼女のことを?」
「ええ。あれほどの女性ですから、彼が惹かれるのも当然です。つまりは……私などがつけ入る隙のない相思相愛の仲なのです」
その認めたくない現実に胸を締め付けらるような苦痛を感じながらも、私はカウンセラーに真実を告げる。
「そうですか……しかし、そうとわかっても、あなたはその女性を諦めなかった」
「いえ、一度は諦めようとしました……彼女が彼の方を選んだのも無理のないことです。彼は生粋のイングランド人で容姿も良く、優秀で、年も彼女と同じくらいの、彼女には似合いの美男子ですから……比べて私は外国からの移民で、容貌もこちらの人間とは異なりますし、それに宗教の問題も……」
私は自虐的に絶望感を強めながらも、自身の抱える問題を並べていく。
「私はムスリム(※イスラム教徒)ですが、彼女は敬虔なクリスチャンですから」
「ふうむ……それはなかなかに難しい問題ですな。でも結局、あなたは諦め切れなかったわけですね?」
「はい……頭では割り切っていても、心を偽ることはできませんでした」
カウンセラーの眼は、やはり私の心の内を見透かしているようだ……そう。私は彼女を諦め切れなかったのである。
「無論、それが惨めで女々しいことだというのはわかっています。ですから私は二人のことを認め、潔く身を引こうと思いました。その相手の同僚にも、同じ会社の仲間として親しく接しようと努力しました……ですが、彼女が彼と親しく話している姿を目の当たりにすると、どうしても対抗意識を燃やさずにはいられなくなってしまうのです」
私はカウンセラーの目を見ようとはせず、前に置かれたテーブルの上に視線を落としたまま、己の恥部を淡々と話して聞かせる。
「そうなると、なんだか頭に血が上って、人として有るまじき卑怯な行為も私は平気でしてしまいます。何度か仕事上で失敗するように仕向け、彼を陥れようとしたこともありました。しかし……いや、当然というべきですが、そんな卑劣な行いをする私を彼女は嫌い、避けるようになっていったのです」
無論、こんなこと他人に話すのは初めてであるが、相手がカウンセラーであるために安心したのか、そんな人聞きの悪い話もまるで堰を切ったかのようにぺらぺらと語ってしまう。
「自業自得といえば自業自得ですが、彼女のことを考えると、私は自分を自分でどうすることもできなくなってしまうのです! もう、何をどうすればいいのかわかりません。先生、教えてください! いったい私はどうしたらいいのでしょうか!」
ついには感極まり、私は思わず声を荒げて、祈るようにカウンセラーへ助けを求めた。
「落ち着いてください。バットゥータさん。あなたのお抱えになっている問題がどういったものなのかはわかりました。そして、それが何に起因するものなのかも」
「起因……?」
興奮する私をなだめ、穏やかな声で話しかけるカウンセラーであるが、しかし、私はその言葉の意味をよく理解できない。
「原因は極めて簡単なものではないのですか? 私が彼女に強い恋心を抱いているという……」
「いいえ。それは原因ではなく、むしろ結果なのです……あなたは、アーサー王の円卓の騎士の一人、パロミデス卿をご存じですか?」
当惑する私の問いに、カウンセラーはさらに奇妙なことを言い出した。
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