ⅩⅤ アーサー王の帰還(2)
その日の早朝、ハンプシャー州・ウィンチェスター……。
あのヘンリー八世の〝円卓〟が掛るグレートホールからそれ程遠くない距離にある通り沿いに、輝くオレンジ色の朝日をガラス壁に反射させて、周囲の煉瓦や石造りとは一風変わった赴きの建物が涼やかに建っている……。
ガラスと鉄骨をふんだんに使ったその造作は、おそらく1951年のロンドン万博でハイドパークに建てられたパビリオン―
在りし日の
ガラス張りではあるが、透明な壁の向こうは秘密のヴェ―ルに覆われ、外からは決して覗い知ることのできぬ彼らの城の中で、アルフレッドは刃神達の期待を他所に、今後の身の振り方を悩んでいた。
「逃げるべきか、逃げざるべきか……それが問題だ……」
アルフレッドは中世騎士の鎧を木箱にしまいながら、『ハムレッド』を気取った台詞を他の者には聞こえないよう、小声で呟く。
「皆、急ぐのだ! もたもたしていると、官憲に包囲されてウィンチェスターを出れなくなるぞ!」
その背後では、忙しなく行き交う騎士達の足音と、その騎士達を急かすベディヴィエール卿の声が聞こえている。
現在、アルフレッドは他の円卓の騎士達とともに、地下の武器庫でこのティ・グウィディルを引き払うための荷造りをしているのだった。
その作業は、まだ日も出ない内にここへ到着してから休む間もなく始められた。無論、マリアンヌが心配するまでもなく、いつ警察の手が回ってもおかしくないとわかっているからである。
「もしここで警察に捕まったら、俺も共犯にされてヤツらと一緒に一生ムショ暮らし…いや、下手すりゃ〝これ〟もんだよ?」
アルフレッドはまた小声で独り言を呟き、指でキュっと首にかけた縄を絞める仕草をしてみせる。
「それに万一、俺もあのエニード夫人みたくスパイだなんてわかった日にゃあ、ヤツら本気で俺を八つ裂きにして、その上、火焙りにまでしかねない雰囲気だからな……ぶるぶる、おお、怖……」
続けて葬儀の時の騎士団の様子と、けしてないとはいえない自身の処刑される姿を思い浮かべ、彼は青い顔で身震いをする。
少し戻って昨晩の行動から話をすると、ティンタジェル城をボートで脱出した彼らは、母船のプリドウェンへと戻り、さらに警察の手の届かぬ沖へと出ると、そこで亡くなったガヘリス卿の葬儀を執り行った。
船上で仲間達に見守られながら、牧師服に着替えたガラハッド卿の祈りの言葉を受けた彼女は、その後、鎧姿のままボートに再び乗せられ、騎士らしく剣を胸の上に戴いて、そのまま大海原へと流された。
それは、ゆっくり葬儀を行っている時間がないという理由もあったが、潜入したマクシミリアンとジェニファーに顔を知られ、今や立派なお尋ね者となった彼女を教会で弔ってやることも、また公共の墓地に埋葬してやることもできなかったためでもある。
とはいえ、遺体を舟に乗せて流すという方法は、ランスロット卿に恋焦がれ、報われぬ片思いの末に亡くなった〝シャルロットの姫君・エレイン〟のように、アーサー王伝説に登場する人物にはよく見られるものであり、新生円卓の騎士の一員であった彼女としては似合いの葬送だったと言えるのかもしれない。
ただし、ランスロット卿に対して恨みの念を抱く彼らの内に、そう思っていても口に出す者は誰一人いなかったのではあるが……。
また、牧師を志していたガラハッド卿がその場にいたことも、不幸な死を迎えた彼女にとってはせめてもの幸いであったろう。
青年司祭の朗々と読み上げる祈祷文が夜の海に響く中、騎士達は皆、悲しみに暗く沈んだ瞳を冷たくなった仲間の上に力なく落としていた。
中にはガウェイン卿など、大粒の涙を流し、すすり泣く声を洩らす者さえあった。
……しかし、葬儀に列する騎士達を覆っていたのはそんな悲壮感ばかりではない。
ただ独り、昨日今日あったばかりの者の死に特別な感慨を持てないアルフレッドは、皆に合わせて沈痛な表情を造りながらも、彼らの淋しげな背中から周囲の闇に沁み出る、裏切り者に対する怨嗟の念をひしひしとその肌に感じていた。
特に妹のような存在だったガヘリス卿を殺されたガウェイン卿の怒りはひとしおで、ほんの僅か、指先だけでも彼に触れれば、その煮えたぎる恨みの炎で焼き尽くされてしまいそうな激しさである。
そして、その悲しみと怒りに包まれた葬儀を滞りなく終えた一行は、すでに捜査の網が張られている懸念も多少はあったが、密かにもと来たサウサンプトンへと進路を取り、警察の対応の遅れか、思った以上に何事もなく寄港すると、来る時に停めておいたワゴン車二台に乗り換え、こうしてウィンチェスターの根城へと戻って来た訳である……。
ああ、やっぱしティンタジェルで逃げとくべきだったかなぁ……思わずついて来ちゃつたけど、なんか、このままここにいると、ものすごくヤバイことになる気がしてならない……。
アルフレッドは、心の中でなおもぼやく。
居所はこうして摑んだことだし、別にもう仲間の振りしてなくても、後はこっそり尾行してれば問題ないでしょ? 譲ちゃんからの返信じゃ、旦那の怪我も結構ひどいみたいだから、いつ来てくれるかもわかんないし……これ以上長居してたら、冗談じゃなくスパイだってバレる危険性もある……うん。ここはやっぱし、隙を見て逃げ出すことにしよう!
「何をぼうっとしているケイ卿。そんな暇はないぞ?」
今後の身の振り方に悩むあまり、手が疎かになっていたアルフレッドをベディヴィエール卿が諌めた。
「おっと! ……あ、ああ、すみません。ちょっと今後の自分の運命が心配になってたりしまして……」
我に返ったアルフレッドは、己の心の内を見透かされてはいまいかと、ビクビクしながら取り繕う。
「何、心配は無用だ。このティ・グウィディルを引き払っても、すぐに我らの新しい城は見付かる。新生円卓の騎士団はこれまで通り。なんの問題もない……さ、そんなことは気にせず、今度はそこの剣をしまうのだ。それ、その〝石に刺さってる〟やつだ」
すると、アルフレッドにとっては好都合にも、どうやらその言葉を取り違えてくれたらしく、ベディヴィエール卿は頼もしく彼を諭して、気を紛らわせようと指示を与える。
「あ、はいはい。これっすね……ああ! これは…」
その指差された壁際を見ると、そこに置かれていたのはワイン樽ほどの大きさの岩に金床がめり込み、その金床に一本の長い剣が突き刺さっているという奇妙な代物であった。
その物体にアルフレッドは見憶えがある……それは、旧トゥルブ家邸博物館の開館にあたり、彼がアーサリアン向けに用意した玩具の〝石に突き刺さった剣〟の見本だったのだ。
「いや、懐かしいな。こんなもんまで一緒に盗んできてたのか……」
アルフレッドは驚きとある種の憧憬の念を持ってそれを見つめる。
その〝本物〟を意識して精巧に作られた玩具の剣は、博物館が円卓の騎士団に襲われたあの夜、生前のハンコック博士との最後の会話でも話題に上った品である。
「けっきょく、ハンコック博士にはこれで遊んでもらわずじまいになっちまったなあ……」
亡き人を偲びつつ、アルフレッドは何気に剣の柄に手をかけると、するりと金床から引き抜いてみた。
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