間章 モルドレッド卿――ミシェル・ラトクリフ(19歳)に関する覚書

 彼女との出会いは、まったくの偶然だった。


 いや、これも運命の導きであるというのならば、必然というべきだろうか?


 二月初めのある冬の寒い日、彼女は突然、私の所へ転がり込んで来たのだ。


 〝転がり込んで〟というのは比喩表現ではない。文字通り、いきなり玄関のドアが開いたかと思うと、彼女が転がるように部屋の中へと飛び込んで来たのである。


 見れば、彼女の綺麗な黒髪はぼさぼさに乱れ、顔や腕にはいくつかの痣を作っている。


 無論、恋愛カウンセリングを受けに来たというような様子ではない。

 そこで事情を聞いてみたところ、同棲していた性質たちの悪い男に暴力を振るわれ、逃げている最中なのだということを彼女は荒い息遣いで手短に語った。


 それから、今しばらくここに匿ってほしいということも、切迫した表情でそこに付け加えて。


 なるほど。所謂、家庭内暴力ドメスティック・バイオレンスというやつだ。


 どうやら近くのマンションに住んでいたらしく、そこからの逃走途中、ここの裏口を見付け、慌てて逃げ込んだらしい。


 彼女の要求は、追手の男が諦めてどこかへ行ってしまうまでのほんの少しの間、ここに隠れていたいというただそれだけのことであった。


 しかし、ランスロット卿とガウェイン卿を円卓の騎士団に迎え入れたばかりのこともあり、彼女にも可能性があるのではないかと思った私は、数日間、彼女をここへ置いて、その性質を確かめてみることにした。


 行く宛てもなく、追われる身であった彼女は、その提案に迷うことなく同意した。


 ただの思い付きではあったが、私がそんな気になったのも、あるいは彼女の内にさす濃い影の部分に、無意識ではあるが気付いていたためなのかもしれない。


 顔には暗色系の濃い化粧を施し、攻撃的な金具の付いた黒い革のライダースジャケットを羽織った彼女は、その外見通りにやさぐれた少女だった。


 けして他人に心を開こうとはせず、最初の内はこちらの質問にも素直に答えてくれなかったので正直苦労した。


 本名はミシェル・ラトクリフ。その世間を冷やかに見つめる黒い瞳は妙に大人びて見えたが、まだ19なのだという。


 ここへ匿って一週間が経とうとしている頃、ようやく聞き出せた話から、彼女が複雑な家庭環境の内に育ったらしいことが段々とわかってきた。


 高校卒業と同時に家を出るまで、彼女は両親とともにウィンザーの高級住宅地にある家で暮らしていたらしい。


 父親はシティで働く証券マンだそうで、不良少女のわりにはどことなくその言葉使いや振る舞いに品の良さを感じるのは、そうした裕福な上層中産階級アッパーミドル・クラス出身だからなのだろう。


 だが、彼女はけして何不自由ない幸せな家庭で育ったお嬢様というわけではない。話はそう単純ではなく、実はその一緒に住んでいた父親という男は、彼女の本当の父親ではないらしいのだ。


 なんでも、彼女は母親が不倫相手との間にもうけた子供なのだという。しかも、そのことはその義理の父親も知っていて、それでもなぜか母親と別れることはなく、彼女のことも実の子供として可愛がってくれていたのだそうだ。


 とはいえ、当然のことながら、その背徳の事実は父と母との間に複雑な感情を生み、表だって争うことこそなかったが、どことなくぎくしゃくとした、作りもののような家庭生活を送っていたのだと、言葉少なに語る彼女の口振りから私は推察することができた。


 これは、私の隠しておいたスコッチを盗み飲み、強かに酔った彼女がうっかり口を滑らせてしまったために運良く知れたことなのであるが、幼い頃、珍しく父親と激しい口論をしていた母親が、彼女を見下ろして「あなたさえいなければ…」と言ったことがあったのだという。


 それがどういう意味なのかを、彼女は幼心ながらに、ずっと疑問に思って過ごしていたらしい。


 自分の出生にまつわる秘密を、彼女がいつ、どういう経緯で知ることとなったのかまでは聞いていない。


 だが、そんな出自と家庭環境が影響してか、高校生の時分から彼女は荒んだ生活を送り始め、そして、ついには家出同然に親元を飛び出したようである。


 その後、彼女がさらに荒み切った暮らしを送っていただろうことは容易に想像が付く。


 盗み、売春、ドラッグ……悪いことは一通りやってきたらしい。


 また、どうにも彼女には男運がないみたいで、これまでに付き合った男は今の暴力を振るう彼氏に始まり、マフィアの手先だの、薬の売人だの、挙句はテロリスト集団のリーダー格だの、あまりまっとうとは呼べない類の者達であったようだ。


 こうした彼女の悲運に満ちた半生に、普通ならば憐れみや同情の念を禁じえないところなのかもしれない。


 だが、私としては、それとはまた違う感情を抱くこととなった。


 つまり彼女の生い立ちは、モルドレッド卿のそれに似ているのではないかということである。


 そこで、私は彼女にカウンセリングを施すことにした。ただ、彼女の場合、少々苦労したのには先の二人と異なり、長い時間をかけてゆっくり慎重にことを進めねばならなかったことだ。


 ただでさえ信じられぬような話をするのである。先ずはそれなりの信頼関係というものを彼女との間に築いておかなくてはならない。


 そうしてゆっくりと彼女の心を解きほぐしてゆき、さらに一週間の時を置いて期の熟すのを待った後、いよいよ私はあの一言を彼女に宣告をする。


 君はアーサー王の円卓に名を連ねたモルドレッド卿の生まれ変わりであり、そして、我々の仲間であるのだ、と。


 彼女がその話を一笑に付したことは言うまでもあるまい。


 しかし、彼女と類似するモルドレッド卿の生涯を語るにつれ、彼女の表情はみるみる真剣なものに変わっていった。


 まず、モルドレッド卿の生い立ちであるが、表向き、彼はアーサー王の異父姉モルゴースもしくはアンナという名の女生と、ロジアンのロッド王との間に生まれた子供ということになっている。


 しかし、流布本物語群サークル『アーサー王の死』を初出とするいくつかの物語では、モルゴースがアーサー王との間に近親相姦でもうけた不義の子であるとされているのだ。


 この話をした瞬間、彼女は絶句し、普段から血の気のない顔をさらに真っ青にさせた。


 それは、母親の不倫の末に生まれた子である彼女の生い立ちと非常に似通っており、そのような反応を示すのも当然かと思われたが、ここに私自身も予想していなかったさらなる新事実が隠されていたのだ。


 なんと、彼女の母親の不倫相手というのは、実の弟ではないにしろ、彼女の父親の弟――即ち母親にとっては義弟に当たる人物だったのである。


 それならば、この偶然の一致に驚くのも当然であろう。それだけでもう、彼女はモルドレッド卿との間に浅からぬ縁を感じ始めていたに違いない。


 だが、そんな彼女に続けて私は、疎外されていた彼の幼少時代のことについても語って聞かせてやる。


 一説に、かの魔術師マーリンは、暗にモルドレッドのことを示して「5月1日に生まれた子供がアーサーの王国を滅ぼすだろう」と予言し、 その結果、モルドレッドも含む国中の5月1日生まれの子供が集められ、船で海に流されたのだという。


  しかし、モルドレッドは奇跡的に助かり、ナブールという者に拾われて成長した後、騎士としてアーサー王の前に姿を現すこととなる。


 この話は、エクター卿に預けられ、騎士として育てられた父のアーサーとも似通っているが、おそらくは母に煙たがられていたであろう彼女の立場とも似てなくはない。


 多少、詭弁の観もあるだろうが、既に前の話で衝撃を受けていた彼女は、こちらの物語にも運命的なものを感じている様子であった。


 これには、ただの偶然とはいえ、彼女も5月生まれだったことがいくらかは影響しているのかもしれない。


 さらに追い打ちをかけるように、私はモルドレッド卿の濃い影に覆われたその人生を彼女に話して聞かせる。


 父ロッド王を殺したペリノア王の息子ラモラック卿をガウェイン卿ら兄弟とともに闇討ちしたり、ランスロット卿を貶めるため、アグラヴェイン卿らと一緒にグウィネヴィア妃との同衾の場に乗り込んだり、アーサー王がランスロット卿と戦をしている隙をついて謀反を起こしたりと、まるでその呪われし運命に抗するかのように、モルドレッド卿は悪行を次々に重ねていくのである。


 そんなモルドレッド卿の行動も、彼女の生き様とどこか似ているところがあった。


 私の語る話を聞き終わる頃には、彼女も自分がモルドレッド卿の生まれ変わりであるという信じ難い事実を半信半疑ながらも信じるようになっていたことと思う。


 そして、私は最後の仕上げのために、前の二人の時と同じように彼女にも退行催眠を施したのである。


 ただし、前世での過ちを繰り返さないようにとの用心から、古いウェールズの文献などによると、モルドレッドはけして悪者ではなく、偉大な英勇として見られていたらしいという情報もその中に織り交ぜながら。


 こうして、この日を境に彼女――ミシェル・ラドクリフは、我ら新生円卓の騎士団のモルドレッド卿となったのである……。

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