Ⅰ 本物の魔術武器(1)
スローター・ブリッジに12名の人影が見られた夜の前日午後。
ロンドン・ウエストエンド地区ピカデリー……。
六つの大通りが合流し、夜には大きなネオンの広告看板が煌めく交差点ピカデリー・サーカス……イングランドの首都ロンドンで最も賑いを見せるこの歓楽街の中心から少し南西に行った辺り、セント・ジェームス教会や
ピカデリーでも老舗の洋服店や煙草屋、紅茶店の並ぶハイソな街の片隅にひっそりと佇むその骨董屋アンティーク・ショップを
表の喧噪などまるで感じさせない静かな店内に、カラン…と客の到来を告げるドアに付けられた
「いらっしゃい」
その音に、カウンターで新聞を読んでいた店の主は気のない返事をして老眼鏡の隙間からそちらに視線を向ける。
すると、日本人にしては長身の身体に黒いロングコートを羽織り、頭にも同じく黒色のターバンを巻いた奇抜な服装ファッションが彼の目に映った。
「ああ、誰かと思ったら、サムライの兄さんか」
刃神の姿を確認し、この骨董店の老主人ウォーリー・フォレストはそのカーネルサンダース人形のような顔に笑みを浮かべる。
「だから、日本人の男が全員サムライじゃねえって言ってんだろうが。いい加減、そのもうろくした頭に叩き込みな。ああ、ちなみに女もみんなゲイシャじゃねえからな」
しかし、刃神の方は猛獣の如き危険な目をした顔をより一層凶悪にすると、白い口髭を生やした温和な初老の主人に悪態を吐く。
「じゃが、あんたはほれ、刀を帯びておる。やっぱりサムライじゃ……いや。背中に背負っとるからニンジャか?」
確かに主人の言う通り、刃神は刀剣類の入っていると思しき細長い革の袋を背負っていた。しかも二つも……とはいえ、その独特の
全身黒尽くめな上、異国情緒漂わせるターバンや両耳に着けられた小さな緑色の勾玉が下がるピアスは、どこか民俗的フォークロアな、シャーマンか魔術師を連想させるような風貌でもある。
歳は20代の後半ぐらいかと思われるが、その歳には不相応な、異様な威圧感がその身体からは滲み出している。
「別に刀持ってりゃ武士ってわけじゃねえ。それに今、俺の背中にあるのは
刃神は再び悪態を吐き、店内に所狭しと並ぶ骨董品には一切目をくれることなく、カウンターへと歩み寄った。
「ん? …ということは、そいつが今回の〝収獲〟かね?」
サンダース人形は一瞬、瞳を鋭くすると、刃神の背負う革袋を凝視して尋ねる。
「ああ。情報は確かだったぜ。こいつがその、教えてもらったユダヤ人資産家んとこからいただいてきた〝ダヴィデの剣〟と〝キリストの剣〟だ」
そう答え、ここへ来て初めて刃神は笑顔を作った。ただし、口元から鋭い八重歯を覗かせた、ひどく凶悪な笑みではあるが……。
「情報をもらった礼だ。オヤジにも拝ませてやるぜ」
そして、刃神は背負っていた二つの革袋を下ろし、カウンターの上に置く。
「ほう。これがかの聖杯探究の物語に出てくるガラハッド卿が手に入れたというダヴィデの剣と、円卓の騎士ガウェイン卿が持っていたとされるキリストの剣か……」
革袋の口紐を解き、中からそれぞれの物を取り出す刃神の手の動きを主人も興味津々な面持ちで見つめる……そのままの状態でしばらく待つと、カウンターの上には二本の古めかしい剣が姿を現した。
どちらも30インチ(約76センチ)くらいのやや短めの直剣で、片方はヘブライ語らしき文字が記された蛇革製の鞘に納められており、もう一方は銀色をした細かい鎖で編まれた鞘に納まっている。
また、蛇革製の鞘のものには柄尻の部分から麻製の垂布が下がっていた。
「どれどれ。それじゃ早速、失礼して、ちょいと拝見……」
断りを入れ、老主人は二本の内の蛇革の鞘の方を手に取ると、顔を近付け、老眼鏡越しにその柄や鞘をまじまじと観察する。
「ふうむ……蛇革の鞘に大麻の垂布。まさにガラハッド卿の聖杯伝説で語られている〝ダヴィデの剣〟――またの名は〝奇妙な垂布の剣〟の記述通りじゃな。わし、ヘブライ語はあまり得意じゃないが、そいつも話の通り、どうやら〝最強の者がこの剣を振るうであろう〟と書いてあるようじゃ」
「フン。まさに最強の俺に相応しい代物だぜ」
主人の感想に、刃神は俺様な態度で鼻を鳴らした。
「聖杯探究の物語では、パーシヴァル卿の妹の修道女ディンドラーネが垂布を自らの髪で編んだものに換えたと語られているが、これはダヴィデの息子のソロモン王の王妃が作ったという大麻製のもののままじゃな……どれ、身の方はどうじゃ?」
主人はそう言って蛇革の鞘から引き抜こうと柄を握る右手に力を込めたが、剣はびくともしない。
「んん? ……固くて抜けんな。世の聖剣の
なおも右手に力を込め、顔を真っ赤にしたカーネルサンダース人形は冗談めかしに呟く。
「ああ。そいつは長年鞘に納まったままで置いとかれたせいか、少々錆びついてて抜け難いんだ。どら、ちょいと貸してみろ」
そんな主人から剣を受け取ると、刃神もその柄をぎゅっと掴む。
「うぉりあっ!」
そして、掛け声もろとも馬鹿力に任せて強引に引っこ抜いた。
「な。こうやって、抜けにくい時は気合入れて抜くんだ」
「うーむ……確かに、ある意味〝最強の者〟にしか振えぬ剣のようじゃの」
剣を抜き、平然とした顔でそれを差し出す刃神に、主人は口元を引き攣らせて苦笑した。
「ま、それはそうと、剣身ブレイドの方にも〝我を抜く者は恥辱か生命の危機に瀕するであろう〟の文字がちゃんと書いてあるの」
再び観察を始めた老主人は、若干錆の浮かんだ剣の表面を注視して言う。
見ると、肉厚な剣身の中央に掘られた幅の広い血抜き溝の中にも、血のように真っ赤な文字で鞘と同じくヘブライ語が記されている。
「で、どうなんだ? 時代はいつ頃のもんだ?」
刃神がじれったそうに急かす。彼がこの剣を主人に見せたのは、どうやらそれを鑑定してもらいたかったためらしい。
「そうじゃな……さすがにソロモン王の頃の〝本物〟じゃないだろうが、かなり古いの……まだ鋼を用いず、鉄の剣身を肉厚にして強度を保とうとしている形状からすると、11~14世紀中頃までにヨーローッパで作られたロングソードのように見えるの。おそらくは13世紀以降にフランスかどこかで作られたもんじゃろう」
「13世紀?」
「ああ。アーサー王の騎士達による聖杯探究の物語が大流行した時代じゃからの。そして、この剣の持ち主ガラハッド卿は、1215年~1225年くらいに書かれた『流布本物語群サイクル』において、初めて聖杯探求の主人公として登場する」
「つまり、ガラハッド卿なくして、この剣も出てこねえってことか」
「その通り。ま、よりガラハッド卿がクローズアップされるのは15世紀後半に書かれた、かのサー・トーマス・マロリーによる『アーサー王の死』からじゃがの。故に、それ以降ってこともあるが、剣の形状なんかからしても、その辺が妥当じゃろ。それに12~13世紀はイングランドとフランス北西部に跨るプランタジネット王朝及びその周辺の国々で、アーサー王伝説自体も非常に持て囃されていた時期じゃ。大方、その流行に乗って、どこぞの貴族が自慢するためにでも作ったんじゃろうて」
「なるほどな。13世紀か……そいつはいいぜ。で、こっちのキリストの剣の方はどうだい?」
刃神は老主人の回答に満足げに呟くと、今度はもう一本の剣の方を顎で指し示しながら訊いた。
「ん? こっちか? ちょっと待ってくれ……」
主人はダヴィデの剣をなかなか入れづらい蛇革の鞘に苦労して納めると、今度は銀鎖の鞘を持つキリストの剣の方を手にする。
「この鞘や柄の形状からすると、確かにイエスが生きていた古代ローマ帝国時代の歩兵用のグラディウスか、もしくは騎兵用のスパタじゃな……長さからするとスパタの方か」
ぶつぶつと語りながら、老主人は微かな金属音を立ててその剣を引き抜く。
「剣身もやはりグラディウスかスパタの典型的形状じゃな……が、新しいの」
「新しい? ……古代ローマの刀剣の特徴を持ってるんじゃねえのか?」
片目を瞑り、顔の前に掲げた剣身を柄の方から眺めて答える老主人に、刃神は訝しげな皺を眉間に寄せて尋ねた。
「いや。そこが問題なんじゃよ。こいつはどうにもでき過ぎとる。遺跡からの出土品を基に復元したって感じじゃの。剣身の作りも新しい……こりゃ、早くても現代に入ってからのもんじゃな」
「そんなに新しいのか? ……ハァ…ダヴィデの剣の方は良かったが、そうとわかると、こっちのはなんだな……」
先程は喜んでいた刃神も、こちらの鑑定結果にはかなり落ち込み、大きく溜息を吐いた。
「ま、伝説ではイエスが14歳の時に造り、後に円卓の騎士のガウェイン卿のものになったという話じゃが、そんなもの実在するとは到底思えん。ダヴィデの剣にしてもそうじゃ。本物じゃないのは最初からわかりきっとることじゃよ」
「いや、ダヴィデの方は俺の求めるものとしちゃあ、〝本物〟だったんでいいんだけどよう。こっちのキリストの剣の方はどうにもなあ……」
しかし、さも当然といわんばかりに諭す主人に対して、刃神は奇妙なことを言う。
「ん? 本物? ……いや、じゃから、そっちも紀元前10世紀頃のダヴィデの時代とは程遠い13世紀以降のもんじゃと言っておるじゃろ?」
「いや、別に正真正銘ダヴィデ本人のもんじゃなくてもいいんだ。そこは問題じゃねえ……」
「んん? ますますわからんのう。時代の差こそあれ、ダヴィデの剣もキリストの剣も言ってみればどちらも偽物。どこに違いがあるんじゃ? まあ、偽物でも近代よりは13世紀のものの方が魅力的なのはわかるが……いや、そもそも、お前さんが求めているものっていうのは一体なんなんじゃ?」
よくわからぬことをブツブツ呟いている刃神に、主人はひどく訝しげな顔をして尋ねた。
「ああん? だから前にも言っただろ? 俺が求めてるのは魔術的な力を持った武器――
意気消沈していた刃神は視線を上げ、ひどく面倒臭そうにそう答えた。
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