ⅩⅢ ティンタジェルへの船旅(2)

「ジョンサン……」


 彼を見たジェニファーは驚いた様子で呟く。


「ジョナサン?」


 その名を耳聡く広い、アルフレッドも怪訝そうに物影で呟く。


「やあ、君の部屋へ行ったんだけど、留守だったんで探したよ……ジェニファー」


 固まるジェニファーに、ランスロット卿はどこか力なく片手を上げると、気拙いような、淋しいような、奇妙な微笑みを浮かべて声をかけた。


「……ええ。わたしも後であなたの所へ行くつもりだったわ」


 それに、ジェニファーは意を決したように唇を噛みしめて答える。


「そうか……ずっと他の者が一緒で邪魔だったけど、これでようやく二人っきりで話ができる」


「そうね。お互い、自分の仲間には知られたくないですものね……わたし達が〝元恋人〟だったなんて」


 も、元恋人~っ⁉ ……はあっ? なんだ、その展開? 何がどうなってるんだ?


 突然の予想だにせぬ話に、物影のアルフレッドは心の中で驚愕の声を上げる。


「驚いたよ。君がまさか円卓の騎士団に入ってくるとはね」


「わたしもよ。まさか、あなたがこんな所にいたなんて」


 先程の言葉通り、二人は旧知の間柄であるらしく、懐かしげな眼差しでお互いのことを見つめている。


「君の旦那だという男も刑事かい? まさか、離婚して再婚したなんてことはないだろ?」


「あら、妬いてるの? わからなわよ? あなたがいなくなった後、そんな心の変化があったかもしれない」


 尋ねるランスロット卿…否、元恋人のジョナサン・ディオールに、ジェニファーは悪戯っぽく笑みを浮かべてそう答えた。


「いいや、それはない。僕の時にも離婚はしなかったんだからね。君は恋人よりも刑事としての仕事を選ぶ女性だよ」


 だが、ランスロット卿は首を横に振り、きっぱりと言い切る。


「フフ…やっぱりよくわかってるわね……ええ。離婚はしてないわ。もう完全に仮面夫婦だけどね……エレック卿は刑事じゃないけど、当らずも遠からずの人間よ」


「そうか……じゃあ、やはり潜入捜査でここに来たんだね。さすが、優秀な刑事だよ、君は」


「刑事……か」


 ランスロット卿の言葉に、ジェニファーは自嘲するように微笑んで呟く。


「わたしね。確かに肩書は刑事だけど、今はほとんどそれらしい仕事をさせてもらってないの……あなたとのことがあったから、いわゆる〝窓際へ追い遣られた〟ってとこ? 今回の捜査もヤードの指示じゃなく、わたしが接待役に付けられたマック…いえ、エレック卿の独断で動いているだけだわ」


「そうか……すまない……」


 手摺りに身体をもたせ、細波さざなみに煌めく海を眺めながら語るキャサリンの背中に、ランスロット卿は苦悶の表情を浮かべて謝罪の言葉を述べた。


「別にあなたが謝ることないわ。過ちを犯したのには、お互いに責任があるんですから……それよりも、あなたの方こそ、どうしてこんな所にいるの? どうして円卓の騎士団なんかに?」


 不意に振り返って彼の口を遮ると、ジェニファーは尋ね返す。


「……あの後、僕は長い間、思い悩んだ。なぜ、こんなことになってしまったのか? どうすれば、君を忘れることができるのか? とね……そして、偶然、ベディヴィエール卿のカウンセリングと出会い、ようやくその答えを見付けることができた。すべては、僕がランスロット卿の生まれ変わりだったからだったんだ。だから、僕はこの罪に塗れた運命を今度こそ克服するために、こうして同じ円卓の仲間達と共にここにいる」


「何を言っているの? あなた、まさか本気で生まれ変わりだなんて信じてるの?」


 正気とは思えないことを真面目な顔で言うランスロット卿に、ジェニファーは先程とはまた違う驚きをその青い瞳に浮かべる。


「ああ。君はおそらくカウンセリングの時、ベディヴィエール卿を騙して話を合わせでもしたんだろうが、僕は退行催眠をかけられて、確かにかつて自分がランスロット卿だった時の記憶を思い出したからね」


「退行催眠って……そんなの…」


 そう震える唇で言いかけた彼女の口を遮り、ランスロット卿は続けて問う。


「それで、君はどうするつもりだい? やっぱり、仲間と打ち合わせてティンタジェルで僕らを逮捕させるのかい? あのエレック卿を名乗る男はそのために残ったんだろう?」


「……え、ええ、もちろんよ。わたしは刑事で、あなた達は犯罪者なんですから」


 ジェニファーは気を取り直し、毅然とした態度できっぱりと答える。


「でも、君は刑事と言っても、蚊帳の外なんだろう? だったら、そこまで警察に義理立てすることはないじゃないか?」


「それは……」


「それよりも、このまま僕と一緒にこの円卓の騎士団に留まって、騎士道の理想を追い求めてはみないかい? ここには警察と違って君の才能を生かす活躍の場がある。ああ、そうだ!君はエニードなんていう偽りの前世じゃなく、もしかしたらグウィネヴィア妃かカルボネックのエレイン姫の生まれ変わりなのかもしれない……いいや、グウィネヴィア妃だな。君は、僕と出会った時のことを憶えているかい?」


「え? ……ええ。うちの課の捜査に、犯罪捜査局からタワーハムレッツ特別区に出向していたあなたが応援に来たんだったわね」


 突然の振りに当惑しながらも、その時のことを思い出してジェニファーは答える。


「そう。あれはマフィアのマネーロンダリングに関する捜査だった。打ち合わせ会議の時、初めて顔を合わせた僕らは一目でお互い恋に落ちた……君の旦那が、うちの作戦指揮班を仕切る警視正だとわかっていてもね」


「ええ。そんなことは、わたし達にとってなんの縛りにもならなかった。例えもっと大きな障害があったとしても、きっとわたし達はお互いを求めていたんだと思う……神様もひどいことするわね。そんなわたし達を出会わせるなんて……」


「ああ、まったくだ。それなら、なぜもっと早くに出会わせてくれなかったんだと何度も自分の運命を呪ったもんだよ……それはともかく、その捜査で、僕は囚人の振りをして護送車に乗っただろう?」


 過ぎ去った過去を懐かしむかのように儚い微笑みを湛えるジェニファーに、ランスロット卿も淋しげな笑みをその顔に浮かべて本題に戻る。


「そういえば、そんなこともあったわね。確か、別件で捕まったマフィアの一人に近付いて情報を聞き出すためだったかしら?」


「そうだ。僕は君の課を…いいや、君を助けるために囚人護送車に乗ったんだ。いわば、ランスロット卿がグウィネヴィア妃を救うために、囚人を運ぶ荷馬車に乗ったのと同じだ。それだけじゃない。君はアーサー王の王妃グウィネヴィアと同じように、やはり僕の上司の妻だった。僕がランスロット卿であるとともに、君もグウィネヴィア妃なんだよ」


「わたしが……グウィネヴィア妃……」


「そうさ。僕らの境遇は、まさにランスロット卿とグウィネヴィア妃のそれと一緒だ。僕らは、そうやって前世からずっと愛し合って来た二人の生まれ変わりなのさ。だから、今度こそ、この現世で僕と君は結ばれる運命に…」


「いいえ。それは無理よ、ジョナサン……わかってるはずよ? わたしが刑事の仕事を捨てられない人間だってことは……それこそランスロット卿とグウィネヴィア妃のように、わたし達の間には、越えられない大きな立場の違いがあるのよ」


 僅かの逡巡の後、わざと嬉々とした顔で懸命に彼女を説き伏せようとするランスロット卿の口をジェニファーは塞ぐ。


「…………そうか」


 彼女の答えを聞くと、それまで自分を騙すかのように作っていた明るさを不意に消失させ、子供みたいに今にも泣き出しそうな顔をランスロット卿は見せた。


「ねえ、ジョナサン。あなたの方こそ元スコッランドヤードの刑事として、わたし達が捕まえる前に自首して。今ならまだ、あなたの警察官としての誇りを守れるわ」

「いや……君と同じように、僕の方にも譲れないものがある。僕はもう、元刑事のジョナサン・ディオールじゃなく、新生円卓の騎士団のランスロット卿なんだ。僕が救われる道は、円卓の仲間と共に騎士道を極めることにしかない」


 反対に説得を試みるジェニファーに対し、彼もゆっくりと首を横に振って確かな拒絶の意を示す。


「…………じゃあ、わたし達はこれまでってこと?」


「…………ああ、そうみたいだな」


 二人は、ひどく悲しそうな顔をして、しばしお互いに見つめ合った。


「もし君が刑事としての意地を通そうというのなら、これだけは忠告しておく」


 長い沈黙の後、ランスロット卿の方が口を開いた。


「僕は仲間を裏切ることはできない。ティンタジェルで警察が罠を張っていることはみんなに知らせるつもりだ……だが、君を失いたくもない。だから、もうしばらく、このことは黙っておく。君は向こうに着いたら折を見てすぐに逃げるんだ。僕がみんなに報告し、彼らが内通者の君を殺そうとする前にね」


 最後にそう言い残すと、ランスロット卿は再びじっとジェニファーの青い瞳を見つめ、そして、ふらふらと力のない足取りで、その背中に暗く重い影を落として、その場から立ち去って行った。


「………………」


 その後姿を、泣き崩れそうな自分をなんとか奮い立たせてジェニファーは見つめる。


 ……なに? この突然な展開?


 そんな彼女をさらにアルフレッドが、えらいものを目撃してしまったというような表情で物影から覗き見ていた。


 こいつあ、なんだか複雑なことになってきたな……面倒臭いことにならなきゃいいけど……とりあえず、この件も後で旦那達に報告しとくか……


 そう心の中で呟くアルフレッドだったが、実はこの時、人目を忍んで密会する二人の姿を見ていたのは彼ばかりではなかった。


 ジェニファーからは見えない位置、また、アルフレッドからも死角となる壁の影に、いつの頃からかモルドレッド卿とガヘリス卿の二人の少女も、じっと息を殺して潜んでいたのである。幸い彼女達からもアルフレッドは見えておらず、その存在は知られていないらしい。


「聞きました? モルドレッドお兄さま。やっぱりあの二人、何かありましたわね」


 ジェニファーの方を見つめたまま、不気味に明るい笑みを浮かべてガヘリス卿が小声で呟く。


 他の者が誰一人気付かない中、ランスロット卿とジェニファーの間に流れる奇妙な空気を、彼女達二人だけは女性特有の感覚で感じ取っていたのだ。


「ああ……反逆者は昔から火焙りと決まっている」


 純真無垢なガヘリス卿のその言葉に、モルドレッド卿は険しい表情で、だが、とても淡々とした口調でそう答えた――。

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