第37話 来るのが遅いですよ

 手招きをしてくるギンガに、疑惑めいた目を向けてしまったロゼリアだったが、大きく息を吐いて落ち着きを取り戻した。老人の横に膝をついて座ると、そこにはかつてロゼリアに微笑んでくれた国王の身体がある。ここルーゼルに来て、二日しか立っていないのに、こんなにも生前の国王の姿が目に浮かぶのだ。


 コーネル国王さま……。


 ギンガは国王に目礼すると、ロゼリアを促した。


「お若い者のご意見はどうじゃね?」


「え? 私の意見…ですか?」


「そうじゃ。良いから、この年寄に聞かせてみなさい」


「あ、はい」


 あらためてコーネル国王の顔を確認した。悲しみがせり上がってきて嗚咽しそうになるも、ぐっとお腹に力を入れて国王の身体の隅々まで目視する。


「…致命傷になるような傷はありません」


「そうじゃな」


「…微かに、口から生臭いような匂いがします」 


「ほう?」


「…唇も、少しただれている」


「それで?」


「…毒が入った物を口にしたのでしょう」 


「料理かワインに混入されたと?」


「…いえ、それはありえません。陛下ともあろうお方が、不用意に食事を口にするなどとは考えられません」


「そうじゃなぁ。では?」


「…よほど気を許した相手が側にいたのか…。もしくは…」


「もしくは?」


「…もしくは、毒が入った物を自ら口にしたか」


「なに!? 貴様、王が自ら命を絶ったというのか!?」


 とたん侯爵の罵声がロゼリアにぶつけられた。ジタバタと押さえつけられていた衛兵を振り払ってロゼリアに掴みかかる。だが、侯爵の手がロゼリアに触れることはない。


 ジョナサンとリンクス、シャルネがロゼリアを庇うため立ちはだかるが、その前に第一部隊の騎士達が侯爵の腕をねじ上げ、その場に座り込ませたのだ。


 呑気なのは、医術師の長だと言う老人だ。


「まあまあ、待ちなさい。のう、お若いの。本当に、王は自ら命を絶ったと考えるかの?」  


「…いえ。そうは思えません」


 ロゼリアは、コーネル国王から目を離さずに首を振った。


「…ですが、誰かに脅され、毒だと気がついていながら口に入れなければならなかった…と考えればどうでしょうか? それに、この毒はおそらく…」


「ほ、ほ、ほ。見事じゃわい。アルギル王子、この若者、儂の弟子にくれんかの?」


「だめだ!!」


 国王の死が現実であるのにもかかわらず、老人は相変わらず緊張感がない。しかも、怒っているアルギルに、なぜか嬉しそうに話すのだ。


「ふっ。いやいや、考えておいてもらいますぞぉ? 儂を医術師として城に呼び出すのであれば、褒美はこの若者との時間じゃ」


「だめだと言ったら、だめだ!!」


「ほうー?」


 何かを含んで見上げる老人に、アルギルが「仕事をしろ!」と、吐き捨てる。ギンガはとくに気にした様子はなく「はいな」と頷いて、杖をつきながら侯爵に近づいた。


「令嬢を診るから、あんたは儂ときなさい」

 

「助かるのか?」


「やれるだけのことは、やってみますがのう」


「必ず助けろ!」 


「お約束はできませんなぁ」


 まるで人ごとのように杖をつく老人相手に、とうとう侯爵はすがりついた。


「っ。命が助かれば、それでいい! 頼む。頼む。頼む! 何とかしてくれ!」


 悲痛な叫びだった。親が娘に願うのは、生きてさえいれば…。どんな親でも、子供が自分より先に逝くのを見たくはないのだろう。


 公爵にすがりつかれたギンガは、ふらつきもせずに黙って公爵を見下ろしていた。 悪名高いハーヴェイ=ヴァンカルチア侯爵。だが、彼もまた、失いたくないものを必死に守っていただけなのかもしれない。

 大きくため息をついた老人はアルギルを振り返る。


「まあ、助けたところで、都合が悪い者もいるようじゃて。そのへんは儂は知りませんよ? アルギルさま?」


「分かった。お前に護衛をつける」


 アルギルの指示で騎士が動く。国王がいない今、第一王子であるアルギルの言葉は絶対だ。


「はいはい。ありがとうございます。まあ、早めに何とかしてくださいよ。 儂が殺されてしもうたら、侯爵の娘御を助けることもできんのでのう」


「大丈夫だ! お、おまえを殺させなどしない! 私がおまえの命を保証する!」


 ハーヴェイのよくわからない宣言に、ギンガも呆れたようだった。

 

「いやいや、ヴァンカルチア侯爵。あんたが保証しただけでは、儂はすぐにでも殺されてしまうじゃろう」


「くっ」


 悔し紛れで歯をくいしばったハーヴェイとギンガ老人は、数人の騎士達を連れて部屋から出ていった。入れ代わりにギンガの弟子達が国王のご遺体を丁重に運び出す。


 指示を出している長い髪の男に、ロゼリアは酷く睨まれたが、彼が医療班の薬草師長であると聞いて頭を下げた。


「…あなたに頭をさげられてしまったら、私は床におでこをくっつけなければなりませんよ」

 

 ロゼリア以上に頭を下げた薬草師長は、吹っ切れたような顔で頭をあげると「また、あとで…」とロゼリアに言う。そうしてほかの医療班達と一緒に部屋から出て行ってしまった。


 ドラグは城にある自分の部屋に戻された。 部屋から出ることを禁止され、扉の前と部屋の中にも衛兵が見張ることになる。事実上幽閉だった。


「アルギル兄様! どうしてですか!? 僕は、僕は、何も知りません! 犯人はそこの部隊長です!」


「…ジョナサンが殺すところを見たのか?」  


「いえ。でもっ。ミシェルを斬ったのは…」


「彼女の傷はこのサーベルではない」


「…兄さまはミシェルを見てないでしょう? 酷い怪我なんだ! 死んでしまうっ。あの傷で助かりっこない!」


「ミシェルとは、この部屋に来るときにすれ違った。ギンガが一目で、深い傷だが見事な止血技術だと驚いていた」


「…っ。もしかして」


「ああ、ギンガが指示していたからな。命は助かるだろう。彼女が話せるようになれば、全てがわかる」


「くっ」


 全てはギンガの腕にかかっている。ミシェルが話ができる状態に快復すれば、ジョナサンの疑いもはれるのだ。そしてドラグがどんな理由があって嘘をついたのかを、問われてしまうことになるだろう。


 アルギルにとって、今はドラグもジョナサンも疑われる者として同じなのかもしれない。だが、幽閉するということは、あきらかにドラグの罪だと疑っているのだ。


 部屋に顔の知った第一部隊達と残ったロゼリアは、どっと疲れが押し寄せるようだった。

 ジョナサンとリンクスのサーベルも本人達に返され、シャルネも豪剣を腰に戻す。


「ふう。来るのが遅いですよ。王子」


「ああ。悪かった」


 ジョナサンの軽口は、ほっとした証拠なのだろう。まだまだ、国王の暗殺に手が掛かりそうだが、もうジョナサン達が処刑されることはないとわかると、ロゼリアも今まで息をしていなかったと思うほど大きく息を吐き出したのだった。


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