第68話 好きな人の前で行うレッスン

 コーエンとの食事を終えたロゼリアは、エレナと与えられた部屋に戻った。


 床の冷たさを感じさせない厚みのある敷布。重厚感のある家具と寝具。


 大きな窓からは、屋敷の庭が見渡せて、格子窓さえはめられていないのだ。逃げ出したいのであれば好きにすればいい…と言われていると勘違いしてしまう。


 あらためて見渡せば、どう考えても囚われの身となった女に与えられた部屋とは思えない。


「はあ…」


 考えても答えなどでるわけはなく、ため息しかでない自分がなさけない。


「…久し振りに、剣の稽古がしたいわ」


 そう思えたのは、ロゼリアに生気が戻って来たのだろう。しかし、ロゼリアの愛用の剣は、ルーゼルで囚われの身となったあの時以来、コーエンから返してもらっていない。


「…仕方ないわ」


 暖炉に火をいれたエレナが、甲斐甲斐しくロゼリアの金色の髪を櫛でとかし始めた。


「屋敷に来られたばかりと比べると、ずいぶん髪の痛みが良くなりましたね」


「そうでしょうか?」


「ええ。本当にお美しい髪で…。エルトサラの方々は、みんなこんな綺麗な金色なのですか?」


「みんな…ではないと思います」


 ロゼリアの母親はもう少し深い橙色だったと思う。


「…幼い頃、兄とは良く似ていると言われました。でも…ここ数年は、体格の違いもあって間違われることはなかったです」


「まあ! 女性より綺麗な髪の男の人だなんて、女の敵ですわね」


 ぷくっと頬を膨らませたエレナを見て、ロゼリアも自然と笑顔になる。

 もう、生きてはいないだろうロキセルトを思い出し、どんなふうに年を重ねていくのかと想像するが、やっぱりうまく想像できない。

 離れた家族とは、時が止まったまま…。


「エレナの髪だって素敵ですよ?」


 ロゼリアが柔らかく笑うと、エレナも嬉しそうに笑った。


「あら、お世辞でも嬉しいですわ。髪は女の命ですものね?」


「え? そうなのですか?」


「ふふ。ええ、そうです。女には女の武器がありますわ」


 年上らしく大人の笑い方をしたエレナは、ロゼリアの髪にオリーブの香りがする小瓶を傾け髪に垂らす。


「あなたの髪と、あなたの美しさは、あなたの最大の武器です。必要な時は、利用なさいませ」


「利用?」


 武器と言われれば、ロゼリアも気になる。


「それは…どんな時?」 


「あら…」


 無垢な反応のロゼリアに、少しだけいたずらっぽく笑ったエレナがロゼリアの耳の側で声を落とした。


「…好きな人の前にいる時ですわ」


 好きな人…という言葉に、心臓が跳ねた気がした。


「いらっしゃいません?」


「えっと…あの…はい」


 いちよう頷いてはみたが、ルーゼル城をたったあの時のアルギルの顔がチラついて、急にどくどくと早くなった自分の心臓の音に意識がいく。


 うっすら赤くなったロゼリアを見たエレナは、なぜか嬉しそうだ。


「うふ。じゃあ、好きな人ができた時でかまいませんので、ぜひ試してみて」


「なにを?」


 こういった恋話は、ロゼリアは苦手なのである。


「そうですね…」


 エレナは顎に指を置いて考えると、大人っぽい笑顔でウインクした。そしてゆっくりと自分の髪をかき上げる。


「まず…こうやって髪をかき上げて、上目遣いに相手を見ます。次にゆっくりと顎を上げ、瞬きを二回」


「瞬きを二回?」


「そう。二回。ここ大事なんですよ!」


 力強く頷くエレナとは対照的に、消極的なロゼリアはただ曖昧な相づちをするだけ。だが、まったく気にしない明るさは、彼女の良さだ。

 今もそう。エレナは、気のりのしないロゼリアにとんでもない提案をしてきたのだ。


「そうだ! ちょっと、練習してみません? 私がお相手しますわ」


「い、いえあの…私は」


「大丈夫! どんな事もレッスンは大事です!」


 もちろん、それはロゼリアだって分かる。だけど…これが本当に必要なレッスンなのだろうか…。


 エレナは、強引に立たせたロゼリアと向き合った。


「はい。じゃあまず、私を好きな相手だと想像して」


「う、あ…はい」


 これはやるしかないと諦め、ロゼリアも頷いてエレナと向き合う。


「…うん。いいですね。ゆっくりと髪をかき上げて…」


「…こうですか?」


「ええ。いいです。はい、顎を上げて」


「顎を上げて…」 


「そう! そこで瞬き二回!」


「瞬き二回…」


「…ゆっくりと目を閉じる」


「目を閉じ…る?」


 ガシャン!!


「え?」


 ロゼリアとエレナが音のした方を振り返ると、ティーセットを運んできた若い料理見習いが真っ赤な顔で立っていた。


 我に返った青年が、ティーポットを慌てて支え、とたん弾かれたように手を引っ込める。


「す、すいません! すぐ片付けます。新しいお茶をご用意して参りますので!」


 こぼれた湯から湯気が上がっていることに気がついたロゼリアは、逃げるようにワゴンの向きを変えた青年の腕を掴んだ。そのまま、あたふたする青年の顔を見ようともせず、無理矢理部屋に入れると、腕を掴んだまま窓際に引っ張ってくる。


「ひっ。姫君! お許しを!」


 窓から突き落とされるとでも思ったのだろう。青年が、真っ青になって頭を下げた。


「なに言ってるの? 料理人が手を怪我したら大変でしょう?」


 そう言って躊躇なく窓を空けると窓枠に積もっていた雪をすくい取る。瞬間溶け出した雪の上に青年の赤くなっていた手をのせて包んだ。


「…あ、あの姫君」


「はい。なんでしょう?」


「僕、まだ見習いです…」

 

「だから?」


 上目遣いに青年を見上げるロゼリアの緑の瞳は「それがどうかしたの?」と、聞いているのだ。青年は赤くなった顔を隠すように項垂れる。

 

「…ありがとう…ございます」


「ふふふ。いえ」

 

 そうして、ちょうどいいから掃除がしたいとロゼリアが言うと、青年はすぐにホウキを用意してくれた。


「あとは、自分でやりますので」


 そう言って、エレナも部屋から追い出そうとするが「掃除は私の仕事です」と言い張り首を振られる。


「えーと」


 実は剣の稽古がしたいので…と、言っても良いものかと迷っていると、トントン…と、開けっ放しになっていた扉がノックされたのだ。


「少し話がある」




次回『求婚!?』

どうぞよろしくお願いします!

 

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