第67話 妻のような溺愛ぶり?

 何を食べたのか、よく分からないまま食事を口に運び、飲み込む。

 美味しいとか、美味しくないとか…そんな単純な、味覚さえしばらく忘れていたのだとロゼリアが気がついたのは、食後のデザートと言われて出されたケーキだった。


 真っ白な皿に、小さく三角の形にカットされたタルトケーキ。今までも、デザートとしてケーキやフルーツが出されていたとは思う。だが、考えることが多く、食事を味わう感覚さえ忘れていたロゼリアにとって、デザートもただの食べ物にすぎなかったのだ。


「…これは、なんのケーキですか?」

 

 初めて食事に興味を示したロゼリアに、エレナは嬉しそうに笑った。


「この屋敷の農園で栽培されたポポーのタルトです。ポポーは珍しい果物ではないのですが、しっかり完熟させたポポーは、甘くて美味しいのです」


「…ポポーの、タルト?」

 

「はい。姫君のような高貴な方に出す果物ではないのかもしれませんが…旦那様が是非にと。ポポーは美容効果も高いそうでして、女性には人気が…え? あ、あの!」


 エレナが驚いて口を閉じた。慌ててフリルの白いエプロンから、可愛らしいハンカチを取り出しオロオロしながらも、ロゼリアの頬を拭う。


「あ…」


 そうされて、ロゼリアもやっと自分が泣いていたのだと気がついた。


「あ、あの、無理して食べなくても良いのですよ! 勝手に出しているだけなのでっ。今すぐ、何か他のものと変えてまいります!」


 エレナは心底驚いているようで、珍しく早口でしゃべる。ロゼリアのタルトを引こうとして…手を止めた。 


「あ、あの…姫君?」


 エレナの手を…ロゼリアが握っていた。素早く押さえたロゼリアでさえ、なぜそうしたのかと戸惑う。だが、涙目をエレナに向けると力を抜いて息を吐き出し、柔らかく笑った。


「引かないで下さい。いただきます」

 

 一瞬、ポカンとしたエレナが頬を染めて皿から手を引く。


 ロゼリアはゆっくりとタルトを口に運んだ。


「…美味しいです。すごく」


「あ、はい。えーと、ありがとうございます。初めて、笑って下さいましたね、姫君」


「…姫君と呼ぶのはやめて下さい、エレナさん。ロゼリアで大丈夫です」


 確かに…久し振りに笑ったような気がする。涙が出て、心のつっかえがとれたのかもしれない。


 ロゼリアが、綺麗にタルトを食べ終わるころに、また一皿、同じポポーのタルトが置かれた。

 なぜかロゼリアの横で、エレナがクスクスと笑っている。


「エレナさん?」

 

「旦那様が御自分のぶんを、ひめぎみ…いえ、ロゼリア様に渡すようにと」


 旦那様って、コーエンのことよね?


 エレナが律儀に、姫君をロゼリア様に呼びかえたことも、なんだかむず痒い。


「えーと、様はつけないで下さい。エレナさん」


「ふふふ。では、私もエレナとお呼びいただけると光栄です」


「…はい。わかりました。それで、エレナ。このケーキは、もう一つ食べて良いと言うことでしょうか?」


「はい。そうですよ」


 なぜかウキウキしているエレナに、ロゼリアは首を傾げる。すると、コーエンまで傷のある頬を釣り上げて笑った。


「…もう一つ、食べれるか?」


「え、ええ。もちろん…」


「じゃあ、食べればいい」


 それ以上は何も言わずに、自分はワイングラスに口をつける。


 …本当に、よくわからない。


 コーエンは、ロゼリアの命を保証した。だが、自分の屋敷で保護することまでする必要はない。

 敵国の王女というのは、誰にとっても利用価値はあるだろう。この国の野心家にとってもロゼリアの存在は魅力的だ。しかし、そういった輩は、ロゼリアをこんな待遇で保護したりしない。真新しいドレスを与えたり、専属の侍女をつけたり…。


 今着ているドレスは、すっかり着慣れたチェニックが懐かしく思えるほどの豪華さなのだ。コーエンが用意しているのだとは思う。しかし、どうみても真新しいドレスなのだ。


 私にこんな服を着せて、彼は何がしたいのかしら…。


 温かいベットに、乳白色の温泉風呂。髪も身体もロゼリアが頼んでもいないのに、侍女達が次々と手を出してくる。

 一国の王女であれば当たり前なのかもしれないが…。


『…ああ。そういえば、私も王女だったわね』


 そんな事をぽつりと呟けば、少し辛そうな顔をしたエレナが『ごめんなさい』と目を伏せた。


 何に、ごめんなさい…なのかを想像するが、エレナの顔を見ればだいたいわかる。


 アザマの人々みんなが、戦争を望んでいるわけではない。エルトサラを攻め入って、罪のない人々を殺し、城に火を放った国のアザマの人間に、どれだけそれを望んでやった人がいたのだろう…とは思えるようにはなった自分に、ロゼリアも不思議な気分だったのだ。


 コーエンの見かけは怖い。言葉も少ない。老騎士隊の一人に相応しく、風格も威厳もある。国王の命令のみに動き、どこの部隊にも属さない。


 そんなコーエンの屋敷には警護兵がついている。庭師や料理人に至るまで、武道の嗜みがあるらしい。だが、野蛮な者からロゼリアを守るために自分の屋敷に連れ込んだのだとしても、これでは自分の妻のような扱い…。


 つ、つま!? 


「な!!」


 自分の考えに、顔を赤くしたロゼリアは、慌ててケーキを口に入れた。完熟したポポーをのせて焼いたタルトケーキは、甘く香ばしい香りと、口の中でとろける甘酸っぱい味わいで本当に美味しかった。


 エレナはウキウキする気分を隠そうともせず、可笑しそうな顔でクスクスと笑い、コーエンは相変わらず傷のある頬を吊り上げながら、黙ってワイングラスを空にしていた。




次回『好きな人の前で行うレッスン』

どうぞよろしくお願いします!



 

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