第15話 アルギル=イグラー

『…此度こたびいくさ、エルトサラ国の参戦に感謝する』


 アルギルは、内心の驚きを隠してゆっくりとロキセルトに歩み寄った。

 

 幼少期に共に過ごした記憶の面影を残したまま、彼はスラリとした青年に成長していた。


  エルトサラは大地に愛された国だ。それに比べてルーゼルは、山々に囲まれた盆地に王都を構えた領土。自然に守られた城塞とは聞こえはいいが、遥か彼方まで赤土の台地が広がり、冬は雪が積もるのに、夏は炎天下で農作地が干上がるほどである。作物はエルトサラからの輸入も多いのが現実だ。


 川と緑、そんな国の王族に生まれれば、なんの苦労を知らない王子に育つのもしかたがない。

 隣国であり、王家同士も家族のような関係であるロキセルトとは、彼の妹を含め遊んだ仲だった。

 ほんわかしたロキセルトに、兄にべったりな妹、ロゼリア。


 火竜が住むと言われるルーゼルの山は、アルギルが八歳になるまでは、時折噴火の兆しを見せて黒煙を空に吐くことがしばしばあった。そのたびに、エルトサラの緑の城に避難するのだ。


 避難させてもらっている…という引け目が幼心にもないわけがない。火山活動が静かになったここ十年くらいは、エルトサラに行くことはなかったし、アルギルの周りは、とにかく色々なことがありすぎた。


 母が亡くなり、叔母である公爵夫人が国政に口を出すようになった。一喝して国王が政権を握っているが、貴族達を抱き込んだヴァンカルチア公爵が、弟のドラグを娘の婚約者に仕立て上げたのだ。


 …何が、本人同士が望んだ婚約だ。あの時のドラグは七歳か、八歳だっただろう。


 国王が許可していないのにも関わらず、今だに貴族達の間で吹聴を繰り返している。


 アルギルは国王の政権を助ける為に、知識と剣術を必死で身につけた。幸い、公爵を支持する者は多くはない。


 おまけに娘のミシェルは、自分の婚約者がドラグのような子供では不満なようだ。貴族達の息子の中には、ミシェルと身体の関係がある者もいるだろう。


 見境なくなったミシェルが、アルギルにも秋波を向けたのは少し前のこと。話をするにも強烈なこうは、アルギルにとって嫌悪感しかなく、きっぱり「あんたを抱くなど、王命でも無理だ」と追い払ったのだった。


 そんなとき、なぜか屈託なく笑うエルトサラのロゼリア姫を思い出してしまうのは、自分でも不思議だった。母が生きていた懐かしい過去の幸せに浸っているだけなのだろう。


 しかし数年前から、の剣の腕が、国の英雄をも凌ぐなどと言う噂がアルギルの耳に入るようになる。


 あのロキセルトが?

 苦労を知らない坊っちゃんが?


 アルギルは信じていなかった。

 だが、父上であるルーゼルの国王が援軍要請をエルトサラに…ロキセルトに頼んだのだ。


 父上は、昔からエルトサラの王子と王女を褒めていた。


 何かにつけて、王子のロキセルトを褒め称え、王女のロゼリアには、いずれアルギルの嫁になどと、ルーゼルへの輿入れを望んでいた。


 確かにエルトサラは豊かな国だ。その王家の血を引くロゼリアを囲いたいのはわかる。


 幼い頃のロゼリアは、金糸を編み上げたような髪と、緑の大地に愛された美しい翠眼だった。彼女は、どんな娘に成長したのだろう。自分を覚えているのだろうか? ともにベッドでひと晩中、話をして過ごした時間を覚えているだろうか?


 父上の真意がわからぬまま、エルトサラの騎士達を迎えてしまったが…。


『うわさ通りの腕だな。


 本当に、あのロキセルトか? 


 光を編み上げたような金の髪も、キラキラと周りを映す翠眼も、アルギルの記憶のロゼリアと重なる。

 緑で彩られたエルトサラの大地に愛された瞳。…それは、王女ロゼリア姫の代名詞であったはず。


 だが、エルトサラの国王が娘をルーゼルに派遣するわけがない。あの家族はロゼリアを溺愛していた。そんな娘に戦をさせる為の近衛隊を率いてルーゼルへ向かわせるわけがない。


 実際、ロキセルトは、王子でありながら素晴らしい剣技を披露したのだ。あのリンクスとて、頭に血が登っていたとはいえ、けっして弱くはないのだ。


 早い…。そう、ロキセルトの剣は早いのだ。加えて柔軟な身体は、より早く相手の急所へと剣が向く。アルギルでも、あの剣を止めれていたかわからない。


『あらためて…最前線での戦要請いくさようせい、お受けいたしましょう』


 ロキセルトは、アルギルが戦の指揮を取っているとは思わなかったのだろう…。


 まるで意識して落しているように聞こえる声は、平坦ではあるが固い決意を感じるのだ。力を込めてアルギルを見上げてくる瞳に、理由もわからず胸がざわつく。


『では、二百人分の働きを、ロキセルト王子と、貴国の近衛隊に求める』


 それだけ言うのが精一杯だった。

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