番外編 一人の女のために生きる男の覚悟
ここは、ルーゼル…。
昼間は新国王の戴冠式が行われたルーゼル城で、夜は祝いの宴が開かれていた。
コーエンは、金色の髪の娘が夜の庭先に出て行くところを横目で見る。
…さすがに疲れたのだろうな。
彼女の後ろには、誰よりも大きな豪剣を腰に下げた女騎士が護衛についている。おいそれと声をかける者などいるわけもなく、夜風にあたることで、一時でも彼女の心と身体が休むのであれば、それを邪魔する者など、ここにはいない。
それでもコーエンは、目の前の君主に声をかけた。
「ザナ様、少々お側を離れますがよろしいですか?」
ザナの短い髪が動く。振り向いた彼女は、アザマの王。凛々しくも美しく、すっと背筋を伸ばしてコーエンを見上げた。
女ではあるが、鍛えられた剣技の強さはコーエンと彼女を支える正騎士達が認めている。
今では、王でありながら朝の稽古を怠らない姿が、騎士の指揮を支えているのだ。
…あまり無理をしてもらっても困るのだが。
最近は、外交と、荒れた国の内情を立て直すため昼夜問わず多忙を極め、寝ている時間もないのではないかと、心配をしていた。それなのに、昔のように剣の稽古をつけている。
「…われが許さぬと言うても、おまえは行くのだろう?」
国の王に流し目されたコーエンは、思わず苦笑した。
ザナ陛下に仕えて早数十年。頬の傷は、数ヶ月前に起きた内戦により、更に傷痕を深くし、見苦しい顔になってしまった。だが、コーエン自身はあまりそれは気にしていない。
だが、ザナのコーエンを見る顔が、昔のように泣き顔を強がって隠しているような…そんな顔を見せる時がある。今も、そうだ。
…はあ。
コーエンは、心の中でため息をついた。表面上は、無表情を崩さない。
すっかり奥にしまい込んでいた熾火が揺らいだところで、それを抑え込む感情も、長年繰り返してきた慣れた
「…まったく。種火をつけるだけつけて、さっさと消えた娘に、祝いの挨拶をしに行くだけなのだが」
低すぎるコーエンの声を聞き取れないザナが、訝しげに眉を寄せて見上げる。
「コーエン?」
「いえ、なにも…。行くなとのご命令であれば、この場におりますが?」
「ふん。…われがおまえに命令できぬことくらい承知だろうに。好きにしてこればいい」
そんな風に言われても、なんと答えれば良いか分からず、とりあえず一礼だけして後ろを向いた。だが、すぐに声をかけられ振り返る。
「コーエンよ。…なるべく、早く戻れ。良いな?」
「…は。承知」
軽く頷くコーエンに、ザナは珍しく拗ねた女の顔をした。
「おまえは…いつも、われを長く待たせすぎだ」
つられてコーエンの傷のある頬も緩む。
「…お言葉ですが、俺があなたの側を離れることなど、この数十年で何度ありましたでしょうか?」
先代王の一人娘であるザナ。彼女が国王を継ぐ以前から、コーエンは、いわばザナの護衛係。つねに側にいて、剣の稽古の相手をし、女が王座につくことを嫌う暗殺をもくろむ輩から遠ざけ、身体を張って護衛してきた。
いや、正確には護衛係は二人だった。もう一人の護衛係は、コーエンの二つ上の兄だったのである。
「ふん。…わかっておるわ」
すっと、コーエンから目を反らしたザナの短い髪が、ふわり…と風に揺れた。
その瞬間、コーエンの身体の中で確かに消したはずの灯火の感情が、ポッ…と再び明るく照らす。
かすかに花の香りのする夜風が、コーエンに、懐かしい昔の日々を思い浮かばせた。
そしてそれは、ザナも同じなのか…。
「コーエンよ。おまえはどんな時でも、われの盾になってわれを守ろうとするな。それは、われを守って死んだ…そなたの兄との約束なのであろう?」
「…先代王が、あなたの婚約者を我が兄に指名された時、兄は自分の命をかけて守ると誓いました。初めて見る本当に嬉しそうな顔だった」
「…父上が勝手に決めたこと。われらに恋や愛などない」
「いや、兄にはあった。少なくとも、自分の命と引き換えにして、あなたを守った大きさだけの思いがね…」
「ならば、われは何年、死んだそなたの兄である元婚約者を思うて、苦しまねばならない?」
「っ!」
思わず見開いた目で、ザナを見る。
会場の祝福モードが、ザナのいつもの威厳をひどく心細く見せていた。
「われは…おまえの兄が望んだように、アザマの王として生きてきた。おかげでわれは、ずいぶん女らしくなくなってしまったな」
「…どうされました。まさか、昼間の若い二人にあてられましたか?」
「そうだと言ったら…おまえはどうする?」
ザナが、挑むように見上げてくる。それはまるで、今から戦いを挑む相手に向けられるような顔だ。
コーエンは、死に際の兄を思い出す。
『…頼む、コーエン。ザナ…様を、おれの…かわりに…』
命が事切れる瞬間まで、兄はザナを思っていたのだ。
『…ザ…ナ、さまを、どうか…しあわせにして…』
ガクリ…と、力を失った兄の身体を支えてコーエンは誓ったのだ。
この命を、一人の女のためだけに使おうと。
あの時より、身体中の傷痕と、顔に刻まれたシワはずいぶんふえた。それでも、昔と変わらない想いは、消しても、消してもまた灯される。
「兄は、あなたを守れて満足だったのだろう」
「…だから、われは生きねばゆかぬ。われのために、どれだけの人が死んでも」
「ご命令とあれば、死んだ兄が押し付けた想いを、共に生きることで、俺が責任をはたしますが、そのご覚悟があなたにもありますか?」
一瞬、ザナの瞳に光るものが浮かぶ。だが、すぐに拭い去ると、いつもの威厳のある 貫禄で顎をあげた。
「…今、言った言葉、忘れるな。男が、一度口にした言葉を曲げるでないぞ?」
「は、承知。今更ですが…ずいぶんと長く側にいて、待たせすぎました。まずは、昔話でもして、始めましょうか?」
十数年ぶりに、国の王を女として見たかもしれない。心の縛りが解け、自然に笑みが浮かぶ。
…覚悟が決まれば、思いの外、心は静かだな。これも、あのお人好しの娘の影響だろう。
「エルトサラの王女に、礼を言わねばならない…」
「では、すぐに挨拶をすませ戻って来い。次の命令は、そのあとにだす」
「は。仰せのままに。我が王よ」
最敬礼で一礼したコーエンは、傷のある頬を吊り上げ笑う。その場を信頼できる部下に任せ、心底お人好しである娘がいる城の庭先にと、足早に歩き出した。
番外編
『アザマの七星老騎士隊の一人、コーエンという男が、一人の女のために生きると決めた覚悟』
コーエン編をお届け致しました。
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