第36話 医術師の老人 ギンガ

 ミシェルが運び出された暗い部屋で、ロゼリア達は、いまだ衛兵に囲まれたままでいた。

 ミシェルの流した血溜まり。コーネル国王の遺体。怒り狂うハーヴェイと、薄ら笑いを浮かべたドラグは、もう神童などには見えない。


「貴様らのいいわけを聞く気などおきんぞ! さっさと地下牢へ連れて行け!!」


 ハーヴェイの命令に衛兵が従うも、戸惑いは隠せないようだった。彼等からしても、国王をジョナサンが殺したなど、信じられないのだろう。しかしドラグ王子が犯人はジョナサンだと言うのだ。国王がいない今、王子の言葉に反論しては反逆者とされ、自分だけでなく、家族も何らかの罰を受けかねない。


「すいません。部隊長、ひとまず…そのサーベルをしまって地下牢に、えーと…一緒に来て下さい」


「…俺達はやっていない」


「はい。でも、俺達ではどうしようもなくて…」


「何をやってる!? さっさと連れて行かないか!」


「は、はいぃ!」


 衛兵達が、心底申し訳無さそうにジョナサンからサーベルを取り上げた。リンクスも鼻息を荒くして不満を見せるが、彼等の家族を思ってサーベルを渡す。


「あ、エルトサラの王子様はいいからね。僕の恩人なんだから丁寧に扱ってよ」


「…ドラグ」


 こんなの、おかしい。ロゼリアだって、たった一人だけ助けられて、嬉しいわけがない。彼等を無実だと知っているロゼリアが、目の前で三人を処刑させられてしまったら…正気が保たれるとは思えない。いや、ドラグの狙いはそこなのか…。


 だが、どれほどドラグに恐れを感じていても、ロゼリアはもう一度エルトサラの大地を歩きたい。こんなところで、諦めるわけにはいかないのだ。


 どうすれば良い? マイロ…私、シャルネを見捨てるなんてできないよ。


 シャルネ、リンクス、ジョナサンと四人なら、城からの逃走も可能かもしれない。しかし一生、追跡してくるものから怯えて生きなければならなくなる。その覚悟は…。


 どうする? どうすれば…。


 今、動かなければ処刑を待つのみ。ロゼリアの腰には剣がある。シャルネの豪剣と二人で、この部屋さえ突破すれば…。


 そう…だわ。私が、やらなければ!


 ぎゅうと心臓の上を押さえつけ、その手がそっと剣にいきかけた時だった。部屋の扉が大きく開き、ザザザっとルーゼル第一部隊の騎士達が入って来て、ロゼリア達を囲んでいた衛兵ごとまわりをとり囲んだのである。


 部屋の壁を覆うほどの騎士の数。ルーゼル第一部隊は実力者揃いだ。


 呆気にとられて見渡すドラグとハーヴェイ。ロゼリアも驚くが、知った顔の騎士達を見つけて知らず知らずのうちに駆け寄っていた。何より真実を訴えたいのだ。


 「私達は国王を殺してない!」そう言おうとしたのに…ひゅっと、言葉を飲み込んでしまったのである。


 コツン、コツン、コツン、コツン…。


 ゆっくりと、だが、しっかりとした足取りで、真っ黒のコートを着た男が部屋に入って来たのだ。扉の外の明るさが逆光して、姿は確認できるものの表情はわからない。


「待て。ドラグも、叔父上も、その場を動かないでもらいたい…」

 

 良く響く声の主に、ロゼリアは身体の力が抜けるほどほっとしたのである。


「あ、アルギル?」


「ああ」


 ゆっくりとした足取りで歩み寄ったアルギルは、ロゼリアの手前で困ったように眉毛を寄せると、すい…と顔をそむけたのだ。


 まさか…アルギルも私達を疑っているの?


 ズン…と、何かが胸に刺さって背中を貫いたような苦しさだった。アルギルに疑われているのが、ロゼリアにとってはこんなにもつらいのだ。


「ちがっ。あ、アルギル王子! 違うんです!! ジョナサンは、私と一緒に来てコーネル国王を見つけて! 彼等は陛下のお身体に触れてもいないんですっ。私は…、私は本当になにも…え?」


 叫んでいたロゼリアは、その先の言葉が続かなかった。

 気がつけば、ふぁさ…と、アルギルの着ていた大きなオーバーコートで身体を包まれていたのである。たった今までアルギルが着ていたコートだ。温かなぬくもりに身体の緊張が解け出していく。ほっとしたのに、ロゼリアは顔をしかめてしまった。今度はよくわからない嬉しさで胸が苦しいのだ。


 そうして、何も言わずにくるりと後ろを向いたアルギルは「どうだ?」 と、誰かに向かって尋ねたのだ。そう言われて、初めてその老人に気がついた。

 背はとても小さく、腰が少しまがった年老いた老人だ。木の杖をつきながら、コーネル国王の側に「ヨイショ」と言いながら座ると、しわがれた手で国王の手首に直接ふれる。そうして顔を上げると、アルギルを見て首を振った。


「残念ながら、亡くなっておられますな」   


「…ギンガでも、駄目か?」


 すがる…とは違うのだろう。だが、アルギルの声には、ほんの少しだけ悔しさが滲み出ている。しかし…教え子を相手するように、老人はアルギルにさとした。


「こりゃ。儂を何じゃと思ってる? 死んだ人間は生き還らん。それはな、命ある誰もが受けなければならない代償じゃ」


 命ある誰もが受けなければならない代償…。


「…そうか。そうだな。すまない。父上の命を奪った原因がわかるか?」


「死因かいの? せっかちじゃよ、王子。そんな何も調べんで原因がわかりゃー、儂も苦労せんわ。だが、まあ、そこの異国の王子様は気づいたかのう?」


「う。わ、私ですか!?」

 

 自分に声がかかると思っていなかったロゼリアは、危うく肩にかかっていたアルギルのコートを落としてしまいそうになる。だが、アルギルがロゼリアの身体をなぞるように肩にかけ直したのだ。


 うろたえながらもロゼリアが得体の知れない老人を見る。


「ああ、そうじゃ。始めましてかのぅ? お若い騎士さま」


「…ロキセルト、彼はルーゼル医療班の長、医術師のギンガだ」


「ほ、ほ、ほ。儂を引退させんアルギル王子のせいでこんな見苦しい姿になっても働かされとるわい」


 そう言いながら、ギンガは腰をトントンと叩いている。しかし、老人とは思えない鋭い眼光でロゼリアを見るのだ。


 その様子に、年寄りのように見せている演技ね…。そうロゼリアは思ってしまったのだった。

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