第35話 ヴァンカルチア侯爵
ハーヴェイ= ヴァンカルチアは、娘から呼び出されて城の奥に向かっていた。ミシェルが国王を交えて話たいことがあると言ってきたのだ。
散々不満を言っていた第二王子との婚約を、正式に交わしたいだと?
もちろん親としては願ってもないが、なぜ今更なのかと思う。
まあ、戦で死なれる前にってところだろうな。あと三年経てば、正式に結婚だ。戦など泥沼になる前に、さっさと終わらせてもらいたいもんだが…。
ずかずかと大股で歩いているのは、しんしんと冷え込むせいである。
「まったく。相変わらず寒い城だっ。屋敷を出る時に着込んだコートだけではたりんぞ」
目的の部屋が通路の先に見えてくると、なぜだか人があつまっているようで騒がしい。衛兵が騒いでいるのだ。
「なんだ! なんの騒ぎなんだ!?」
「は。これはヴァンカルチア侯爵!」
とたんビシリと背筋を伸ばした衛兵に、ハーヴェイは、フン…と一瞥しただけで威圧的に顎を上げる。
「ルーゼル城を守る衛兵ともあろうものが、ガタガタと何を騒いでいるのだ!? 見苦しいぞ!!」
「あ、いえ! 申し訳ございません! 実は…ドラグ王子がこの部屋にいらっしゃるようなのですが、鍵がかかっておられまして開かないのです」
「なに? …どけ!」
さすがに違和感を感じたハーヴェイが扉を開けようと手にかけた時、カチリ…と鍵が外れる音がしてゆっくりと内側に開いたのだ。
廊下の明るさとは正反対に、部屋の中は 薄暗い。ふらりと顔を出したのは、娘の婚約者であるドラグだった。
「あ、叔父上!」
「ん? ドラグ王子か? ミシェルと一緒か? 私はミシェルに呼び出されたのだが…」
「あ、あの!」
真っ青でドラグが部屋の中を指差した。そこには娘の変わり果てた姿と、義兄である国王が倒れていたのである。ミシェルは誰かが手当をしたようだったが、国王からは血が流された様子はない。だが、死んでいると一目でわかったのだ。
「なっ!! ミ…ミシェル? あ…あれは王か!?」
王の側には…血まみれの若者が立っていた。血に染まったボロボロの服。薄暗くてもわかる金の髪は異国のものだ。
もう一人の異国の騎士は、ハーヴェイより遥かに腕も足も太い女騎士。はち切れそうな胸は色気より逞しく、見たこともない大きな豪剣を、軽々片手で握っているのだ。
そして我が国の切れ者だと言われる部隊長とその部下らしき男。抜き身のサーベルが自分とドラグに向けられていると気がつけばすぐさま大声で叫んだのである。
「き、貴様っ。気でも狂ったか!! 衛兵! 衛兵!
途端、ロゼリア達はサーベルを抜いた衛兵に囲まれた。
ジョナサンも、何を言っても無駄だとハーヴェイを睨むしかない。相手が王子と公爵では分が悪すぎるのだ。
「貴様が殺したのかーぁぁ!!」
ハーヴェイの地を這うような怒りが、語尾を城に響かせる。激しい感情は胸をえぐられるほど苦しく、切ない悲しみが塊となってロゼリアの心臓を押しつぶすのだ。
だが、違うのだ…と言えば良いのか、犯人はドラグだ…と言えば良いのか、ロゼリアもわからない。
ドラグだと言った所で見たわけでもなく、証拠もない。やった、やってないの水掛け論になるのは目に見えているのである。
しかし、ロゼリア達は国王の暗殺に関わってはいない。ミシェルも手当しただけだ。
「ミシェル! ミシェルー!!」
ハーヴェイの悲痛な叫びで室内が震えた。
「き…さまら、私の娘になにをしたぁぁ! 今すぐ、此奴らを地下牢へぶち込め! 明朝すぐに処刑しろ!!」
「まって! まって下さいっ。叔父上!」
子供らしい仕草でハーヴェイの前で両手を広げたのはドラグだった。まるでジョナサン達を助けようとしているような健気な態度だ。だが、真実をロゼリア達は知っている。
しかし、何も知らないハーヴェイは、健気な娘婿に憐れみをみせながら「おまえの頼みでも今回はだめだ」と首を振った。
だが、なおも両手を広げて下ろさないドラグがハーヴェイに涙目で訴えるのだ。
「叔父上! 僕が来た時には、ミシェルと父上はもう、冷たい床に倒れていたんです! 僕も、部隊長とこの男に襲われ、本当に怖かった…。でも、エルトサラの王子様が僕を守ってくれたおかげで、僕は無事で…」
「な!」
思わずロゼリアも絶句する。だが、どれだけ練習したのか…。ドラグの舌は滑らかだ。
「ミシェルの応急手当も、エルトサラの王子様がしてくれたんです! でも、凄い傷で…きっと助からない! 僕、僕、もう怖くて…、何もできなくて。お、叔父上、父上が…。父上がぁぁ!!」
「なんて…ことだ…」
衛兵達が呼んだ城の医療班によって、ミシェルは部屋から慎重に運び出された。
命が助かるかはわからない…と、医術師が残した言葉で、ハーヴェイの怒りは手がつけられない状態だ。衛兵達が必死になって押さえつける。
「お待ち下さい! ヴァンカルチア侯爵!」
「まずは国王陛下を!」
「侯爵! あ、アルギル王子をお呼びしましょう!」
四人がかりの衛兵が、ハーヴェイの腹や肩、腕を押さえつけて必死に宥める。
そうだ! アルギルなら!
ロゼリアもアルギルを呼ぶよう求めようとした。だが、ゾクリ…と感じた恐怖に肩をふるわせ言葉が出てこない。あの神童のようなドラグが、形の良い口角をつり上げたのだ。
「兄上は、戦で怪我をしたとかで、今は動けないんでしょ?」
「…ドラグ。なぜ、それを?」
「えー、なんでって、ロセルさまが教えてくれなくても、僕はアルギル兄さまの弟だよ。親切に教えてくれる人はいっぱいいるんだよぉ?」
クスっと笑うドラグを、悪魔だと思った。
…ありえないのだ。王子の怪我の事など、戦時中であればあるほど、内密にするのが普通。それは常識的なことなのだ。側近のものが他言するとは思えない。
やはりリュディアの砦に内通者がいるのだろうか?
まさか…ドラグは、アルギルの毒矢にも、関わっているの?
真っ暗だ。目の前が真っ暗…。部屋の明かりより更にロゼリアの心を闇に落とす。どこまでも、どこまでも、闇に落ちていく…そんな気分だ。その闇の底には、きっとドラグの顔をした悪魔が大きな口を開けて、ロゼリアが落ちてくるのをまっているに違いない。
もう、いや…。
なにもかも投げ出したい。それでも、あきらめてはダメだと、ロゼリアを鼓舞するのはエルトサラの思い出だ。そこが、かつて見た美しい景色でなくても、ロゼリアにとっては決して忘れることができない大切な記憶が残る場所。思い出に、しがみついていると言っても良いだろう。
ジョナサンやロゼリア達を取り囲む衛兵も、どちらにサーベルをむければ良いかわからないでいた。
だが、このままでは間違いなくジョナサンとリンクスは処刑されてしまう。そしてシャルネも…。
…真実ではないと、誰もがわかっていながら、国の混乱をさけるための犠牲だとあきらめて従うしかないのだった。
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