第58話 怒りのまま俺を斬れ!

「私が…アザマ城へ!?」


 顔も名前も知らないアザマ国王…。


「アザマの王が…わたくしを探しているのですか?」


「…ああ、そうだ。ゆえに、我等と共に来るのなら命は保証する」 


「…命を、保証?」


 ゾワ…と、何かが身体を駆け抜けたような気がした。むせ返るような感情が溢れて、一気に血が逆流する。


 コーエンの言葉が偽言だ…と、言うつもりはない。だからこそ、怒りで声がふるえたのだ。


「なぜ、民を…守れなかった私の命は保証されるのですか!?」


 ロゼリアは、わかっている。コーエンに戦争の責任があるわけではない。国と国との戦争で、一人の騎士に怒りをぶつけるなどお門違いだ。


 わかってる。わかってはいるっ。それでも!


「エルトサラはもう無い。無い国の王女を名乗る資格さえ、私には無いのに…それでもっ、私の名がロゼリア=シリウスエヴァーであることは変わらない!」


 無惨に殺されたであろう家族や城のみんなを思うと、怒りや悲しみがせり上がってきて、胸が苦しい。

 冷静でいなくては…という理性が雪崩のように崩れていくのだ。


「エルトサラを焼け野原にして…罪のない民を皆殺しにして…私の城に火を放ったのは…あなたの国なのでしょう!?」


 感情のまま叫んだロゼリアの甲高い声が崖に響いた。悲憤慷慨ひふんこうがいする気持ちを隠せない。

 コーエンは、そんなロゼリアの怒りをなぜか煽る。


「…そうだ。我等の国があなたの国を滅ぼした! だから怒れ。怒って怒りのまま俺を斬れ! あなたの怒りは正当なものだ!」


「っ。わたしは!」


 思わず…ロゼリアの手は、腰にある剣を掴んでいた。とたん、ロゼリア達を囲んでいた騎馬隊も剣の柄を掴む。

 ヒリつくような殺気。リンクスは抜刀したままでいたサーベルを持ち上げ、シャルネも一撃で大打撃を与えた豪剣を掴んだ。


 だが、誰に怒る? なにに悲しむ? 


 ロゼリアは、自分の悲劇に酔うつもりなどまったくない。戦争という理解できないもので、こうも簡単に人の命が消えていく事実が許せないのだ。

 しかし、敵国の騎士であるはずのコーエンだけは、なぜか憐れみ深い目でロゼリアを見ていた。

 

 薄曇りの空からは、白い灰のような雪が舞い始める。粉雪…というよりは風情はなく、ただ風が強くてロゼリアの視界を遮るだけ。しかし、肌に触れればすぐに溶けて消えるのだ。


「…コーエンどのは、何年…戦争に身を置いてます?」


 ロゼリアは、ゆっくりと手を剣から離した。後ろにいるシャルネとリンクスの気配が、ロゼリアの心を慰める。


「…さぁてなぁ」


 深く息を吐き出したコーエンは、傷が入った頬を撫でながら静かに笑った。この男もまた、国のために戦いながら思うところがあるのだろう。


「長くて覚えてはいないが、あんたが生まれる前からだって事は、間違いないな」


 …律儀な男ね。


 ロゼリアの質問に、答る義理はないだろう。それなのに、コーエンは「俺に気取った敬称はいらんから、あんたも普通に話せばいい…」と、まるで無理をするな…とでも言うかのような顔て笑うのだ。


「…私を連れて、問題なくルーゼルの国境を越えられると思っているのですね?」 


「…ああ。我等がここにいるのが証拠だな」


 そう言うとコーエンは、老騎士らしく部下をたしなめた。コーエンの一振りで、騎馬隊は揃って剣から手を離す。


 まさか…ロゼリアがアザマの城へ行くことになるとは思わなかった。だが、アザマは、ロゼリアの国を滅ぼした国。


 …国王に会ってどうする? 

 …両親の仇を討つ? 


 国王がロゼリアを探していると言うのなら、会ってみたいと思った。


 憎しみしか湧かず、刺し違えてでも殺したいと思えば…そうしよう! 


 覚悟は決まった。


「…わかりました。アザマ城へ行きましょう!」


「王女! いけません!」


 とたん、シャルネがロゼリアの腕を引く。


「ただし、私の二人の騎士は、ここで逃がしてもらえませんか?」


「おい! なに言ってやがる!?」


 リンクスも、おそらくシャルネと同じ理由で叫んだ。ロゼリアは二人を振り返る。


 二人とここで離れなければ、互いの存在がかえって逃げる時の重荷になるのは目に見えているのだ。


 ここから城都までは馬をかければ二日。途中で馬を代えればもっと早くつく。

 事態を把握したアルギルとジョナサンが部隊を動かしてくれれば…しかし…。


「…悪いが二人には、一緒に来てもらう。王女が逃げないための人質だ」


 …そうよね。


 騎馬隊が国境を越える前にアルギルの軍が追いつけば…などという考えは、戦を熟知しているこの男には浅はかな目論みだろう。


「この場で二人を死なせるか…。同行させるか…。どのみち、一人を逃がせば追手がかかる」


 …さすがに、よまれている。

 

 するとコーエンは、急に崖の向こう側を指指したのだ。


「そういえば…、エルトサラの王女は、崖の下にある田舎街に大事な人でもおいでか?」


「…え?」


「昨夜の祭りで、見事な腕前を披露した騎士がいたようだが?」


 驚いたロゼリアの代わりに、反射的に答えたのはリンクスだった。


「なっ! なんで知ってやがる!?」


「リンクス! だめよ!」


 コーエンにサーベルを向けたリンクスを、ロゼリアは慌てて止めた。コーエンは笑うだけ。

 

「ふむ。では、村に火矢を放て!」


「な、なぜ!?」

 

「簡単なことだ。王女が自分の騎士を守りたいように、俺も部下を守りたい。三人ともこの場で殺してもいいが、王女は我等の王がご所望だ。だから、そちらの二人に聞こう。拘束されてでも、我等とくるか? この場で死ぬか? 逃げて村を焼かれるか?」


 二人が出す答えなど聞かなくてもわかるはずだ。それなのに、コーエンはゆっくりと青い目を眇めながら笑って言うのだ。


「ふむ。火の神を祀る祭りの翌日に、村が火で焼け落ちる。なんとも皮肉な世の中だ」 


「…貴様!!」


「リンクス!」


 リンクスの戸惑いと怒りは、よくわかる。だからロゼリアは、リンクスの腕を全力で止めた。

 リンクスがコーエンを斬りつけてしまったら…間違いなくリンクスは、騎馬隊の剣で串刺しになるだろう。


 ポックス村の自警団は…、村の安全と引き換えにコーエンと彼の騎馬隊を匿っていたのだ。村の自警団だけでは、村全体を守ることなんてできない。


「…アザマは、ずいぶんと卑劣なのですね」


「卑劣? 王女、どこもかわらんぞ? 数日前ルーゼルはアザマの軍に何をした?」


「あれはっ。あなたの国が一方的に、戦を仕掛けてきたのでしょう!?」


「王女よ。戦とは…いかに卑劣な戦略ができるかで勝敗がきまるのだ。だからこそ、ルーゼルの若き王子の戦略は成功した。戦争とは、残虐で、最低で…夢物語のような話はありえん」


 コーエンの言葉は正しい。それでも、どうしても甘い考えになってしまうのは、ロゼリアが血なまぐさい戦に関わることなく育てられたから。


 冷たく強い風が、枯れ葉を舞い上げ、ロゼリア達のいる崖の上を吹きすさぶ。


 この先、何があっても…シャルネとリンクス、二人を逃さなくてはいけない!


 それは本能的に感じたことだった。コーエンは戦争を好んではいない。だが、国と仲間を守るためなら、どのような残虐も厭わない。


 二人を一緒に行かせてはいけない。必ず、逃げる機会があるはずだわ!


 ルーゼルの部隊がかけつけるまで。アルギルが助けに来てくれるまで…。



 そしてその頃、ルーゼルの城でもアルギルとジョナサンが…。



 

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