第57話 証拠は、わたくしです!

「私は…エルトサラの王女、ロゼリアです」


 ロゼリアは、シャルネの肩に手をのせると安心させるように頷いた。するりと剣を腰に納めてから前に出る。シャルネとリンクスは剣を握ったままだ。


 騎士の心得がある者ならば、剣を納めた相手に斬り込んでは…こないはずである。だが、完全な賭けだ。

 国同士の戦争であれば、そんな心得が通用するわけがない。


 だが、ロゼリアには、この男が話ができないような、野蛮な騎士には見えなかったのだ。どのような対処もできる距離まで前に進むと、とたんに騎馬隊から剣の刃が向けられる。


 鼻先の刃に恐怖はある。しかし、ロゼリアの瞳は男を見据えて揺るがなかった。


 おそらく、この男が騎馬隊の指揮を取っている。統率が取れた陣形。機動力を熟知して軍馬を操つり、自身は圧倒的な存在感を誇るエルクに跨ることで格の違いを見せつけている。かなり優秀な指揮官なのだろう。


 本来なら、この程度の数であれば、ロゼリアとシャルネ、リンクスの三人で逃げきれていたはずである。それなのに、逃げきることもできず、崖に追い詰められ囲まれた。この騎馬隊は、ロゼリア達にとってもかなりやっかいなのだ。


 怯えを見せないロゼリアに、男は青い瞳を眇めた。

 

「…エルトサラの王女だという証拠は?」


 もっともだろう。口で宣言するだけなら、誰でもできる。したたかな女であれば、王女と名乗ることで、他国に命の保証だけでなく、地位や財力を約束させることができるかもしれない。

 あわよくば身分の高い者と結婚できれば、優雅な生活を過ごせるだろう。


 それゆえアザマの騎馬隊は、指揮官の指示を待っている。「偽り者だ。斬れ!」とあれば、躊躇なく襲いかかってくるのだ。


 騎馬隊の剣が鈍く光る。

 シャルネとリンクスは腰を落とし、いつでも飛びかかれる体勢を取っていた。


 しかし…ロゼリアは形の良い広角を上げ、笑ったのだ。


「…なぜ、笑う?」


「ふふ。いえ。証拠…でしたね。見ておわかりになりませんの?」


 あえて…王女らしい振る舞いは、はたして成功しているのだろうか?


 ロゼリアは、無造作にまとめていた髪を解いた。風の流れに任せて金色の髪をなびかせる。


「証拠は…わたくしですわ!!」


 ビュ…と、強い風が枯れ葉を巻き上げ、アザマの騎馬隊とロゼリア達の間に渦をつくった。枝に辛うじて残っていた葉も吹き飛び、ロゼリアの髪を撫でるようにして、崖の向こう側へと飛んでいく。


 色などない灰色の林。枯れ葉で埋まった大地。だがそこに、光を編み上げたような金の髪が風になびいていた。

 緑鮮やかな瞳は、春の訪れを待っていた新緑が芽吹いたようであったのだ。

 

「…金色の髪に、美しい翠眼すいがんか」


 それは…エルトサラの王女の代名詞。


「話には聞いていたが…なるほど。噂以上の美しさだ」


 そう言うと、男は剣を腰に戻したのだ。一瞬、雷に打たれたように固まっていたアザマの騎馬隊も、指揮官にならい剣を納める。


「…我等は確かにアザマの騎士だが、残兵などではない。俺はアザマの七星老騎士隊しちせいろうきしたいの一人、コーエンだ」


「はじめまして…で、よろしいでしょうか? コーエンどの」

 

「ああ。はじめましてだな」


 コーエンは、肩を揺らして吐き出すように話す。どうやらまともな話ができそうで、ひとまずほっとしてシャルネに剣を下ろさせた。


 アザマの七星老騎士隊しちせいろうきしたい…聞いたことはあるが、どのような騎士が努めているかは知らない。だいいちアザマという国が、謎の多い国なのだ。


「…なぜ、七星老騎士隊を名乗るほどの方が、ルーゼルの林にひそんでいるのでしょうか?」


「五日前の…城都近くで全滅させられた仲間の報復だと言ったら?」 


「…それはないでしょう? あなたの騎馬隊は優秀ですが、報復…というには数が少なすぎます。それに、全滅させられた恨みがあるのなら、私がどこの誰であろうと剣を納めないはずです」


「ふむ。なるほどな…。では、我等は諜者ちょうしゃで大軍を送り込むため、密かにルーゼル軍を偵察していたとは?」


「密かに? ふふふ。密かに行動しなくてはいけない諜者ちょうしゃが、素性もわからない旅の民を襲うのですか?」


「はっ!? ぶっ、わははは!」


 わざとらしく息を吐いて仰け反ったコーエンは、腹を抱えて笑いだしたのである。傷の入った頬を釣り上げ、ひとしきりに笑ってから「確かにな!」と、戯けたように頷いた。


 何がそんなに可笑しいのかは不明だ。しかし、ロゼリアのことを、お飾りの王女ではないと認めたのだとは思う。


「なるほど。我が国の王が執着するだけのことはある」


「王が執着? アザマ国王…ですか?」


 アザマの王…。ロゼリアは、名前も知らない。


「…我等は、王命で動く者。まさか…こんなに早く探していたものがみつかるとは思わなかったが、我等としては好都合だ」


「探しもの?」


「ああ。我等の目的は、あなただ。ロゼリア王女」


「え!?」


 聞き間違いだと思った。それほど強い風がこの崖に吹いている。

 だが、そうじゃない。コーエンは、ロゼリアを探していたと言ったのだ。

 

 どういうこと? なぜ、私がルーゼルにいると知っていたの?


 がルーゼルにいると、知る者の方が少ない。

 それは…ロゼリアがロキセルト王子と名乗っていたから。今もルーゼルにいるほとんどの民や兵は、ロゼリアをロキセルトだと信じているだろう。本当のことを知っているのは…ルーゼル第一部隊と、アルギルだけ…。


 ギュ…と、目には見えない心の一部が締め付けられるのを自覚した。ここにいないアルギルを思い出すだけで、無性に心細くて、こんなにも弱い自分が顔を出す。


 ルーゼルの城から離れているのに、今もロゼリアの心にはアルギルがいた。この気持ちは何なのか…。


 私は、いつのまにかアルギルを頼っているのね。必ず戻ると約束したわ…。今は、目の前のことに集中しなくちゃ!


 ロゼリアの瞳が一瞬だけ濡れた。目の前にいたコーエンは、気がついただろう。だが、何も言わない。

 女の涙に心が揺れない冷酷な男なのか、それとも…それがこの男の優しさなのか…。ロゼリアにはまだ判断できなかった。


 ロゼリアとコーエン。互いの思惑を探りながら時間だけが過ぎていく。しかし、諦めたように先に視線を外したのはコーエンだった。


「…エルトサラの落城で、王女は死んだものと思っていたが…。ロゼリア姫、あなたをアザマの城へ招待する」 

 

「え!?」 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る