第40話 アルギルの部屋

「ロキセルトを…上の、俺の部屋へ案内しろ」


「え? ……ええ!?」


 王子らしいとは言えない声をあげたロゼリアは、文字通り飛び上がって拒絶をしめした。


「昨日、与えられた部屋で大丈夫です!」 


 と、繰り返すのだ。とたん不機嫌になったアルギルを気にする様子はない。しかし、誰一人、ロゼリアの言葉を聞きいれもしないのだ。


「今、ルーゼルの城は混乱しています。安全な場所などないのかもしれないが、王子の部屋となれば簡単に賊が入れる所ではありません」


 ジョナサンの言葉が正しい。それでも「大丈夫です!」と言い張るロゼリアに、アルギルはたたみかけた。


「おまえを守る近衛隊もリュディアの砦だ。明日にはミシェルの母親である侯爵夫人が押し掛けてくるだろう。叔母相手では、ジョナサンでも分が悪い。早急に城から出なければならないが、せめて今夜は俺の部屋で休め」


「城から出ろというなら、すぐに出ていきますっ。私は大丈夫です!」


「だめだ!!」


「っ。なんで!?」


「言わなきゃわからないのか!」


 勢いのまま怒鳴ってしまい、しまった…と、思った時には遅かった。ロゼリアの緑の瞳は、不安気に揺れて悲しみを訴えている。

 成長しない自分自身に腹が立ったが今更だ。


 ロゼリアを悲しませたいわけではない。

 ただ、守りたいという焦りと苛立ち。


 だが、このままでは、また感情のぶつかり合いで、ロゼリアを守りたいアルギルの気持ちは伝わらないのだ。ならば…。


「…おまえはよくても、シャルネはルーゼルに来るまで、ずっと気をはっていたはずだろう? 彼女だって、疲れがでるころじゃないのか?」

 

「うっ」


「部下を大事に思うなら、彼女と一緒に俺の部屋で休んでくれ」


「…ずるいですね」


「ああ、卑怯な手だな。でもまちがってないだろう?」


 穏やかに諭すアルギルに、リンクスやジョナサンは顔を見合わせていた。ロゼリアを気づかいながら話す様子はいつものアルギル王子と別人なのだ。

 ふだんのアルギルなら、相手の反応なんて関係ない。言うだけ言ったあとは指示に従うか、従わないかなんてお構い無し。正論であればなおのこと。そこで反発しても、結局うまくいかないことはわかるから、部下は黙ってしたがうのだ。


 だが、今は違う。それだけ彼女を失いたくないと思っているのだろう。 

 実際、ルーゼル城も安全ではない。アザマの兵がリュディアの谷で、なんの合図をまっていたか…と考えた時、国王の殺害準備とも考えられるからだ。


 ロゼリアもわかってはいる。ロゼリアが城を出ればシャルネもついて来る。ロゼリアが昨日の部屋で寝ると言えば、彼女も部屋で休む。しかし、また扉の前で横になるだけで、疲れをとるどころではないのは確かなのである。


 それでも、アルギルの部屋はだめなのだ。どうしてもロゼリアが引けない理由。それは、着替えが困難になるということ。

 恥ずかしいなどと、男同士であれば通用するわけがない。騎士同士ではなおさら野営地で着替えることは日常茶飯事。

 しかし、シャルネのためにもアルギルの部屋に行った方がいいのはわかるのだ。

 

 すると「しかたねぇなぁ」と、間の抜けたような声をあげたのはリンクスだった。


「俺が王子の部屋で、一緒にいてやるよ」 


 親指を立て、ニカっと笑ったリンクスを見たロゼリアは、諦めがついてうなずく。


「…わかりました。リンクスがいてくれるなら」 


 自然に出たロゼリアの言葉は、ただリンクスがロゼリアを女だとわかっていながら一緒にいてくれている安心感だけ。


 勝ち誇ったように顎をあげたリンクスを、なぜか睨みつけるアルギルのことまで考える余裕はなかったのである。



 アルギルの部屋は暖炉に火が入り、暖かさが保たれていた。それだけでなく、ルーゼルでは貴重な花を浮かばせた湯までも準備されていたのである。


「この部屋が、アルギルが過ごしてきた部屋なのね…」


 並べてある書物は難しそうな物が多い。ソファーや家具は落ち着いた色合いで揃えられ、つねに花を飾っていたロゼリアの部屋とは、随分と雰囲気が違っていた。


 部屋の前に見張りを置いたリンクスも、ずかずかとロゼリアのあとを追って部屋に入る。王子の部屋という遠慮はないようで、なんともリンクスらしくて図々しい。


「俺はここで後ろを向いてるから、身体を拭いて着替えろよ」


「ええ…」


 シャルネは部屋の間取りを確認すると、部屋から繋がる通路や階段も歩いて回った。もちろん何かあった時のためで、どの階段が、どこに繋がっているか知らなければ、命取りになるからだ。


 リンクスはじっと窓から外の景色を眺めていてこちらを振り向く様子はない。


 ロゼリアは暖炉の前でベルトを外すと、揺れる炎を眺めて息を吐いた。

 

 長い一日だったわ…。


 やっと、はりつめていたものがやわらぐ気がした。

 けっして重いわけではない愛用の剣でも、腰から離れるとやはり重い。そう考えると、シャルネとの力と体力の差を感じてしまう。


 今まで…考えたこともなかったわ。


 自分はもっと強い人間なのだと思っていた。だが実際は、国をなくし、ドラグの裏切りにも気づけない。目の前で人が死んでいくという事実に心は疲弊ひへいし、身体は疲労困憊ひろうこんぱいしているのだ。


 今日だけで、どれだけの人の死を見たのだろう…。今朝、緑の城の落城を知らされ、リュディアの砦…そして、コーネル国王まで亡くしてしまった。


 兄さんの服をボロボロにしてしまったわ。これは、現実のことなのよね…。


 たとえボロ布になっても、ロキセルトのチェニックを捨てるなんてできない。綺麗にたたんで脇に置き、胸から布をほどこうとすると皮膚と布が擦れて痛みが走った。 


「いたっ」

 

 あー、うっ血がひどくなってる…。


「どうした?」


「…いえ」


 今度は、ゆっくりと胸の布を解いていく。

 振り返らずに聞いてくるリンクスは、随分と律儀なんだと思う。


 最初はあんなに喧嘩腰だったのにね。


 くすっと、笑ってしまったロゼリアに、リンクスが「なんだよー」と拗ねている。

 仲間思いで、情に厚くて、ちょっぴりロマンチストのリンクス。いつのまにか、ロゼリアも気を許しているのだ。


 悲しくても、辛くても、心が張り裂けそうでも、ロゼリアがこうして役目を見失わないでいれるのは、ルーゼルの騎士たちのおかげなのである。

 寂しくても、近衛隊がいてくれる。そしてリンクスやアルギル、ジョナサンたちは、ロゼリアを家族や仲間と同じように気づかってくれるのだ。


「ねぇ、リンクス」


 相変わらず、窓から離れないで外を警戒してくれているリンクスに、ロゼリアはロキセルトのふりをやめた。


「いつ、私が女だとわかったの?」









 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る