第41話 そりゃあ、欲が出るなぁ

「いつ、私が女だとわかったの?」


 リンクスは窓から視線を外すことなく「そうだなぁ」と顎に手をあてる。後ろをむいているのに、表情や仕草がわかるのは、暗い窓にリンクスの姿が映り込んでいるせいだ。


「…初めてあった時は、分からなかったよ。まあ、エルトサラの王子が来たと言われれば疑いもしねぇもん」


「それじゃあ、いつ?」


「んー。そうだなぁ。エルトサラの城が…落城したって聞いたあんたを見た時かなぁ」


「…私、何か失敗した?」


「いや、失敗じゃねぇよ? まあ、あれだ。国を滅ぼされたって聞かされたら、普通のことだよな?」


「普通?」


 あの時、ロゼリアは少しの間意識を飛ばしてしまっていた。気がついた時には、シャルネの腕の中にいたのだ。


「気を失ったことが、王子らしくなかった?」


「いや、そこじゃねぇ。あんたは叫んで意識を戻した。あの声は、男のものじゃねぇ」


「…あの時は、いやな夢をみていて」


「まあ、そうだろうよ。あんな声を聞きゃあ、いい夢だなんて思うわけねぇって」

 

 それだと、あの場にいたみんなに気づかれているのだろうか…。

 それなのに、ロゼリアは王子としてのふりを続けていた。


 滑稽こっけいね…。


 だが、黙り込んだロゼリアに、リンクスは「心配すんなよ」といつもの調子で慰める。


「あんときは誰もが冷静じゃなかった。俺だって、リュディアの砦に向かって走っている最中に、そうだよなぁ…って思ったくらいだ。あんたを女だって気づいた奴はいねえと思うぜ」 


 そうなのだろうか…?

 それなら私の努力は無駄ではない?


 誰もがロゼリアに気がついているわけではない。ならば、せめてリンクスには、ちゃんと話をしておいた方がいいのだろう…。

 

「リンクス…。ロキセルトは私の兄なの。私は…」


「王女のロゼリア姫だろ?」


「…うん」


 やはり、気づかれていた。

 ジョナサンの幼馴染みだという彼女が持って来たドレス。あれは、使用人や侍女が着るには、あまりにも豪華なドレスだったのである。


「あんまり気にすんな。俺は誰かに話すつもりはないし、あんたが国の王女だろうと、お姫様だろうと気にしない」


「…それは、もう、エルトサラがない国だから?」


「はっ! そんなんじゃねぇよ! 俺はあんたを、気にいってる。そう言ったよな?」


「…うん」


「俺を見そこなうな! 俺があんたを気にいってるのは、あんたがどっかの国の王女だからってんじゃねぇ!」


 風が強いのか、窓がガタガタと音を立てていた。城の外は冷たい風が砂を巻き上げているのだろう。時折窓にも砂埃がぶつかり、風の音に混ざってザザンと窓を叩いている。

 それなのに、リンクスといるこの部屋はとても暖かいのだ。


 リンクスがよせてくれる温かさに、ロゼリアの緊張が緩んでいく。


「…あんたが自分のことを話たのは、ルーゼルでは、俺が最初か?」


「え? ええ…」


「ふーん。そりゃあ、欲が出るなぁ」


「よく?」

 

 なんの欲なのかは、ロゼリアには不明だ。だが、暖炉で温まったせいなのか、リンクスに本当のことを打ち明けることができたせいなのか、気持ちは随分とらくになっていた。


 胸にもう一度布を巻く時は、かなりの激痛が走った。しかし、いつまでもリンクスを待たせるわけにはいかないので、用意されていた男性用のチェニックに手早く着替える。

 そうして、ロゼリアが着替え終わるまで、一度もリンクスが振り返ることはなかったのだ。


「お待たせしました」


 窓辺でずっと後ろを向いていたリンクスに声をかけると、振り返った顔が心なしか赤い。


「えーと、どうかしました?」


「いや…」


 リンクスは、バツが悪そうにロゼリアから目をそらす。

 ロゼリアは暖炉の前にあるソファーに腰掛けた。


 暖炉の炎がユラユラと揺れていた。時折火花がパチン…と爆ぜる。細かな火の粉は、炎の上でほんの少しの間だけ踊って見せるが、すぐに消えて炎と溶けこむ。

 それでも繰り返し、繰り返し咲く火花を眺めていれば、不思議と勇気がでてくるのだ。輝いては舞い上がり、灰やチリに変わっても、また新たな火花が生まれる。


 いつの日か、エルトサラにロゼリアが帰った時、焼け野原から新しい草木が芽吹いていると信じたい。


 ふと、ソファーに座ったロゼリアに、リンクスが話かけた。


「なあ、あんたは、なんでルーゼルのためにそこまでできるんだ?」


「え?」


 言われて、あらためて考えてみる。


「あんたの近衛隊のためか?」


「…それはありますが、それだけでは」 


 生き残った民を導くのは王家の役目。だが、近衛隊はロゼリアにとっては失った家族の代わりのような存在なのだ。

 だが、身体の疲れは続いていて、昨日よりも、朝よりも、疲れは刻々とロゼリアの身体を重くしていた。

 うっ血した胸は、痛みもでていて血も滲みでているのだ。


 リンクスには、ロゼリアがひどく疲弊しているように見えているのだろう。


「…あんた、痛々しいんだよ。コーネル国王となんか約束でもしたのか?」


「…いえ」


「じゃあ…アルギル王子のため?」


 いやに真剣な顔だ。だからロゼリアもよく考えてから首を振った。


「いえ、アルギルのためじゃない。私は、ただ…」


 死は、誰にでも訪れるものだろう。だが、後悔を残して死を迎えるのだけは嫌なのだ。だから…。


「なんだよ。言えよ?」


 暖炉を背に、ロゼリアの前に立ったリンクスが先を促す。


 言ってもいいのだろうか? ただの自分勝手なんだと思われないだろうか?


 だが、リンクスは真剣な眼差しを向けて、黙ってロゼリアが答えるのを待っている。あのリンクスが…。


「私は、本当は…ただ、もう一度エルトサラの大地を歩きたいだけなんです」


 そう。ルーゼルの民のためなどと美しい気持ちではない。ただ自分がエルトサラに帰りたいだけで…。


「いいんじゃねぇ? それで」


 ニッと笑ったリンクスは、ロゼリアの本心が知れて嬉しそうだった。


 そのあと、アルギルが部屋に戻ってきたのは随分と遅くなってからだったのである。



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