第39話 愛おしさで溺れたんだ

「肩をかしましょうかぁ?」


 不機嫌を隠そうともしないリンクスと、なぜかニヤついているジョナサン。だがすぐに顔を引き締め、ロゼリアに向かって深々と頭をさげたのだ。


、まずはあなたに感謝致します」


「え!? 私は、なにも…」


 ロゼリアは何か感謝されるようなことをした覚えはないのだ。むしろ、ジョナサンを犯人扱いするドラグから助けることもできなかった。

 しかしジョナサンは、年上らしい仕草で笑ったのである。


「あなたがミシェル嬢の止血を試みなければ、彼女は助からなかったと思います。いくらアルギル王子の、俺の処刑が免れていたかどうかはわかりません」


 あったとしても…という言葉は、どうやらアルギルに対しての嫌味のようである。アルギルとジョナサンの間は、しっかりと熱い絆で結ばれているのだろう。そうでなければ、王子相手に、いくらジョナサンが部隊長でも許されないやり取りだ。第一部隊とも、硬い結束があるのだとわかる。


 人は、どんなに強がっても一人では生きていけない。

 つねに兄と両親に守られて生きてきたのはロゼリアだ。だが、この十数年をアルギルも一人ではなかったと知れて嬉しかった。


「でも…ミシェルさんは、助かるかどうか、まだわからないですよね…」


「いいえ。ギンガどのがあのように言うのですから助かりますよ。そうですよね、王子?」


「…ああ」


 リンクスの助けをかりずに立ち上がったアルギルは、頷きながらロゼリアの肩にコートをかけ直した。

 ロゼリアの肌が男達の目にさらされている。そんなことさえ、アルギルには許せなかったのだ…。

 

 ロゼリアの姿は酷いものだった。ミシェルの血で染まった手。引き裂いた服から見える腕は、昼間の戦闘でうけたのであろう傷もある。

 その姿は、そこにいる男達の保護欲ほごよくを掻き立てているのだ。手を差し伸べたい…助けたい…という強い欲求だ。

 それは、アルギルも例外ではない。


 無事でいてくれた…という安心感も重なり、気がつけば、夢中で自分の腕の中に抱きしめていたのである。




 毒矢の影響で気を失っていたアルギルは城にある自室のベットで目を覚ました。


『おや、気が付きましたかの?』 


『…ギンガか』


『ほ、ほ。儂では不満そうじゃわい』


『…ジョナサンに呼ばれたか?』


『はいな。年寄りを働かせすぎじゃわい』


『…ギンガ。エルトサラのだが、城に戻っているのか?』


『ほっ。こりゃこりゃ、命の恩人さまが気になると見えますなぁ』


 リュディアでの出来事をジョナサンから聞いているのだろう。

 ギンガのからかい口調を無視したのは、すぐにでもロゼリアに会いたかったから…。

 

 するとギンガが『実はですな、どうも不穏な動きがおきておりますぞ…』と、思いもよらない内容を話たのだ。


 父上が…? ドラグが…? ミシェルが?


 話の内容は把握できたが、突発的な出来事なのか、何者かによる計画の途中で予想外の思惑が重なったのか…分からない。何もかもが不透明で、底が見えない湖のようだった。


 それでも、何をおいても、ロゼリアだけは失いたくないと思ってしまったのだ。居ても立っても居られない。それなのに、目覚めたばかりの身体は、思うように動かない。


 ロゼリア!!


 呼ばせてくれるなら、心が張り裂けそうなくらい、彼女の名前を呼んでいた。

 

 くっ…。ロゼ! あれを…俺が、気が付かないわけがないだろう!!


 ぐっと唇を噛みしめる。毒矢を受けてしまったのは、油断していたアルギル自身のせいで仲間を責める気など毛頭もうとうない。


 ジョナサンの呼び声は、ずっと聞こえていた。だが、喉が焼け付くようなすさまじい熱さは、松明の炎を口の中へ入れられたようなのである。

 さらには強烈な渇きと、しびれて動かせない身体。ドクドクと、ものすごい速さで血を流しだした心臓。


 そこに、ロゼリアがきた…。

 アルギルを、助けるためのくちづけ…。

 息もできないほどの苦しみから、解放されたあの柔らかな濡れた感触…。


 あの瞬間、身体の苦しみが消えていくのに、心が愛おしさでいっぱいになって…溺れた。

 ロゼリアを思えば思うほど、降り積もる雪のようにアルギルの心を埋めていく。

 動かない自分の身体が憎たらしいほど、ロゼリアを抱きしめたかった。しかし、どれだけ抗っても、沈んでいく意識を保てなかったのだ。


 目覚めたときには、彼女はいないのではないかと、何度、夢の中で恐怖したことか…。


 やっと今、ロゼリアを腕の中に抱きしめることができた。その喜びは、ドラグの裏切りを知った寂しさより、遥かに大きかった。


 どれだけ自分が傷ついても、戦うことを諦めないロゼリアは、誰かの助けを必要としていないのかもしれない。聡明で、剣の腕もたつ。忠実な近衛隊もいるのだ。


 だが、幼い頃のロゼリアは花が咲くような笑顔と、小鳥がさえずるような柔らかい声で自由に笑っていた。気持ちの弱さや悲しみを隠すことばかり考えて、本当の自分を見せれない不器用なロゼリアを、真綿でくるむように優しく抱きしめたい。かつて、ロキセルトがそうしていたように、アルギルもロゼリアを守りたいのだ。自分の横で…昔みたいな笑顔で笑ってほしい。


 身体の内側から生まれた感情に、アルギルも驚いてはいた。

 ルーゼルという国のためでもなく、民のためでもない。アルギルが自分のためだけに、ロゼリアを手放したくない。


 …こんなに強い欲求が、俺にあるのか。今朝、ジョナサンが言っていたな。『失いたく無い相手ができるのは、自分を大切にできる』と。そうだ! 俺はロゼリアを失いたくない!


 自覚した瞬間、アルギルの中で、確かに何かが変わったのである。


「ロキセルトを…上の、俺の部屋へ案内しろ」


「えっ!?」




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