第52話 わからないままにしておけ

 朝日が昇り始めたルーゼルの城門で、ロゼリアは冷たい風にローブの裾をはためかせていた。愛馬の顔を撫でて、たてがみをすき、首をぽんぽんと叩いてからいつものように跨がる。


 ジョナサンは、思いの外心配そうな顔だ。自分が押し付けた役目に、後ろめたさを感じているのだろう。

 指示しなくてはならない意思と、命の尊さを知っていて、失ってはいけないという意思。ジョナサンの中で共存している気持ちだ。


「ルーゼルの山は険しい道になります。無理だと思ったら引き返して下さい」


「わかりました」


「道はリンクスに指示してありますが、西の麓町についたら、領地の男爵家によって下さい。信用できる家です。まずそこで身体を休めて、それからエアロに向かってください」


「ええ。色々ありがとうございます」


 ロゼリアは、あえてゆっくりと頷いた。今から行く旅は、ロゼリアが自分で行くと決めたのだ。たとえ何があっても、誰かを恨むつもりなどない。そもそも、人目を避けて山道を進む。リンクスがついていれば迷うこともないだろう。


 アルギルは相変わらず不満そうだった。わがままなそんな態度を見ると、アルギルが五歳も年上であるのに可愛く見えてロゼリアの顔もほころぶ。


 思わず「大丈夫です」と笑いかけると、アルギルはロゼリアの握る手綱をぐいっ…と引いた。

 ブルル…と、首を振った白馬を宥めてからロゼリアの手を握る。


「…本当は、こんな形でおまえを城から出すつもりではなかったんだ」


「ええ。わかってます」


 アルギルが心配してくれているのは、十分わかっていた。それがロゼリアの力になっているのだとは、本人も気づいていない。


「…ロゼ」 


「え」


 低くそう呼ばれて驚く。ロゼリアの心臓がドキッと跳ねた。

 気づかれているとはわかっていたが、今まで『ロキセルト』と呼ばれていたため、こんなに破壊力があると初めて気がついたのだ。

  

 うわぁ…。


 なのだろうか? しかも『ロゼ』は親しい者が呼ぶ愛称。昔、幼い頃にアルギルから呼ばれていた呼び名と同じだ。


 思わず赤くなったロゼリアに、見上げるアルギルは、そんなことにはお構い無し。焦げ茶色の瞳に映るのはロゼリアだけ。握られた手は痛いほど強く、アルギルがつくる世界に引きずられていく。


「いいか。無茶はしないと約束してくれ」


「えーと。そうですね…。それは、約束できません」


 急に早くなった鼓動の焦りをごまかすように、ロゼリアはいじわるく笑って答えた。だが、かえってアルギルの苛立ちは積もるばかりだ。

 

「…こんなときは、ウソでも約束すると言うもんだ!」


 本当は…離したくはない。側にいて欲しい。この腕で抱きしめて、剣など持たせることなく、俺だけのものになってくれればそれでいい。

 だが、今のルーゼルではアルギルもロゼリアも、互いの命を心配するあまり心が休まる時間もない。


「この戦が終わったら、覚悟しておけよ」


「かくご…ですか?」


「いい。わからないままにしておけ」


「え? ええ」


 だったら、なんで言うの?


 はちりと瞬きを繰り返し、とりあえず、わからなくていいということは考えないようにする。


 アルギルって、こんなに自分中心だったかしら?


「では、行きますね。雪解けの時期にまた会いましょう!」


 甘く絡みついて離さないアルギルの視線を振りほどくように、ロゼリアは大きく息を吸った。


 朝のかぼそい日差しがロゼリアの無造作にまとめた金の髪を照らす。男達の目から、自分がどのように見えているかなど、知りもしない。 


「必ず戻ります!」


 ロゼリアは自分を信じて送り出してくれるルーゼルの騎士達に心から感謝を込めて手を振る。

 …その瞬間、アルギルは馬に乗っているロゼリアの身体を強引に引き寄せた。馬から落ちそうになるロゼリアの身体を受けとめ、顔を寄せる。 


 キス…。


 互いの唇が触れ合っている時間は、ほんの一瞬だっただろう。目を見開いたままのロゼリアは、さっきまでの冷静は吹っ飛び、真っ赤になって「な、なな…なにを…」と言葉にならない声でうろたえる。


 くっと、笑いだしたアルギルは、もう一度ロゼリアの耳にキスをおとしてから告げた。


「いいか。他の男には触れさせるなよ」と…。


「なっ…」


 熱い息を吹き込まれた耳を、慌てて押さえたロゼリアは、理由がわからず真っ赤な顔でアルギルを睨むだけ。


「やぁ!!」


 人前でキスされたことに、羞恥で居ても立っても居られない。もう、わななく手で愛馬の手綱を強く引く。すると心得た白馬は勢いよく走り出した。

 シャルネとリンクスも急いであとを追う。


 見送る者と…見送られる者。

 城に残った者は、無謀な役目を躊躇なく引き受けたロゼリアの勇敢に、ただ敬意を込めて無事を祈る。

 

 …目指す国、それはエルトサラを裏切った南の国。ロゼリアと、シャルネ、リンクス三人の、エアロまでの長い旅が始まったのだ。



 


 *  *  *  *  *

次回 第53話『握った手と開いた手』

どうぞよろしくお願いします。

  

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