第53話 握った手と開いた手

 城郭都市を出たロゼリア達は、ジョナサンの指示に従い西に向かって馬を進めていた。しばらく続いていた石畳が、次第にごつごつとした岩と赤土の野道に変わる。


 なるべく人の少ない山岳の麓を進み、西側から南のエアロに入る計画だ。見上げれば山の岩肌に白く残った雪がある。吹き付ける風は冷たくあっという間に手足の感覚を奪っていた。だが、景色は美しかった。


 オレンジ色に染まった朝のルーゼルは、戦を目前に控えているとは思えないほど静かで神秘的。

 遥か頂の雪化粧も赤く染まり、剥き出しの大きな岩と赤土の大地で、どこからどこまでが空なのかと目を細めてしまう。


「戦なんて、なくなればいいのに…」


 ロゼリアの呟きは、誰もが思うことだろう。しかし、戦を好む人間がいるのもたしかなのだ。


 ロゼリアは、冷たい空気を吸込みながら、ゆっくりと馬を導いていた。


 ルーゼル城を出発した時にされたキスは、とりあえず考えないようにしている。

 からかわれた…という感覚はない。それでも、大人のアルギルから見たら、自分はまだ小娘なのだと思う。


 アルギルの『覚悟しておけよ』という意味深な言葉は気になるが、わからなくていいと言っていたし、実際なにを覚悟しろと言われているかわからなかった。ただ…。


 私にはまだ覚悟ができていないと言いたかったのよね…。確かに私はアルギルより五歳も下だけど…なんとなく、納得できないわ!


 もっと大人の女性だったら、スマートにキスをやり過ごせていたとは思う。


 だが、今は旅の道中だ。リンクスがいなくてはどちらに行けば良いのかわからないような野道を進んでいて、少しでも目印になるものを覚えておかなくてはいけなかったのである。それは、たった一人になっても誰かが確実にルーゼルの城に戻らなければならないから。


 帰路も三人でいればいいけど…。

 

 気持ちは焦る。だが、急いで辿り着いたところで馬も人も疲弊していては、戦いにはならないのだ。


『いいか。いざという時に剣が握れなくては、意味がないんだぞ』


 それはつい先日、ロゼリアがエルトサラを旅立った道でマイロから教わったことだった。

 

「まずはマウカザス山の麓の街まで走ろう」


「マウカザス火山ね」


「ああ。昔は火山活動が活発だったけどなぁ。ここ十年ぐらいは火を吹いてねえぜ」


 リンクスは騎士仲間から渡されたポポーを大事に背中に背負っている。もちろんロゼリアもわかっていて、知らないふりをしていた。シャルネも笑うだけ。

 どんな旅でも楽しみがあるのは嬉しい。そこにみんなの優しさが込められていると知っていれば嬉しさや喜びはひとしおだ。


 近衛隊も、ルーゼルの第一部隊もいない。ロゼリアとシャルネとリンクス、たった三人であったが不思議と不安はなかった。ただ一つ、思うことは…。


 間にあうかしら…。


 雪解けまでには、ルーゼルの城に戻っていたい。雪が深くなるまでに山道を抜けてエアロに入らなければ帰りが難しくなる。


「ねえ、リンクス。リュディアの谷によってからエアロに向かうのは駄目かしら?」


「あんたの近衛隊だろ? 気持ちはわかるが、やめておいたほうがいい」


 リンクスは、リュディアにいる内通者を警戒しているのだ。それにリュディアによれば、かえってマイロ達を危険にさせてしまうかもしれない。

 内通者が捕まったという連絡もないのだ。


「マイロには言っておきたかったのだけど…シャルネだけでも回り道する?」


 シャルネはマイロを好いている。会わせてあげたいと思うのだが、シャルネは笑いながら首を振った。


「いえ、話す内容を誰かに聞かれる恐れがあります。あなたが向かう先とあなたの指示は、アルギル王子がハクに託してくださいましたので、マイロ隊長は大丈夫です」


「…そうね」


 口では大丈夫と言っていても、シャルネはそう信じたいだけだろう。それを分かっていてロゼリアも頷くしかない。


 山道に入れば刻々と冷たさを増し、冬がすぐそこに迫っているのだと感じた。


「それで、あのね、シャルネ。確認なんだけど…胸の傷を診てくれたのは…医療班の人とシャルネだけなのよね?」


「…はい」


「アルギルは?」


「王子なら、部隊長と作戦会議にいたぜ?」


「…リンクスが薬草師長と医療班を呼んでくれたの?」


「まあ、そうだな。俺が王子に頼んだ。ちょいと怪我してるみたいだから医療班を呼んでくれって。あんときは…黙って見ていて、悪かったよ」 


「それは…私も不注意でしたので、もういいです。結局、みんな私が兄さんでないと知ってしまったのですね…」


 それなのに、ジョナサンも第一部隊も普通なのだ…。気づかれたら…とずっと気を張っていたのに、なんだか気が抜けてしまう。


 「そうでもないぜ?」と、意味深に笑ったリンクスは「ほら、俺を殴っていいから」と顔を突き出した。


 そんなふうに言われて殴れるわけがない。とりあえずにっこり笑って自分の手をヒラヒラとさせてみる。


「じゃあ、リンクスは、握った手と開いた手、どっちがいいですか?」


「えぇー。そりゃあ平手がいいけど…。それだと、あんたの気がすまないって言うなら、好きにしていいぜ?」


 リンクスのこういう顔は、男だな…と思う。潔くて、結局怒れないのだ。


「ふふ。冗談です。私もリンクスをだましていたのでおあいこです」


「そうかぁ? まあ、どっちだっていいんだけどな。これから行くエアロには、いちようロキセルト王子として行くわけだし」


 そうなのだ。今、ロゼリアは男装姿である。さすがにたった三人の旅で、女を連れているというのは、あまり好ましくない。無意味に騒ぎに巻き込まれるのだけは避けたいし、アザマの残兵や敵にみつかり、三人が散り散りになってはエアロまで辿り着けるとは思えないのだ。


 だからこそ、このまま、西に向かって馬を進めていればよかったのだろう。

 それは…左右に分かれた野道にさしかかったときだった。




 

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