第54話 六年ぶりの里帰り

 それは…左右に分かれた野道にさしかかったときだった。


「この先を三日ほど行けば、マウカザス山の麓街につくんだ」


 では、順調に行けばジョナサンが言っていた男爵の屋敷に三日ほどでつく。それまでは、寒さを凌ぎながら先頭を行くリンクスに任せるしかない。

 すると、思いついたように反対側の分かれ道をリンクスが振り返った。


「ああ、そういやぁ…こっちの方角に行くと、俺の実家がある村なんだぜ。まあ、そんなに大きな村じゃあねぇけど、レンガ職人が多くてさ。村のあちこちにある窯から年中煙を吐いていやがるんだ」


「えっ?」


 リンクスのあとを追って右へ進もうとしていたロゼリアが馬を止めた。「ん?」と振り向いたリンクスは不思議そうな顔だ。


「えーと、リンクスのご両親は今でもその村にいらっしゃるの?」


「親? ああ、村を出たって話は聞かないからいると思うぜ。俺が村を出たのは十五だったかなぁ。毎日毎日変わらん景色に嫌気がさしてさ」


 本当に何気ない話をしただけだっただろうリンクスは、枯れたススキがうっそうと続く分かれ道のその先に思いを馳せる。リンクスの生まれ育った故郷。

 

「…村を出ていくことに、反対はされなかったのですか?」


 ロゼリアは、かつてリンクスが過ごしたという村に無性に後ろ髪を引かれたのだ。

 不思議そうな顔をしたリンクスは、それでも笑いながら昔話を続けた。


「まあ、両親に反対はされたぜ? でも俺はもっとでっかいことがしたかったんだよな。あんな小さな村で一生過ごすより、今の方がずっと俺の性に合ってる。そういやぁあれ以来、一度も帰ってなかったなぁ」


「一度も?」


 リンクスの顔を見ればわかる。故郷を顧みなかったのは、それだけ騎士として充実した時間を過ごしてきたのだろう。リンクスは仲間思いの熱い男だ。騎士を目指したことは、けっして間違ってはいない。


 しかし、これから大きな戦が始まろうとしているのだ。人が人の命を奪い、尊いはずの命が落ち葉のように揉みくちゃにされて踏みつけられていくのに、振り返りもしなくなる。戦とはそういうものだ。


 さらに、敗戦の色が濃くなれば…年寄りだろうと、子供だろうと剣を持たされ戦に駆り出されるだろう。そこに本人の意思などない。

 …そして一つ、また一つと村や街が消えていく中、最前線で戦っていたリンクスの命は、おそらく消えている。


「…村に、帰りたいとは思わない?」


 今、帰らなければ、二度と両親に会うことも、自分の故郷を見ることもないかもしれない。気づいてしまえば、それはあまりにも淋しい現実だった。


 それで、いいの?


 そんな感傷に浸ってしまうのは、やはりロゼリアが国をなくしているからだと思う。意を決したロゼリアはリンクスに求めた。


「ねぇ、リンクス。寄り道になるけど、少しだけ…レンガ職人の街を見てみたいわ。そのあと、男爵家の領地に向かっても間に合うでしょ?」


「はあ!?」


 ロゼリアの頼み方が悪かったのだろう。大袈裟に驚いたリンクスに、ロゼリアの白馬が前足を跳ね上げた。


 思わず手綱をおとしそうになったロゼリアは、ブルル…と首を振った愛馬に慌てて「大丈夫よ」と首をさする。


「悪い。大丈夫だったか?」


 焦ったリンクスも、急いで馬を寄せた。


「こんなところで落馬して、あんたに怪我でもされたら、俺が部隊長に殺される」


 ロゼリアの愛馬をポンポンと宥めて、深いため息をついた。


「…まったく。あんたは、ほんとにお人好しだよなぁ」

 

 そしてやっぱり笑ってくれた。「こりゃあ部隊長に怒られるなぁ」と言いながらも、馬の手綱を引いて向きをかえる。サワサワとススキが揺れている野道を歩きだした。

 リズムよく、ゆっくり響く蹄の音が、懐かしい風を運んでくる。


「はあ。六年ぶりの里帰りだぜ…」


 ため息交じりに笑うリンクスだったが、郷愁きょうしゅうを感じるそれに、ロゼリアの心が温かくなる気がしたのだ。


 ロゼリアが失ったものが、リンクスにはまだある。まだ、間に合うのだ。後悔だけはしてほしくない。


「帰りは強行になりますね。無理をを言ってごめんなさい」


「はっ。よせよ。あんたの言いたいことぐらい、わかってるさ」


「ふふ」


 ニヤっと笑ったリンクスが急に男らしく見えて、ロゼリアも思わず笑ってしまう。心を通わせることができる仲間がいる。それが嬉しかったのだ。


 たとえ…いっときでもかまわない。故郷の景色とご両親の顔を見て、何でもいいから言葉を交わせれたらそれでいい。罵声や村を捨てた恨み言でも大丈夫。帰らない後悔より、きっといいはずだわ。


 そんな甘い楽観が、ロゼリアにもリンクスにも、まだあったのだろう。


 この時、駄目だと言いきれなかったシャルネに罪はない。しかし、間違っていた。まさか…エアロどころか、マウカザス山の麓街に向かうことすらできなくなるとは、考えもしなかったのである。



 そうして二日ほど馬で移動したロゼリア達は、日が落ち始めてルーゼルの山々が茜色に染まった夕刻、リンクスの生まれ故郷ポックス村に入ったのだった。

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