第72話 山岳の都

 騎馬隊を護衛につけながら、馬とエルクの歩に任せて、ゆっくりと進む。谷間を利用したアザマの城都の景色に、ロゼリアは感動していた。 

 

 ルーゼルからアザマの領土に入ったばかりの頃は、初めて見る山岳の景色を眺める余裕はあったのだ。しかし、身体の疲労と喪失感で、コーエンの屋敷に保護される数日の記憶が曖昧なほど弱っていたのだとあらためて実感する。


 城都の街並みは、厚布の仕切りで間仕切りされた店が並んでいた。たくさんの小物や食べ物が並べられ、ルーゼルやエルトサラとはまた違った雰囲気で活気がある。


 中でも賑わっていたのは、客が自分の器を持って行くと、その場で店の主人が料理を盛ってくれる店だ。飲み物や、スープもそういったスタイルの店が多く、興味津々でロゼリアが見ていると、コーエンがエルクから降りて白濁の飲み物をご馳走してくれた。


「わっ。ずいぶんと熱い飲み物ですね…」


「ああ。冬の時期だけ出回るらしいな。少し甘いが…この国は山岳地帯だからな。こういった嗜好品は好まれる。熱くすることで、より強い香りを出すらしい」


 芳ばしい香りと、立ち上がる湯気は、寒い冬には身体に染み渡る。


 飲んで見て、なるほど…とロゼリアも頷いた。


 大釜を直接火にかけ、その場で客に売ることで熱さを保つ。まさに冬にはピッタリなのだ。城都に活気があるのも頷ける。


 しかし…行き交うアザマのみんなが、一様にロゼリア達を振り返るものだから、どうしたって気になってしまうのだ。せっかくの飲み物を味わうどころではない。


 …これは、憧れの眼差しよね。


 英雄視されている七星老騎士隊のコーエンが、自国の城都を歩けば注目を浴びるのも仕方がない。しかしコーエンは気にしていない様子なので、いちようロゼリアが言ってみる。


「あの、みんな見てます…」


「まあ、無理もないな。異国の娘は珍しいからな」


「え? 私でなく、みんなあなたを見ているのですよね?」

 

「……」

 

 ずいぶん変な顔をコーエンに向けられたロゼリアは、さすがに何かが違ったのだと考えてみて、自分がエルクに乗っていたのだと気がつく。


「あ、なるほど。エルクは人に懐かないのでしたね。では、アザマの方々もエルクを目にするのは珍しいのでしょうか?」


「…この国の民が、今さらエルクを見て驚くわけないだろう。みんなは、おまえを見ているんだ」


「わたし?」


 そしてようやく気がつく。ロゼリアはここにいるアザマの民の誰よりも豪華で美しいドレスを着せられているのだったと…。


 しかしそれでも…相変わらずロゼリアはロゼリアなのだ。


「あの、私、逃げませんので自分で馬を引かせてくれませんか?」 


 七星老騎士隊のコーエンは、王から絶大な信頼を受けている。そのコーエンと同じエルクに横座りに乗せられているということで、二人の関係を噂しているのではないかと、ロゼリアは考えたのだ。


「おまえは…いや、いい」


 驚くほど大人びたキレを見せる娘が、自分のこととなると、なぜここまで鈍感になるのかとコーエンも考える。だが、それさえも人を惹きつけるロゼリアの魅力なのだと納得するしかない。


「そういえば、まだ十七か…。おそろしく子供だな」


「え?」


 低すぎるコーエンの声が聞き取れなかったロゼリアは、もう一度聞き返してみるのだが、相変わらずコーエンは傷のある頬をつり上げて笑うだけで本心を明かしてはくれない。


 さらに逆に「おまえは、その格好で馬に跨るのか?」と聞かれてしまい言葉につまる。


 確かにドレスで馬に跨るのは無理があるのだ。


 だったら、なんでこんなドレスを着させるの!


 …と、でかかった言葉を辛うじて飲み込んだロゼリアは、店を行き交うみんなの視線をひたすら無視して白濁の甘い飲み物を口に含むしかなかった。


 なぜかロゼリアの怒った顔を、コーエンがじっと眺めているので居心地が悪い。

 そしてコーエンの騎馬隊や、道行く民から、生暖かい視線を向けられるのも、ロゼリアをいたたまれない気分にさせているのだ。


 私の怒った顔って、そんなに変なのかしら? 


 それなら、この男を喜ばせてもいい事があるわけではないので、とりあえず冷静をよそおう。


「せめて馬車を用意していただけませんか?

このエルクにも負担がかかりますし、あなたも…私を乗せていては動きにくいですよね?」


 訓練されている馬やエルクが、小娘一人増えたくらいで負担などかかるわけはないのだが…。


 案の定コーエンは、ふん…と鼻で笑った。


「なんだ。そんなことを気にしているのか? それに、女の身体を抱いていて嫌がる男がいるのかも疑義ぎぎが浮かぶな」


 ごつごつとしたコーエンの指が、ロゼリアの髪を一房持ち上げ、自分の鼻に近づける。


「ましてや、おまえからはいい匂いがする」


 とたん頬を赤くしたロゼリアが、慌てて仰け反った。


「だっ、抱くというのとは、違うと思います! それに、その…良い香りはあなたの屋敷の侍女が優秀だからです!」


 そうなのだ。今日のロゼリアの着替えもエレナが手伝ってくれた。できればもう少し動きやすい格好がありがたいのだが、有無を言わせないエレナの雰囲気に押され、されるがままに髪も結われた。ずいぶん凝った髪型にされ、その時香りの香油をつけたのだろう。


 もしかしたら、エレナと顔を合わせるのは今日で最後になるかもしれないと考えていたロゼリアは、なぜかはしゃいでいる彼女のやることに、黙ってされるがままにしてしまったのだ。


「出来上がってこれでは…」


「なんだ。服が気に入らないのなら新しい服を買うか?」


 ため息をつきながら呟いた独り言を、コーエンに面白がって返されてもやっぱりため息しかでない。


「…いえ。大丈夫です」


 再び大きく息を吐き出したロゼリアに、コーエンの男心がうずく。いや、この場合いたずら心とでも言うべきか…。


 ロゼリアの細い腰に、コーエンは自分の腕を回した。ぐいっと力を込めて、ロゼリアの身体を引き寄せれば、とたん頬を染めたロゼリアが無垢な反応で身体を強張らせるのだ。


「…これで男の身体にしなだれるぐらいのしたたかな計算があったら、国一くにひとつくらい簡単に手に入りそうなのにな…」


 コーエンの低い声は、相変わらずロゼリアにはよくわからない。しかし、コーエンはずいぶん楽しそうに喉の奥で笑っていた。




次回『難攻不落の城へ!』

どうぞよろしくお願いします。

 

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