第87話 粗末な男爵家へようこそ

 温かな朝の日差しを感じたロゼリアは、ゆっくりと夢の中から抜け出した。


 チチ…チ、チチ…。 


 部屋の窓辺で鳥がさえずっているのがわかる。


 重たい瞼をあげると、ベッドの天蓋付からふんわりとしたレースがロゼリアの寝ているベッドを囲んでいた。


「…朝? ここは、どこだったかしら?」


 頭が重く、身体も酷く怠い。起き上がりたいのに、まったく力が入らないのだ。

 レース越しの向こうで誰か動いた。


「姫君?」


 そう呼ばれて自分が一国の王女だったのだと思い出す。自分を気遣う優しい女性の声だ。しかし、それと同時に、国はアザマに滅ぼされ、家族や民は皆殺しにされたのだという現実を突きつけられ、再びロゼリアはきつく目を閉ざした。


 ぎゅっと目を閉じ、なぜこんな立派なベッドで寝ていたのかを考えるが、ふわふわと雲を掴むような感覚で、頭の回転が追いつかない。


「姫君? 急に動いてはいけませんわ。失礼してもよろしいでしょうか?」


「え、ええ。どうぞ、エレナ」


 言葉に出してから、ふと…エレナの声ではないと思い当たり顔を上げる。


 シャ…と、レースが引かれ顔を出した女性はどこかで会ったことがあるような見覚えがあった。


「姫君、私はエレナさんではありません。ご心配いりませんわ。私はポーラ=ファウスト。ここは私の屋敷ですの」


 歳は三十前後だろうか。長い亜麻色の髪を結い上げ、優しく落ち着いた笑顔は確かに以前会っている。だが、どうしても思い出せない。


 それと、自分が彼女の屋敷にいる理由もわからないのだ。


「少し寒いですが、部屋に風を入れましょう」


 そう言って、ポーラは窓辺の取手に手をかけた。とたん、さえずりを楽しんでいた小鳥たちが飛び立っていく。


 ふわっと部屋を通る風は、冷たさの中に春の匂いがした。


 小鳥と、春風?


 ズキ…と、痛む頭をおさえながら考える。


「そうだわ。私は、アザマの国にいたのよ。ザナ陛下の城で…アルギル達に会えたんだわ。それなのに、部屋に反逆者が! あ…矢が…矢が…みんな、みんな…私を守って死んでしまう!」


「姫君、姫君! 落ち着いて。大丈夫ですから、どうか落ち着いて…」


 まるで母のように優しく抱きしめられたロゼリアは、ほう…と息を吐き出し力を抜いた。深く深呼吸をして曖昧だった記憶を思い出し、闇にのまれそうだった感情をやり過ごす。


「…取り乱してすいません。もう大丈夫です。私と一緒にいた…は無事ですか?」


「ええ。アルギル王子も、リンクスも大丈夫ですよ」 


 試すようなことをしてしまった ロゼリア だったが、ポーラは何の疑問も持たず、二人の名前を口にした。

 どうやら信用して良い女性なのだとわかり、ロゼリアは再びベッドに横になる。ポーラは柔らかく微笑んだ。

  

「姫君が気がついたと、ジョナサンに伝えますわね。きっと、王子もお喜びになりますわ」


「あっ。ま、待って! あなたは…フユヅタのドレスの?」


 ジョナサンの名前が出て、やっと思い出す。彼女は…あのルーゼル城での騒動がおきる前、コーネル国王と会うためにと、自分のドレスを用意してくれたジョナサンの幼馴染みだったのだ。


 あの時のロゼリアは、ロキセルトのふりを続けていた。フユヅタの刺繍が入った彼女の思い出のドレス。受け取ることもせず、早々追い返してしまったロゼリアの態度は、ずいぶんと失礼だっただろう。


 クスクスと品良く笑ったポーラは改めてロゼリアに綺麗なカーテシーで膝を折った。


「粗末な我が男爵家へようこそ。エルトサラのロゼリア姫。ようやくあなた様をお迎え出来て嬉しいですわ」


「ようやく?」


「ええ。本来は冬が深まる前に訪れて下さるとジョナサンから聞かされておりましたの。すっかり冬も終わってしまいましたが、姫君がご無事で本当によろしゅうございましたわ」  


 ジョナサン? 冬前に訪れる約束?


「…もしかして、ここは、マウカザス山の麓街?」


「ええ。そうですわ」


「では…ジョナサンが言っていた領地の信用ある男爵家とは、ファウスト家のことだったのですね。だったら、ジョナサンもそう言ってくれればよかったのに」


 ついこの場にいないジョナさんに不満を押し付けてしまうが、クスクス笑うだけのポーラに、ロゼリアは急に申し訳ない気持ちになり頭を下げた。


 エアロに向けて城を出たはずのロゼリア達が、予定していた日を過ぎてもなかなか到着せず、ずいぶんと心配をかけたのだろうと思ったからだ。


「あの時は、ジョナサンの指示に従わず、ご心配をおかけしてすいませんでした」


「ふふ。もう、よろしいですわ。こうして無事を確認できたのですから。ただ今度こそ、しっかりと私の屋敷で身体を休めて下さいね」


 頷いたロゼリアは、ポーラがファウスト男爵家の領地を継いだのかと思い聞いてみる。


「母は他界しましたが、父がまだ健在ですのよ。もういい年ですのに、エルトサラの姫君をお迎えできるとあって、ずいぶん張り切っておりましたわ」

 

「うっ。そうでしたか…。では改めてご挨拶させていただきたいとお父君にお伝え下さい」


「ぷ。本当にジョナサンが話していた通りの御方ですわね。大丈夫。父のことはほっといてくださいませ。私が子供を連れて実家に戻ってしまったので、すっかり出不精になってしまっていたのですわ。今ぐらい動き回っている方が、ちょうどいいのです」 


 クスクス笑いながらロゼリアの着替えを手伝ったポーラは部屋から出ていく。


 入れ替わりで入ってきたのは、ポーラに良く似た少女とルーゼルの部隊長ジョナサンだった。





次回『騎士達は皆、感謝している』

どうぞよろしくお願いします。

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