第88話 騎士達は皆、感謝している

「ロゼリア姫。気分はいかがですか?」


「ええ。まだ、剣を振りまわせるほどではないですが、大丈夫です」


「ははは。それは良かった。彼女はポーラの娘、ジュリア。ほらジュリア、ご挨拶だ」


 ジョナサンの後ろから顔を出した少女は、ぎこちないまでも可愛らしいカーテシーでドレスを広げた。


「は、はじめまして。エルトサラのおひめさま」


 ポーラと同じ亜麻色の髪。だが、鳥の巣のようなふわふわの巻き髪が幼さを強調していて少女に良く似合っている。

 ロゼリアもにっこり笑って挨拶をした。


「はじめまして。マウカザス山を領地に持つファウスト男爵家のお嬢様。この度はとても可愛らしいジュリアにお会いできて光栄です」


「きゃあ」 


 とたん嬉しそうに飛び上がったジュリアは、年相応で可愛らしい。ジョナサンの腕にしがみついて離れたがらない仕草も、平和な光景で眩しいほどだ。


 慣れた手付きで頭を撫でたジョナサンは「外で遊んでて」と言ってジュリアを部屋からおいだす。不満そうに唇を尖らせたジュリアは、思いついたように目を輝かせた。


「ハクはいる?」 


「今はいない。まったく、王子の鷲に近づきすぎるなと、いつも言っているだろう?」


「えーなんで? ハクとわたしはお友達だもん!」


「そんなこと言って、この前ケガしたばかりだろ? あまり心配をかけてくれるな」


「違うもん。あれはハクのせいじゃない! 木登りしてたらジュリアが勝手に滑って落ちちゃっただけだもん!」

 

「はあ、おまえねー。大鷲は主人以外になつかない。ジュリアには無理なんだ」


「無理じゃない! 絶対、ハクとお友達になるんだもん!」


 そう言ってバタバタと走り去るジュリアの背中を見送ったジョナサンの顔は、言葉ほど怒ってはいない。

 切れ者と噂されている部隊長は、ジュリアの成長を楽しんでいるような、そんな穏やかな表情だったのだ。


「騒がしくて申し訳無い」


 そう言ってロゼリアと向き合ったときには、いつもと変わらないジョナサンだったのだが。


「…ずいぶん、彼女はジョナサンに懐いているのですね」


「ええ、まあ。ポーラが離縁したのは、ジュリアがまだ一歳にもならない時でしたから。それから屋敷を訪れるたびに、こうして一緒にいれば、まあ自然と懐かれますよ」


「…ジュリアは、ジョナサンを父親だと思っているのではないですか?」


「いや、それはない。ポーラが離縁した夫、つまりジュリアの父親のことは話てあります。俺はポーラにとって幼馴染み以外、何もありませんよ。それに…俺は家庭を持つ気はありません。職務がら家にいる方が少ないですからね」


「家庭を持つ気がない? それはポーラとジュリアが望んでも?」


「…なんですか、突然」


 罰が悪そうな顔でため息をついたジョナサンに、ロゼリアだって余計なお節介だとはわかっている。それでも彼女のドレスを無碍むげに扱った後ろめたさがロゼリアの口を滑らせた。


「あの時、ポーラが持っていたフユヅタのドレスは、ジョナサンが贈ったものなのでしょう?」


「…」


「政略結婚は…貴族社会では当たり前だと私も知っています。でも幸運にも、彼女はもう一度相手を選ぶことが許された。子供がいるポーラは自分からジョナサンを求めるわけにはいかない。だから…彼女は待っているのだと思います」


 もう一度、ジョナサンが求めてくれるのを…。

 今度こそ、愛する男のものになるために。 


 大人二人の恋に、小娘のロゼリアが偉そうなことは言えない。それでもジョナサンに伝わってほしいと願う。


 ポーラの気持ちももちろんだが、あらん限りの力と知恵を振り絞って、ジョナサンはロゼリアを助けようと努力してくれたはず。そんなジョナサンに、幸せになってほしかったのだ。


 ジョナサンからしたら、ロゼリアは十歳以上年の離れた小娘。それでも思いの外真剣な眼差しに、誤魔化すことを諦める。


「…はあ。かんべんして下さい。俺は…ポーラやジュリアに何かあっても駆けつける自信がないんです。戦時ならなおの事。俺は彼女達より国を守る人間でして、そんな俺がカッコつけても、一緒になった女は気も休まらない。せいぜいこうやって顔を見にくるぐらいしかできないんです」


「そうかもしれません。でも、次はないかもしれない。ポーラは十分若く美人です。ジュリアだって…」


 だんだんと前のめりになったロゼリアに、ジョナサンは慌てた。


「ちょっと、ちょっと待って下さい! あなたから、そんなことを聞かされるために連れ戻したわけじゃない!」


「あ…ごめんなさい」


「まあ、いいです。何があったにせよ、あいつと話を聞きますよ」


 あいつとは、アルギルのことだろう。

 しゅんと下を向いたロゼリアに、ジョナサンは諦めて声のトーンを少し落とす。


「いいですか、ロゼリア姫。スコットの事は聞いています。あれはあなたのせいではない」


「…はい」


 べつに自虐的になるつもりはない。ただ、目の前の命すら救えない不甲斐なさを身にしみて感じているだけ。


「俺はあなたの警護を兼ねて男爵家にいましたが、あいつは城です。あなたが目を覚ましたと知らせを飛ばしましたので、四、五日の間には来るでしょう。それまでは、まずはゆっくり身体を休めてください」


 腰にあるサーベルを確認すると、ジョナサンはキビキビとした足取りでベッドから離れた。


 だが、部屋から出て行こうとしてロゼリアを振り返る。


「今回、ルーゼルのためにあなたがして下さった数々ですが…。自分を顧みない行動は、けして褒められるものではありません」


「…ええ。わかってます」


 ロゼリアは、エルトサラの王女。生き延びた民にとって希望の光。


「だからと言って、俺達が何も知らないでいると思わんで下さい。騎士達は皆、あなたに心から感謝しているんです」 


「…はい」


 チチ…。


 開け放した窓辺に、二羽の小鳥が止まった。風がロゼリアの髪を優しく揺らす。アザマでの出来事が、はるか昔に感じた。

 こうしてロゼリアが、生きてルーゼルに戻り、ジョナサンと話をしている。それは全てが奇跡に近い事だったのだろう。


 ジョナサンが窓の外に目を向けた。そこから見える景色は、雪を抱いた壮大なマウスカザス山。


「俺達は…あなたがこのルーゼルの地を選んでくれることを望みます」


 それだけ言うと、ジョナサンは扉を開け部屋から出て行ってしまう。


「…ルーゼルを選ぶ?」


 エルトサラではなくて?


 それがどういう意味なのかは、その時はよくわからなかった。


 


次回『俺を嫉妬で狂わせたい?』を6月8日 土曜日に更新します。

どうぞよろしくお願いします。

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