第28話 アルギルの戦術
それは…驚くほど大きな地響きだった。
ロゼリアは、砦の見張り台からその地鳴りと大地が動くような戦術を見ていた。
砦を守るように作られていた木の防護柵は、一つを外すと全てがドミノ倒しに谷へ転がり落ちていった。一本一本の木に縛り付けられていた土嚢の中身は岩石だ。
谷の上から堰き止めていた水の如く、岩と木々が勢いよく落ちていくのだ。しかも防護柵は手が加わった木。上下は槍のように鋭く、それがまっすぐにアザマの兵に向かっていけば…。
散り散りだ。ある者は押し潰され、ある者は鋭い柵が身体を貫き、ある者は自分の愛馬に踏み潰される。アザマは後退する以外にない。しかし、後退した先には…アルギルと、ルーゼルの兵士達が待ち構えていた。
「放てー!!」
矢が一斉に空に放たれた。一瞬空を覆った無数の矢は、足もおぼつかないアザマの兵士達を射抜いていく。
戦況は、誰の目からもルーゼルの圧勝だった。
『…タイミングが重要ですかねぇ。失敗すれば、二度目は通用しない戦術です。問題は、誰が砦で、合図を出すか。アザマの背後に陣形を取るにしても、大人数で動いてはアザマに何かあると感づかせてしまいます』
まるでボードゲームでもするかのように、ジョナサンが作戦をロゼリア達に話すのである。
『…ロキセルト、俺と第一部隊がアザマの背後に回る。エルトサラの近衛隊は、ドラグと砦を守ってくれ』
『…ですが』
アザマの背後をとる陣形は、地の利が無いロゼリア達より、ルーゼルの騎士に任せたほうが良いことはわかるのだが…。
『おそらく、半数以上は谷に埋まる。そしてほとんどが後退する。だが、どんな状況でも必ず敵陣を目指す奴がいるんだ。今回の目的は、わかるな? 誰一人、アザマの兵士を北に帰さない』
『…ええ』
アルギルが言うように、アザマの生き残った兵士達がリュディアの砦を目指すのであれば、ここでアザマの兵を迎え撃つための兵士も、必要なのだ。
『投降すれば捕虜にしろ。それ以外は…やれるか?』
『…はい。問題ありません』
これが…
見張り台から、初めて味合う血生臭い匂いと戦場。遠くて良くわからないが、どれほどの兵士が今この谷で命を落としたか…。
生きるか…死ぬか…。
とるか…とられるか…。
それが戦なのだ。きれい事など通用するわけがない。
「あ、見て! こっちに向かってくる兵がいます!!」
ドラグに言われるまでもない。崖を飛び跳ねるように登りながら、砦を目指す一弾がいた。
「…五、六、七、七人のエルク騎士です!」
それはエルクの背にのった兵士七人。その後ろには勢いづいた何十人かが剣を抜いて走って来る。
「…ドラグはここにいて。下はルーゼルの騎士と近衛隊がいるから、心配ないから」
「…だめですよ?」
螺旋階段を降りようとするロゼリアを、ドラグが入口を塞いで止める。
「行かせませんよ!」
「…なぜ?」
「なぜって…。だってあなたは、死んではいけない人だから!!」
ドラグの必死さは、ロゼリアにも伝わる。強風に髪をなびかせ、力ではロゼリアに敵わないとわかっているから、身体で螺旋階段の行く手を塞ぐのだ。
「アルギルから、頼まれたのですか?」
「っ。違う! そ、そうだけど、違うんです!」
「…何が違うんです?」
「僕は、僕は…」
ふるふると首を振って、それでもドラグの手は螺旋階段の入口を離さない。
近衛隊とルーゼルの騎士達は、騎乗して砦の先で横に並んでいる。この砦を突破されては、城郭都市とは目と鼻の先。ルーゼルの民の生活そのものを戦でめちゃくちゃにされてしまう。
「…僕は、僕は、もう、あなたに傷ついてほしくないんです!!」
「…ドラグ?」
「僕、わかってるんです! 本当は悲しい。 泣き叫ぶほど辛いのでしょう? 僕は四歳の時に母を亡くしました。よく覚えてないけど、それがどんな絶望だったかは覚えています。 家族をなくす悲しみは、僕だって、僕だって…知ってる!!」
「ドラグ」
驚いた。無邪気でよく笑い、歳の離れた兄や王子として大切に育てられていると思っていたドラグに、こんな 押し殺した感情があったなんて…。
「この砦は、僕の国の騎士と、あなたの近衛隊が絶対守ります! あの程度の数なら、あなたが出る必要ないでしょう!? 僕と一緒にここにいて下さいっ。お願い!」
ビュッ…と、強い風が螺旋階段を吹き抜けて、ドラグの身体を前に押した。慌ててロゼリアが支えると、ドラグはそのままギュッと身体に抱きついてきてロゼリアを驚かす。
まるで、わがままを言う子供のようだ。泳いでいる川の魚を、キレイだから捕まえてくれと、駄々をこねられている気分である。
それでも、心配してくれているドラグを、素直に嬉しく、可愛いと思えた。
「ふふ。ごめんなさい。今の言い方は私が悪かったです。心配してくれる気持ちはとても嬉しいのですが、私はルーゼルのために近衛隊と戦うと決めたのですよ。それに…、私はドラグが思っているよりもずっと強い。なんたって私の剣術は、国の英雄を凌ぐほどなのでしょう?」
サラサラの髪を優しくなでたロゼリアは、少し戯けたようにまっすぐにドラグを見た。
緑の瞳で微笑されたドラグは、大きく目を見開く。
すぐ目の前の金の髪が風に踊り、光の陽光を反射して輝いているのだ。
砦のすぐ側でアザマと近衛隊が激しく剣をぶつける音などドラグの耳に、入ってこない。
気づけば、横を風のようにかけ抜けて行ったエルトサラの美しい王子の後ろ姿を見送っていた。
ロゼリアは愛馬に飛び乗り剣を抜いた。
「ヤア!」
白馬は、ロゼリアを乗せているとは思えない軽やかな走りで、今まさにぶつかり合っている戦場に駆けていく。
近くで見ると、エルクの大きさは恐怖だった。首を振るだけで、二メートル近くある角が迫って来る。落馬した騎士達を助けながらロゼリアも剣を振った。
雄叫びと、人の断末魔…。馬の蹄…。エルクの角で薙ぎ払われた仲間。赤土に横たわる屍。
その場を制するのに、たいした時間はかからなかったと思う。それでも、ロゼリアは肩で息を切らし、胸からは何かがせり上がって来るような圧迫に顔を歪めた。
「…はあ、はあ、はあ」
「大丈夫ですか!?」
ロゼリアより大ぶりの剣を軽々片手で握ったシャルネが、馬を寄せた。
「お怪我は!?」
「うん。大丈夫。シャルネは?」
「問題ありません。マイロ隊長も…あそこに」
シャルネが指差す方向では、マイロや近衛隊がアザマの兵士を拘束していた。
「良かったー」
気が抜けたロゼリアを見て、シャルネも柔らかく笑う。
「怪我人はいますが、皆問題ないと思います」
頷くロゼリアも、あちこち服が斬られて血が滲んでいるがかすり傷ですんでいた。
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