第7話 シリウスエヴァーでございます
気付かない程度の坂道を登り、程なくルーゼル城についたロゼリア達は、中庭でルーゼルの騎士団に出迎えられた。
大きな翼を広げた鳥が一羽、高い位置で旋回を繰り返している。
背の高い騎士がロゼリアの前まで来た。明らかに身なりの良い真っ黒のオーバーコートが威圧的である。
焦げ茶色の髪と瞳。見覚えを感じるが、男からの親しみは一切感じない。
肩に留めた異様に大振りの金の金具だけが、雲空にも関わらず妖しく輝いていた。
ロゼリアは、大きく息を吐いた。騎士団を率いて来たのは名目上ロゼリアだ。ならば、ロゼリアが先陣を切って挨拶しなければならない。
「貴国の要請に応じ、エルトサラからまいりました」
ルーゼルに入る前から練習していたロゼリアの低音は、思っていたより滑らかに言葉を紡いだ。マイロの特訓の成果である。
「…
どのような行動にも対処できる距離をとったロゼリアだが、男もまたロゼリア達を有効的に迎え入れていないように見えた。
よく響く低い声は、感謝がこもっているとは言い難い。
ルーゼルの騎士達からも、さざ波のように不審感がひろがり、それはすぐどよめきに湧いた。
エルトサラの騎士団代表で話だしたのが、いかにも女みたいな(実際女であるが…)弱そうな騎士だったからだろう。
「エルトサラはルーゼルを馬鹿にしているのか!」
「エルトサラには、あんな痩せこけた騎士しかいないのか!」
「あんな小僧、前線に出たら一日ともたないぞ!」
使えない騎士を派遣したのかと、ルーゼル側が下げずんでいるのだ。
だが、どれだけのことを言われても、ロゼリアはどこ吹く風でやり過ごす。この程度、想定内なのだ。
…それより、国王の姿が見えないわ。騎士団派遣は、国王からの要請だったはずなのに…。なぜ?
戦を前にして騎士団の派遣が歓迎されない訳がない。
どうしたのかしら? まさか…御病気とか?
だが、ロゼリアが国王を出せとは言えない。立場的には、それほど問題はないのだが、今この状態でそれを言ったら、ルーゼルから反発しかないだろう。
なんせ彼等は、ロゼリアが気にくわないのである。
…そのうち国王様に会わせてくれるわよね。私的な感情は、この際あとにしよう。
まずは騎士達の紹介である。すぐに戦に駆り出されるのであれば、少しの時間でも騎士達を休ませるのもロゼリアの役目だ。
ロゼリアは後ろを振り返り、騎士団の先頭に立つマイロを促した。
「…この者は、エルトサラ国 近衛騎士団 隊長のマイロ=ジューネル。以下、近衛隊五十五名の騎士。私と共にルーゼルの民の為に戦う決意です」
「…国お抱えの近衛隊か。俺は、ルーゼルのアルギルだ」
ルーゼル第一王子 アルギル=イグラー。乾いた赤土に、鷹が舞い降りたような男である。
しかしこの自己紹介に、ロゼリアは軽い衝撃を受けた。
あの、アルギル? この騎士が?
鋭い眼差しは獲物を狩るがごとく、ロゼリアと近衛隊を値踏みしていて、十数年ぶりに会う親しみは感じられないのだ。
まさか、覚えていないのかしら?
互いにまだ幼い頃、ルーゼル国王一家が年に数回、エルトサラの居城を訪れ、数日を過ごすことがあった。
そんな時は、とにかく楽しい時間を過ごせるのである。大人達の難しい話など子供には関係ないのだ。何より楽しみなのは、夜、ベッドの上でアルギルから聞く異国の話である。食べ物も、森の木々も、エルトサラとは違うのだと言う。
大地が震え、火をふく山があるルーゼルとは、どんな国なのかとワクワクした。
『ロゼが一人で馬に乗れるようになったら、ルーゼルへおいで。俺がルーゼルを案内してあげる』
そうアルギルに言われた夜は、眠るなんて勿体なく、気がつけば寝ていたという有り様だった。
今思えば、ルーゼルのマウカザス火山が活発な活動をしていた為に、国王一家がエルトサラに避難していたのだろう。
あれからマウカザス火山が沈まったのか、アルギルがロゼリアの城に来ることはなかった。
密かに再会を楽しみにしていた。しかし十数年前の面影があるとすれば、こげ茶色の髪と瞳だけ。幼い頃向けられた柔らかな眼差しは無い。
…仕方無いわよね。
どうやら大きな戦を目前に控え、そんな悠長な時間はないのだろう。
「マイロ隊長とやら、我が国は、二百人を要請したはずだが?」
「……」
マイロがロゼリアを見た。
この場合、上官であるロゼリアに発言の許可を伺っている。
だが、ロゼリアはルーゼル騎士団の疑念を煽るように首を振った。
問うているのは、ルーゼルの第一王子、アルギルだ。マイロでは立場が悪い。その点、ロゼリアは対等なはずである。
それに、確かに書簡には二百人と書かれていた。だが、どこに「はい、どうぞ」と、簡単に大事な兵を貸し出す国があるというのか?
近年、恐怖政治で民を動かしているなどと噂されていたルーゼルだが、国王の人柄を良く知っていたロゼリアには信じ難く、ただの噂なのだと、あまり気にしていなかったのだ。
しかし、このアルギルの様子では、ロゼリアの考えが甘すぎたのだと理解する。
どおりでお父様が渋ったはずね。私以外、マイロやみんなは、ルーゼルの現状を知っていたのかしら?
ロゼリアは、後ろに控えるマイロ隊長を振り返る。すると、マイロは申し訳無さそうに眉を寄せて頷いた。
ふーん。知らないのは、私だけなのね。
可愛い…可愛い…と育てても、籠の鳥は幸せでないとロゼリアが一番良く知っていた。
少しくらい、嫌味を言ってやりたい気分になる。
「…私の国、エルトサラとルーゼルは、隣国であり同盟国。国王同士も旧知の中です。いかなる時も、ルーゼル国王の要請とあれば喜んでお助けいたしましょう。ですが…この戦、本当にコーネル国王は望まれているのでしょうか?」
途端、ピクリとアルギルの眉間が引きつる。それを見逃すまいと、ロゼリアが更に続けようとした時だった。
「おい、おまえ。何を言っている!? 口の聞き方に気をつけろ! このお方はルーゼルの第一王子 アルギル様だぞ!」
アルギルの後ろにいた男が、突き飛ばす勢いでロゼリアに詰め寄る。吊り上がった目で怒りのままロゼリアの胸ぐらを掴みにかかるが…、一瞬早くマイロがロゼリアの前に立って、男の腕を強く叩いた。
アルギルは動かない。
ルーゼルの騎士がいきり立つ。
どうやら、ロゼリアの自己紹介も必要なようだ。
「アルギル王子の事は、良く存じております。幼き頃は日が暮れるまで木登りや、川遊びなどして遊んだものです」
ロゼリアは落ち着いていた。
「
「…な、何を言っている? 王子と遊んだだと?」
男の動揺をよそに、ロゼリアは続けた。本来、アルギルが自国の騎士に話せば、こんな面倒な事にはならない。
それでも…アルギルは動かない。
「あれから…十年ぶりでしょうか? あなたは随分変わられましたね?」
「…おまえは、変わらんな。昔から女みたいな顔だった」
ようやく、目を細めたアルギルが答えた。
「あ、あの、アルギル王子。まさか…この騎士は」
「申し遅れました。エルトサラのシリウスエヴァーでございます」
ロゼリアは答えた。
…嘘はついていない。
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