番外編 報われない男の立ち位置
リンクスは、大げさに見える腕の包帯をさすりながら城の会場に顔を出した。すでに祝賀パーティーは始まっており、あちこちから酒が入った仲間から声がかかる。
リンクスとて、アルギルが国王の座につくことは大賛成だ。それでも複雑な気持ちが拭えないのは、アルギルの婚約者、ルーゼルの未来の王妃になる女の存在なのである。
「まあ、はじめっから俺じゃあ、役不足なんだけどね」
「おや、リンクス。しけた顔は、祝いの席でするもんじゃないよ?」
振り返るまでもなく、声の主はリンクスの上官にあたるジョナサンだ。ため息をつきながら振り返り、その手にある二つのグラスを見て、つい嫌味の一つや二つ言いたくなる。
「部隊長、そんな酒で俺を懐柔しようなんて思わんで下さいよ。それに、実際俺の恋は、今日、陛下によって儚く散ったんだ」
「儚くねぇ。リンクスだって、あの二人がお似合いだってことくらい、わかっていたことだろ?」
「まあ、そーなんだけどさ。それでも、あいつの側で、あいつを見ていると…欲ってヤツが生まれるんですよねぇ」
妙にしんみりと話すリンクスの視線は、この国の女には無い金色の髪の美しい娘の姿を追っていた。
「欲ね…。ま、わからなくはないけどね」
ジョナサンに納得され、幾分気持ちが落ち着いたリンクスも、怪我をした反対の左手でグラスを受け取る。
細かな気泡が弾く、最高級の酒。おそらく今日を逃せば一生リンクスが口にすることはない。
「ちぇ。すげぇ大変な目にあったってのに、今回の報酬はコレですかぁ?」
「まあ、そう言うな。リンクスは、ロゼリア姫の信頼を自らの手で掴み取ったんだ。それは、彼女が一番わかっていると思う。 それとも何か? ロゼリア姫は、守られて当たり前…と考えるような姫君だったかい?」
「…たとえ部隊長でも、あいつへの侮辱は許せんなぁ〜」
睨み合った二人の男が、次の瞬間フッと破顔した。
ルーゼルは、ロゼリアを国の王妃として迎えることができる。アザマの王だけでなく、各国が認めたそのあまりにも優れた頭脳と、美しい娘を所有することができるのだ。
「まあ、とりあえずそれで手をうちますか…」
「ああ、我々の美しい王妃に」
チン!
二つのグラスが重なり気泡が弾ける。グッと煽って喉を潤し、こんな恋も悪くはなかったと踏ん切りをつけたばかりなのに、可憐すぎる美しい娘が駆け寄って来た。
「リンクス! 腕は大丈夫なのですか?」
ドレスの裾が翻ることに気にもせず、その生足に男達の視線がそそがれてることにも気づきもしない。
「これはこれは、アルギル陛下のご婚約者様。俺みたいな下々の者にお声をかけていただき光栄です」
リンクスは、子供じみた八つ当たりだと思いながらも唇を尖らせる。だが、とたんロゼリアの傷ついた顔を見て猛省した。
「やめて下さい、リンクス。まだ…婚約したというだけですし、リンクスにそんなよそよそしい呼ばれ方は…イヤです」
「…だって、あんたは王妃様になるんだろ?」
「以前、私がどこのだれでも関係ないって、言ってくれたじゃないですか。リンクスは私の大切な友人です」
自分の軽口を後悔するもすでに遅い。緑の瞳に見つめられ、すっとロゼリアから目を反らしたリンクスは、月夜に照らされた庭先を見る。ルーゼルの強い風に、色とりどりの花が揺れていた。
乾いた土地のルーゼルでは、花々は珍しい。それなのに、この城の庭にはピンクや赤、白、紫などのさまざまな色のペチュニアの花が咲き誇って、新たな王を祝っている。
「ちぇ、しかたねーなぁ」
あきらめたリンクスが肩を落とした。
「まあ、この国で困った事があれば俺に言えよ。いつだって俺は、あんたの味方だからさ」
「はいっ。ありがとうございます!」
嬉しそうに笑ったロゼリアは、リンクスの耳に唇を寄せる。
「じゃあ、一つお願いしたいのですが…」
そう言って小声で告げられた頼みに、リンクスは腹を抱えて笑い出した。
「ははは。ああ、いいぜ、任せろ! なんたって俺は、優秀な騎士だからな!」
いかにも楽しげな雰囲気に、会場の視線が集まる。すると、ロゼリアの腰に腕を回した男がリンクスからロゼリアを引き離した。
「…ケガの具合は?」
今日の主役が、配下の傷を労るような気遣い。だが、明らかに機嫌が悪い。その理由を気づけない者は、ただ一人、ロゼリアだけ。
相変わらず鈍いロゼリアは、弾けるような笑顔でアルギルに答えた。
「ギンガどのが大丈夫だと言って下さったそうです。もう、本当に良かった!」
「…ロゼ」
「はい?」
「…いや、言っても無駄だな」
嫉妬を隠そうともしないアルギルは、リンクスを睨む。
「リンクス…。俺の婚約者と何を話ていた?」
「えーそりゃあ…」
凄みのある詰問に、ロゼリアと顔を見合わせたリンクスがニヤリと笑った。
「そりゃあ…ヒミツだよな?」
リンクスにウィンクされたロゼリアも、満面の笑みで頷く。
「はい、ヒミツです」
「…なるほど、そうか。ロゼ、今夜は眠りたくないんだな?」
「え?」
まったくわかっていない彼女を気の毒には思うが、リンクスもこの位置は死守したい。口笛を吹きながら横を向く。
「まあいいだろ…。リンクス、明日からの稽古、覚悟しとけよ。黙っているジョナサンも同罪な」
「え? 冗談でしょ? 俺には聞こえなかったんだってば!」
「そんなことは知らん。嫌ならリンクスから聞き出せ」
「それ、横暴でしょ~」
頼りない男の声に見向きもせず、アルギルはロゼリアの腰を半ば抱きかかえるようにして去っていく。
「ちぇ。やっぱり羨ましいなぁ」
「リンクス、ロゼリア姫と何を約束したんだ?」
「やだよ。…部隊長にだって秘密さ。せいぜい、こってり絞られて下さいよ」
「リンクス〜! 俺を巻き込むなっ」
「ハハハ…」
まあ、たんに剣の稽古の相手を頼まれただけなんだけどね…。
ロゼリアから剣を遠ざけようとするアルギルと、エルトサラの近衛隊。
そんなことをしても、彼女は絶対に剣を置かない。諦めない。
内緒でその役目を俺にくれるなんて、こんな嬉しいことはないんじゃねぇの?
「まだまだ俺も、頑張らなきゃなぁ。いや〜、やっぱり欲がでるよなぁ」
「はあ、あまり王を挑発するなよ」
「さぁね」
不敵に笑うリンクスにつられてジョナサンも笑う。
「まあ、いい男がますますいい男になっていくのを、ただ黙って見守るだけはやっぱりつまらないね」
「そうだぜ! まだまだ毎日楽しそうだなぁ」
「まったくだ」
相変わらず会場の注目を集めている二人。
彼らの支える王は、意外にも一人の女を目の前にすると正確な判断を見失う困った王なのだと再確認していたのだった。
『リンクスの、報われないと知った男の立ち位置』をお届け致しました。
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