第12話 ミシェル=ヴァンカルチア嬢

「あの女には、気をつけろよ…」


 小声でも、リンクスが本気で言っているのがわかる。だいたいこんな場面で冗談を言うには不似合いだ。しかし自分の国の王族を気をつけろ…とは、ルーゼルの内情が荒れているのだろうか…。


 ロゼリアがグラスを持ち上げたことで、ミシェルも侍女からグラスを受け取る。


 チン……。


 キレイな音が辺りに響いた。あれ程ざわついていた広間が、今は咳払い一つ聞こえない。


 軽く唇を濡らす程度に留めたロゼリアがグラスを置いた。まるで吸い寄せられるよう、その一挙一動に視線があつまる。

 しかし、ロゼリア本人は注目しなれている為、動じなかった。


 普段のロゼリアであれば逆の立ち位置。

 だが、今夜はミシェルを左腕にエスコートする。幸いロゼリアのほうが背は高い。

 ミシェルは豊かな胸を押し付けながら腕を絡めてきたので、思わず笑ってしまいそうになった。そんなロゼリアに、ミシェルは、ねっとりとした視線で見上げる。


「どうかいたしましたか?」


「いえ…。あまりにも素晴らしい女性を目の前に、頬が緩んでしまいまして」


「まあ、うふふ。お上手ですのね」


「無作法で…申し訳ございません」


「あら、殿方でしたら当然ですわ。それに、ロキセルト様はお若いのですもの」


 自分の身体に自信があるのだろう。確かに突き出た胸も腰も、申し分ない。…ロゼリアが男であれば…だ。


 いつの間にか広間の中央に、ダンスができる程度の広さが確保されていた。楽士が奏でる曲に合わせてステップを踏む。緩やかであるが情熱的な曲である。


 ミシェルの細い腰に手を添えると、ふと、幼い頃の記憶と重なった。


 まさか、あの時のダンスがこんな所で役に立つとは…。


 ロゼリアが七才の頃だったか…。父の誕生パーティーで、ドレスを着たロキセルトをロゼリアがリードしてダンスを披露したことがあった。広間にいたパーティーの参加者からは、可愛らしいペアに拍手喝采であったのだった。

 当時のロゼリアは、城の者は誰も気づいていないと本当に思っていたのである。それなのに、教育係であるノワールはちっとも喜んでくれない。

 「ロゼリア姫。ちゃんと女性の服を着て下さい」と言われてむきになり、その後何度もノワールを騙そうと企むも…けっきょくいつもムダに終わるのだ。


「ロキセルト様?」


 身体を寄せたミシェルに声をかけられ我に返った。つい思い出に浸ってしまい、ダンスの相手が兄でなく、ねっとりとしたミシェルなのだという現実にむせ返りそうな嫌悪感だ。

 くるりとミシェルの手を取りターンさせると、心配そうにしているシャルネの顔が見えた。


 こんな時は…。

 そう、こんな時はイモ、イモよね。


 ロゼリアは自然と緊張が緩むのがわかった。柔らかな笑顔で心配するシャルネにウィンクをなげる。


 しかし、眼の前で踊っている相手がいる以上、この笑顔を間近で見るのはミシェルだ。


 大人の女性の余裕はどこへやら…。一瞬目を見開いてから頬を染めたミシェルがロゼリアの肩に回した手で首筋を撫でた。

 

「お国を離れて、さぞお寂しいでございましょう? ルーゼルまでのむさ苦しい男達との道中。女といえば、あの巨体の男にしか見えない女騎士。さぞお疲れとお察し致しますわ。今宵、わたくしでよろしければ…ロキセルト様をお慰めさせて下さいませ」


 彼女はあなたより、ずっと素晴らしい女性です!

 …と、出かかった言葉を飲み込んだロゼリアは、キレイなステップを踏んでダンスを終了させた。

 

「…お心遣い、感謝いたします。…ですが、明日の準備がございますので、今夜は…」


「まあ、王子様が準備だなんて…。下々のする仕事を王子様がとってはいけませんわ。王子様は…国中の男が羨む女を抱く権利がございますのよ」


「国中の男が羨む女…ですか」


「ええ」


 ミシェルが勝ち誇ったように笑う。


「今宵、あなた様にこの身体をお預け致しましょう。どうぞ、わたくしの身体で存分に疲れを癒やしてくださいませ」


 なんと大胆な女性だろう…。未婚の女性がここまで壮烈そうれつに男を誘うことは、ルーゼルでは良くあることなのだろうか? それともロゼリアが知らないだけ? 


 とにかく、ミシェルは自分の美貌に疑いがないのだ。

 しかし、ロゼリアにはそうは思えない。女としての嫉妬などではない。ロゼリアが女だからというだけでなく、ミシェルその者に人として嫌悪感しか湧いてこないのだ。


 しかし、彼女はアルギルのいとこと名乗った。ルーゼルの内情がわからない今は、彼女を敵に回すのは得策でないような気がする。


 ロゼリアは紳士らしく左手を背中に回してお辞儀をすると、ミシェルの腕をやんわり解く。

 注意して笑顔をつくり、だいぶ板についた低音に甘さを含めた。


「…あなたと踊れた極上の喜びは、十分旅の疲れを癒やしてくれました。感謝致します。今夜は、あなたに酔いしれた余韻を抱いて眠りにつきたく思います」


「まあ、ロキセルト様は、わたくしを欲しいとは思いませんの?」


 断られるとは思わなかったのだろう。驚いてロゼリアを見上げるミシェルは、いったいどれほどの男を悩殺してきたのか。


「わたくしを、あなた様の好きにしていいと言っておりますのよ。わたくしは…あなたの望むよう啼いてさしあげますわ」


 さすがにここまでストレートに言われると、この手の話が苦手なロゼリアの頬が染まった。

 ミシェルからは、落ちた…と思った瞬間だろう。


「あなた様の腕の中で、わたくしを喜悦よがらせて下さいませ」


 むっちりと豊かな胸がロゼリアに押し付けられた。


「はぁ。ロキセルトさまぁ」


 ロゼリアの中で、何かがプツリと切れた。


 もう、限界だわ……。


 すっかり自分に酔っているミシェルを、ほとんど強引に引き離したロゼリアは、絡み付く秋波を払うように離れたのだった。

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