第78話 連れて帰るから、息をして待ってろ!

 「待って!! 待って下さい!!」


 ロゼリアの声が響く。


 部屋の外にいた見張りも異変に気がついたのだろう。

 どっと扉からアザマ兵が押し寄せた。

 

 「…待って下さい。お願いしますっ」  


 ロゼリアの髪飾りが床に落ちた。結われていた髪が解け、美しい金色の髪は鳥が羽ばたくように部屋を駆け抜ける。


 扉から押し寄せた兵士は、目の前で両腕を広げたロゼリアに驚いただろう。

 アザマの国では見たこともない金色の髪の娘。光を編上たような美しい髪から覗く首筋は細く、輝く緑の瞳は雨のしずくを集めた新緑を思わせる。

 ふわりと盛り上がる胸元を見せた豪華なドレスは、彼らが一生かけても買うことなどできない代物だ。


 目の前の娘が高貴な姫君であることは一目瞭然だったのだ。


 そしてロゼリアにも、こんな豪華なドレスを着せたコーエンの意図が、今やっと理解できたのである。

 ロゼリアはザナ国王の客人。国王の命令なしに、ロゼリアに刃を向けることは許されない。


 コーエンの剣は、リンクスの脇腹の寸前で止まっていた。服にじわりと血が滲み出しているが、コーエンが止めていなければ深手はまちがいなかったはず。

 それはリンクスが一番わかっていた。サッと血の気が引くが、大きく飛び退いて間合いから抜け出す。だが、とたん激痛で顔を歪めた。 


「つうぅ。くそ、いてぇ」

 

 飛び上がったことで、腹に負担がかかったのだ。思わず手のひらを傷に当てて確認するが、真っ赤に染まった手のひらを見て顔をしかめる。しかし、出血は酷いが動けないほどではない。


 取り敢えず左手で傷を押えながらスコットに駆け寄るが、スコットの息は浅く、首筋から溢れ出す出血は止めようがなかった。 


「おい! スコット!?」


「はあ…はあ…。すみま…せ…ん。へまを…」


「喋るな!」


「お、お…れは、いいの…で、おおじと…おうじょを…」 


「っ。連れて帰る! 絶対に、連れて帰るからな! だからっ、息をして待ってろ!!」


 痛切な声。

 だが、無理だろう。誰の目から見ても、スコットは助からない。


 スコットはかすかに頷いたように見えた。だが、そのままガクリと首が傾く。


「お、おい! スコット! 目を開けろっ。息をしろよっ。おいっ、おい!!」


 だが…リンクスがどんなに怒鳴っても、スコットが答えることはなかったのだ。


 ロゼリアだって駆け寄りたかった。

 だが、ロゼリアが駆け寄って何になる?

一時的な止血を試みたところで、今この状況を脱することができるのか?


 コーエンは…リンクスから離れてザナの前に立っていた。

 剣は抜いて握っているものの、他の兵士達から感じる殺気や戸惑いはなく、ただそれが当然のことのように自分の王を、ザナ国王を、守っている。


 扉を開け放したことで、天井のロウソクが揺らいでいる。炎を反射している床に流された血。鼻につく匂いで今や謁見の間は異様な雰囲気だ。


 ビュッ…と、剣を一振りしてスコットの血を飛ばしたコーエンと、その後ろでニヤリと笑い足を組むザナ。

 アルギルは怒りを込めて吐き捨てた。


「…今、死人を出す事の意味が、理解しているのか?」


「フフ。われの目の前で兵が殺されたのだ。何の報復もなしにおまえ達を帰えしたのであれば、われは民に顔向けできぬのでな。それに…もともとわれは、姫をそちらに渡す気はない」


「では、ネリージャを見放すと?」


「そうだと言えば、ルーゼルの手持ちの札がなくなるぞ? いいのか?」


 ザナの余裕に、アルギルは持っていた槍を突き出して笑う。


「俺達が用意したのは、たった一枚の札だと思っているのか? ネリージャ村にいるのは、二百の民。冷酷なアザマ王にとっては、足元のゴミ同然のような数だろう?」


「ほう?」


「だが、ネリージャの次は千人の村、その次は一万の村を俺達は雪の下に沈める。アザマを叩くのであれば、冬の今が絶好のチャンス。じわり、じわりと城下を目指し、そのころには、王の兵がどれだけ残っているのか見ものだな!」


 この状況で、どうしてそこまで勝ち誇った顔ができるのか…。


 ロゼリアのためなのか?

 スコットのためなのか?

 それとも、ルーゼルの騎士としての誇り?


 アザマ兵達から見ても、アルギルの強い自信は、はったりとは思えない。


「聞け!! アザマの兵士達! おまえ達の王はネリージャを見捨てたぞ? さあ、次に見捨てられる村はどこだ?」


 アルギルが兵士の一人に槍の穂先を向ける。


「次はあんたの家族が住む村か?」


 戸惑う兵士。


「その次は、おまえの恋人がいる村か? おまえの子供はどこの村にいる? おまえはどうだ? おまえは!?」


 アルギルは、次々と槍の穂先をアザマ兵に向けて恐怖を植え付ける。


 その時、かすかに城全体が揺れたような気がした。


「たった今、ネリージャは雪の下に埋まったぞ! 決めたのはこの国の王だ!! さあ、おまえ達はどうする? 決めるのはおまえ達だ。大事な人の命を、見殺しにするか? それとも、俺達が立ち去るまで槍を下ろすか!? さあ、どうする? どうする!?」

 

 アルギルの迫力に、アザマ兵が戸惑いを見せている。 


 なぜ、ネリージャの村と連携が取れる?

 どこかにルーゼルの人間が潜りこんでいるのか?

 それは、だれだ?


 今やアザマ兵士は、困惑と仲間への疑心に飲み込まれていた。


 しかし、ロゼリアには理解できなかったのである。


 …本気なの? 


 戦争とはそういうものだ。ロゼリアにだって、わかってはいる。だが、アザマの民の命も、ルーゼルの民の命もみんな同じだけ尊いはずだ。


 …エルトサラのみんなだって、殺されなくてはならない理由なんてなかったはずだわ。


 だからこそ、アザマの民も殺されていいわけはない。


 


次回『騎士同士の一騎討ち』を5月4日 土曜日に更新します。

どうぞよろしくお願いします。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る