第64話 俺を置いて逃げろよ

「もし、上手くエアロの国王に会うことができたとしても、国王がルーゼルの味方であることは仮定にすぎません。私達に剣を向けてくる可能性も十分あります。その時は…どうしますか?」


 エアロ国王は、ルーゼルに協力を申し出ている。エルトサラを裏切ったのは一部の先走った兵士であり、国王の意思ではなかったとするジョナサンとアルギルの見解が外れていれば、シャルネとリンクスに命はない。


「あなたが…私に生き延びろとおっしゃるなら、私はエアロの国王を殺してでも城から逃げます。その時の許可を、頂いてもよろしいでしょうか?」

 

「…ええ、シャルネ。誰を倒してでも生き延びて!」 


 ロゼリアは力強く頷いた。シャルネの勇ましい顔が一瞬だけ破顔する。

 

 エルトサラを離れてどれくらいの日が経っただろう。一緒にここまで来てくれたシャルネ。彼女がいなかったらロゼリアだってこんなに強くは生きてこれなかった。何を犠牲にしても、シャルネは失いたくない。


「その時は、俺を置いてシャルネだけ逃げろよ」


「…リンクス?」


 なんでもないことのように言ったリンクスの顔を、シャルネもロゼリアも見る。


「はじめっから、俺はそのつもりだったんだぜ?」


 その覚悟があったから、道案内をかってでているのだ。


「本当は、ポックス村を出てこいつ等に出くわした時、俺を置いて二人で逃げればよかったんだ。そうすりゃ、三人で捕まることもなかったんだぜ?」


 しかし、そうしていたらリンクスは殺されていた。


「ま、この先も同じだ。エアロの兵士達が剣を向けてきても、あんたはとっととエアロから逃げて、ルーゼルに入れ。ルーゼルに入っちまえば安心だからな。俺のことは気にするなよ?」


「ぷっ」

「は?」


 とたん吹き出したロゼリアに、リンクスは唇を尖らせて睨んだ。


「なんだよ、格好よく決めているのにっ。なんで笑うんだよ!?」


「いえ、だって。リンクス、本当はそんな目にあわないって思っているでしょ? リンクスこそ自信満々なんだもの。リンクス、格好いいですね」


「ちぇ。そんな顔で笑われたら…何も文句言えねえじゃねえかー」


「ふふふ」

「あははは」 


 ここは…人里から離れて山道を抜けた谷間だった。

 これから本格的な冬に入る時期。こんな山奥の屋敷に来る者はいないだろう。少し離れてはいるが、ルーゼル特有の円錐形のカラフルな屋根がちらほら見える。それらも全て夏の避暑を過ごす貴族の建物だ。


 コーエンは格子窓からうっすら雪化粧された山を眺めていた。

 山道の林を通り抜け、揺れる馬の背にまたがりながら、ロゼリアは一言も不満を口にしなかった。肩の怪我には気がついていたが、こちらも三人の騎士を失っている。今乗っている馬も、あるじを亡くした馬だ。怪我を気遣う気などおきなかった。


 だが、数日を共にして彼女の意思の強さに驚いた。その強さがどこから湧くのかも興味深い。

 今日見た肩の怪我は熱を持ち腫れていた。相当痛かったに違いない。  


 だが、どうだ…。何も苦労知らずで育てられていると思っていた王女は、驚くほど我慢強い。

 

『ふふふ』

『あははは』


「…コーエンどの。捕虜の部屋から笑い声がします」


「ああ。エルトサラの王女は…想像以上に肝が座っているらしいな」


 ポックス村の火祭り。白い煙と、きな臭い匂い。あの矢を射る姿に…コーエンは、危険を感じたのだ。

 奴等は名も無い騎士じゃないと…。ルーゼル軍の主要騎士の情報は得ていたつもりでいたのに、これ程の腕の騎士がルーゼルにいた事に正直驚いた。


 だが、アザマにとって危険な芽は摘んでおくべきもの。だから村を出た彼等を襲ったのだ。だが…。


「とんだ勘違いだったな」


「勘違い…ですか?」


「いや、ただの独り言だ。気にするな」


「…はい」


 訝しげな部下に、コーエンは傷のある頬を撫でながら静かに笑った。


「それより…いつアザマに入れそうだ」


「それが…国境警備がきびしくなったようでして…」


「ふん。まあ、想定内だな。とにかく穴を探せ。田舎街ほど警備は手薄になるもんだ」


「は!」


 ビシリと背筋を伸ばした若者に、コーエンは影のある笑いをする。七星老騎士隊の一人、コーエン。この男に逆らうなどという気持ちさえ涌かないのは、やはり圧倒的な経験の違いなのだろう。


 

 だが思いの外、国境警備はきびしくなっていたのである。ロゼリアが国境を越えるために、再び馬に乗せられたのは、ルーゼル城を出て一ヶ月以上も経っていた。


 山の谷間にある国境を通過し、吊り橋を渡ろうとしていた時だった。


「止まれ!!」


 振り返るとかなりの数の警備兵が後ろから追いかけて来る。荷車の上に載せられて、もみ殻用の麻袋に頭から入れられていたリンクスは、何とか動いて存在を示すが目隠しだけでなく、口も塞がれ、手足も縄で縛られていた。予定していた騒ぐ…にはほど遠い。


「止まれと言っているだろう!!」


 最初の声には無視して橋を渡り出したコーエンは、二度目の呼び声に馬の歩を止めた。


 ちょうど橋の中央。渡りきるにはまだ距離がある。遥か下は川が流れているがゴツゴツとした岩肌と急流だ。落ちたら命はない。


 あっと言う間に橋の袂は警備兵が埋めた。弓が引かれているのを見ると、騎士の一人がコーエンに馬を寄せる。


「どうされますか?」


「振り切るには、厄介な数だな」


 厄介…と言っているわりには、コーエンの声は落ち着いている。


「荷車を調べる! こちら側へ戻れ!!」


 山の反響で、警備兵士の声が否応なしにこだましていた。しかし…。


 あれ? 


 ロゼリアはその声を聞いて目を見開いた。フードを深く被されているが、ロゼリアは手も足も自由に動く。馬にコーエンと乗っているため簡単にはいかないが、今動けるのはロゼリアしかいない。




明日『死力を尽くして守りたい!』を更新します。

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