第65話 死力を尽くして守りたい!
強い風が橋を揺らしていた。綱と橋板だけの心許ない吊り橋。谷底の川はうねり、激しい雨のような音をたてて流れていた。
ロゼリアは、ゆっくりと背中にいるコーエンを振り返る。
「私を差し出せば、あなたもあなたの騎馬隊も助かると思います」
「なぜ、そう言い切れる?」
顎を上げたままのコーエンは、目線だけをロゼリアに向けた。
「…私が向こう側に歩く間に、あなた方は橋を渡りきればいい」
「…なるほど」
頷いたように見えたが、すぐにそれが間違いであったのだと気づく。
「では、荷車を谷へ落とせ!」
「なっ!? なぜ!」
サー…と、ロゼリアの顔から血の気が引いた。橋の下に流れている激流の音がうるさい。近くに滝があるのか…ごうごうと谷間に響いているのだ。
反響音が、余計にコーエンの残酷さを煽り、ロゼリアの焦りは、手も足も縛られたままもがき苦しみ、激流に流されながらも川底に沈んでいくシャルネとリンクスが想像できてしまうのである。
「…逃げるのであれば、二人は殺す約束だったはずだな、王女よ?」
「…それならっ、私の代わりに二人をルーゼル側へ歩かせて下さい! 私はあなたと行きます!」
「ウーウー!!」
二つの麻袋がイモムシのように荷車の上で転がった。
「勘違いをしているな、王女よ。どんなに早い馬でも我々の方が早く橋を渡りきる。その後、橋を落とせばそれで良い。…ただ」
「…ただ?」
「ただ、荷車はここに置いて行くしかないな」
「!!」
そうなのだ。追ってを振り切るのであれば荷車を連れていては、あまりにも不利なのである。だが、橋を渡りきれば必ずコーエンは橋を落とすだろう。二人は手足を縛られたまま谷底の川に落とされるのだ。
「二人を助け、王女も我々と来る道があるのなら聞くぞ?」
…あるわけがない。橋は落とさなければ追ってを振り払えない。荷車を連れてでは、橋を渡りきる前にルーゼルの警備兵に捕まってしまう。
ロゼリアにとってルーゼルは敵ではない。だが、捕まるという選択肢がコーエンに無い以上、どのみち二人の命は谷底以外ないのだ。
剣を奪ってここで時間を稼ぐ?
チラリ…と、コーエンの剣に剣を向けるが、どんなに素早く抜いてもこの体制ではロゼリアに勝ち目はない。
それなら他の誰かの剣で…。
だが、どのみちコーエンは馬を走らせ、橋を落とすだろう。仲間と自分が助かれば、ロゼリアの身柄は二の次。ロゼリアの命も一緒に谷底に落とされる。
なら、どうすれば…。
考えている時間などなかった。ギシ…と橋が軋み、ルーゼル側から警備兵がゆっくりと距離を縮める。警備を指揮しているリーダーらしき男が橋の袂で声を張りあげた。
「そこを動かないで下さい!!」
この声は、やっぱり…ジョナサン!?
「行け!!」
何かを感づかせてしまったのだろう。
コーエンの声でアザマの騎馬隊が一斉にルーゼルとは反対側へと馬を走らせた。
とたん無数の矢が飛んでくる。だが、力強い軍馬は、一蹴りが飛ぶように早い。
ギシギシと揺れる吊り橋。
頼りない薄い橋板に、トス…トス…と矢が刺さる。
「矢は討つなー!!」
ジョナサンの声に弾かれたようにロゼリアは動いた。
なぜ、そう動いたのか…と聞かれても、ロゼリアにもわからない。
コーエンが馬の手綱を強く引く。一瞬できたその空間を逃さずロゼリアは馬に手をつき身体を横に滑らせた。すぐ横を横切った騎士の腰から剣を抜きとり、橋板を蹴って荷車の上に跳び乗る。
ザン! ザン!
間髪入れずに二人の麻袋を切り、二人の手と足の縄を切った。驚く二人が自由になった手で目と口の縛りを解く。
「橋の縄を掴んで!!」
それだけ言うのが精一杯だった。視線の先で二人が戸惑いながらも橋の縄に腕を絡める所を確認できたのは救いだっただろう。
ロゼリアは荷車を引いていた馬に跳び乗ると馬の貨車を外して手綱を引いた。
「やあ!!」
ひときわ大きく声をかける。馬は前足を跳ね上げると勢い良く走り出した。橋の向こう側ではコーエンと騎馬隊がちょうどたどり着いた所だ。だがコーエンの一振りで、騎士達が一斉に橋を支えている綱に剣を下ろす。
ドカ! ドカ!!
何度目かのあと、ギシ、ギシ…と橋は大きく揺れた。まず左の綱が切れてバランスを失う。右の綱だけでは支えきれるわけがない。
ブチン!!
支えを失った橋は、ロゼリアの目の前から崩れだした。橋板が次々、次々と落ちていく。そんな中…、ロゼリアを乗せていた馬が強く蹴って跳んだ。身体が浮くような感覚は一瞬だっただろう。
「あ…」
ロゼリアはしっかりと大地を踏んだ馬の背にしがみついていた。『どうだ!』と言わんばかりに馬はブルルと首を振る。
しかし、後ろを振り返る余裕もないまま、コーエンがロゼリアの馬を引いて走り出した。
「手を離すな…ぁぁぁ」
そんな声がこだましたような気がしたが、もしかしたらロゼリアの願望だったのかもしれない…。
結局、ロゼリアはコーエンの馬に乗せ換えられた。殴られるか、縛られるか…。多少の覚悟はしていたのに、コーエンは何も言わず、ただ黙って前を向き、ロゼリアを連れて馬を走らせるだけだった。
それが…なぜかとても不思議に感じたのだ。
そして再び山道を行き、途中いくつかの屋敷に、寝泊まりもした。湯に浸かりもしたし、食事も与えられ、それなりに丁重な扱いだったと思う。
ふかふかのベットで寝るときもあったが、ロゼリアは眠れない。寝ると決まって同じ夢を見るからだった。シャルネとリンクスが谷底に落ちていく夢…。
二人は無事なのか…。
与えられた服を着て、用意された食事をする。アザマの城都近くだという屋敷に入ると、もう、そんな生活がすっかりあたり前になっていたのだった。
次回『コーエンの屋敷』よろしくお願いします!
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