第2話 兄のロキセルト
「うむ。おまえならやれるだろう。ただな、ロゼリア。ルーゼルでは……女であることを隠してほしいのだ」
「……はい?」
思ってもいなかった父の願いに、聞き間違えたかとまじまじと見返せば、ハの字に眉を曲げた父と、胸の前で手をきつく握りしめている母がいた。
「えーと、それは女が剣を握るなど見苦しいということでしょうか? それとも戦場に向かう騎士が女では国の恥だからでしょうか?」
「それは、断じて違う」
穏やかな父の声色に、本当にそんなことは思っていないのだとわかり安堵するも、それなら尚更そんなことを言うのかわからない。
騎士団の中には、数は少ないが優秀な女騎士もいる。幼い頃より兄のロキセルトと剣術を学んだが、兄はもちろんのこと国王夫妻の両親からダメだと言われたことはない。
ロゼリアは小さい頃から何でもできる兄のロキセルトを慕っていたし、ロキセルトもロゼリアを可愛がっていた。
剣の練習だけでなく、ダンスのレッスン、国の歴史教育からマナーまで、どこへ行くにしてもロゼリアを連れて行った。
三つ違いの年の差など、幼い頃は無いに等しい。ロキセルトは今も昔も妹に甘いのである。
「…ロゼ。ルーゼルでは僕の名前を使うといいよ。僕はキミほど美人じゃないが、兄弟だから雰囲気は似ているし、髪を結べは遠目なら誤魔化せるから」
「何言ってますの。ロキ兄さんの方が美しいですわ!」
「…ははは。これだからなぁ。ねえ、お父様。お母様」
「はぁ~。我が娘ながら…なんで…」
「あなたが、小さい頃からもっと厳しくしていれば…。女のロゼリアを馬に騎乗させたり、剣をもたせたりして…。わたくしは息子を二人見ているようでしたわ」
「私のせいか? ロゼリアの好きにやらせたロキセルトが悪いな。兄として失格だぞ?」
「僕は、ロゼのやりたいことを一緒にやっていただけですよ?」
「だがなぁ~、ここまで自分の価値に気付けん娘に育つとは…。これは教育係のノワールのせいやもしれぬな」
国王の言葉を聞いて、穏やかな笑みをたたえていたノワールが、優雅に一礼した。国王が本気でノワールを責めてはいないと承知したうえで「それは、申し訳ございません」と、頭を下げる。
ロゼリアとしては、ノワールにまで頭を下げさせてしまい狼狽えるばかりだ。
「…あの、お父様、お母様。何を言われているのか、私にはわかりません」
「ロゼは、とっても可愛いって話をしているんだよ」
「…麗しいロキセルト兄さんに言われても、ピンときませんわ。国中の女達がロキ兄さんの婚約者の座を争っていますのよ。もうすぐ成人の儀。そろそろお相手をお決めなさいませ。妹の私にまで嫉妬の矢が刺さって大変ですわ」
「いやー。すぐ近くにあまりにも可愛い妹がいるせいで、なかなか周りのレディに目を向けれないんだよなあ、これが」
「何をおっしゃっておりますの。先日ジューネル伯爵令嬢とご一緒だったじゃございません?」
「なに? ジューネルの娘? 近衛隊隊長の妹だな?」
「まぁ! そうなの! ぜひ紹介してちょうだい。ああ、嬉しいわ。もう、いい年なのにロゼリア、ロゼリアって…妹のことばっかりで…」
両親は、今すぐにでもロキセルトを結婚させたいようである。
「ま、まって下さい。お母様も! 彼女は親友の妹で、ただの友人ですよ。僕は妹が産まれた時からずっとロゼリア命です。それに今は、ロゼの話でしょう?」
「…嘆かわしいわ。妹を溺愛するのはいいけど、あなたは将来エルトサラの王になるのよ。妹を妻にはできないのだから、いい加減あきらめていい人をみつけてちょうだい」
妹をあきらめる…とは、おかしな話である。だが、実際ロゼリアが兄の嫁にはなれない。
しかし、相変わらずロキセルトは妹命のようである。
「残念ですがお母様。僕にはロゼ以外の女を愛おしいとは思えません。それに、溺愛というなら、あなた達だって僕に負けていませんよ。そうでしょう? 違いますか、お父様?」
「う、うむ」
「…もう、わかりましたわ。とにかく、私はロキ兄さんとして、ルーゼルへ向かい、途中エアロに民を託せば良いのですね?」
「すまんな。くれぐれも無茶をするでないぞ、互いの戦が何年かかるかわからん」
「はい」
おそらく、ロゼリアが連れていける民は、わずかばかりの女達になるだろう。あくまで第一陣…というわけだ。その分、その後の道筋を作る大事な役目でもある。
「エアロの兄王には連絡してあるの。ルーゼルの国境近くでエアロの騎士と落ち合って下さい。いいですか、ロゼリア。必ず生きて戻るのですよ…」
「お母様…」
両親の愛情を重いと感じた事はない。そんなロゼリアは、父親が見せる寂しそうな顔の本当の真意に気づけていない。
「…もし、このエルトサラに何かあればルーゼルからエアロへ向かえ。おまえが生き残ったエルトサラの民を導いてやるのだ。よいな?」
「縁起でもないですわ、お父様。ルーゼルとエルトサラの民は、私にお任せ下さいませ」
この時のロゼリアには、戦がいかに過酷であるのか知らなかったのである。
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