第33話 陰謀の罠
日が傾き、気温がぐっと下がってくると、ルーゼル城の暖炉に火が入った。ユラユラと揺れる炎と、時々パキッと爆ぜる音が寒さに震えていた身体を和ませる。
ルーゼルの人々は温かさが保たれた部屋で、家族や友人と長い夜を過ごすのだろう。
だが、今ロゼリア達が歩いている廊下はしんしんと冷えていた。
「この先の奥が、いつも国王と謁見する部屋なんです。当初は俺だけで報告に行くつもりでしたので、あなたをお連れするのであれば、しっかりとした謁見の間を用意すれば良かったですかねぇ」
「…いえ。私はどこでもかまいません」
静かに首を振ったロゼリアは、すっかり自分を取り戻していた。
今着ている真新しいチュニックは兄であるロキセルトのものだった。丈がロゼリアでは長すぎたため、ノワールの指示で大急ぎで仕立て直したものである。
兄の服を着て、チュニックの上からベルトを付けて愛用の剣を提げる。そうすれば、自分のやるべきことを自ずと思い出すのだ。
女であると気づかれたとしても、ロゼリアがそれを認めなければそれでいい。服を脱がされたわけではない。決定的な証拠がない限り、彼等の疑惑はそれ以上でもそれ以下にもならないのだ。
だが、逆も言える。ロゼリアが男である証明ができない以上、彼等がロゼリアをロキセルト王子だと考え直すこともないのである。
「完全に手詰まりね…」
「え? なんか言ったか?」
シャルネの後ろを歩いていたリンクスが、前のめりになって聞いてくるので、ロゼリアも後ろを振り返ってなんでもないと首を振った。
ちなみに、先頭をジョナサンが城内を案内しながら歩き、ロゼリアとシャルネがあとに続く。しんがりを勤めているのがリンクスだ。
ジョナサンは部隊長であるがゆえ、国王に特別な用がない限り、求めればいつでも謁見が許されるのだそうだ。それだけ実績を評価された男なのだろう。
「実はエルトサラの国王にも拝謁した事があるんですよ。七〜八年前ですかねぇ。俺がまだ二十二、三の頃だったと思います。強い信念をお持ちのお方で、お会いできて光栄の至りでしたねぇ」
うんうんと、頷きながら話すジョナサンに悪気はなくとも、昔話のように話されてしまうと、エルトサラの国も家族も、もういないのだと言われているような気がするのである。
いいかげん、現実を見るべきなのかもしれない。国は滅ぼされたのだ。家族は殺されたのだ。だからこそ、泣いて過ごすわけにはいかないのである。悲しみに打ちひしがれている時間があるのなら、ロゼリアは剣を握って戦いたい。
しばらく歩くと、ジョナサンが「ここです」と言って扉を叩いた。
「おかしいなぁ。いつもは衛兵が扉の前にいるんですがね。ことが事だけに、国王が人払いをしたのかもしれませんねぇ」
そんなことを話ていると、扉は内側にゆっくり開いたのだ。
「入ります」
そう言って部屋に入るジョナサンにロゼリア達も続く。
部屋は驚くほど明かりが落されていた。いや、真っ暗と言っても、過言ではない。しかし窓からのか細い月明かりのおかげで、動きが取れないほどではなかった。
「…変だぜ」
リンクスが、呻くよう低い声を出した瞬間、後ろで扉の鍵がカチリと暗闇に響いたのだ。
閉じ込められた…と気づいた時には、鍵は閉められていたのである。
部屋に充満する血の匂い。部屋の中央で誰かが倒れているのがわかる。慎重に近づいたジョナサンが顔を確認して驚いた。
「…ミシェル嬢です。ヴァンカルチア侯爵の。しかし、なぜ…」
「…亡くなっているのですか?」
「いえ。まだ息があるようですが…この傷では。あっ、あなたは近づかないでください!」
ジョナサンが止めるよりも早く、ロゼリアはミシェルの横に膝をついていた。
「正面から、切りつけられていますね…」
「ええ。ここまで来るのに衛兵が少なすぎると気づくべきでした。大声を出したところで、誰かがこの部屋に近づかないかぎり、気づいてもらえないでしょう」
ミシェルは、這って扉の外に助けを求めていたのだろうか…。奥から続く血痕が生々しい。だが、まだ息がある。
「お、おい!」
慌ててリンクスが止めたが、男二人の静止は今度も間に合わなかった。ロゼリアはすでに着ていたチュニックを破いていたのだ。
ビリ…と袖から縫い糸が弾け、真っ白の肌が冷たい部屋にさらされた。そうして、息を飲んだ男二人に気が付かないロゼリアは、一番出血がひどい胸の傷口を押さえつけたのだ。
「ぐぅぅ…」
一瞬だけ意識を取り戻したミシェルだったが、痛みに耐えかね再び気を失う。続けてロゼリアは着ていたローブを脱ぐと愛用の剣で切り裂き、傷がある胸から腹にかけてできるだけキツく巻いていったのだ。
「なんて、手際の良さだ…。あんた、軍の医療班以上だぜ」
「ほんとう…ですね」
後ろでリンクスとジョナサンの会話は聞こえるが、手も服もミシェルの血で染まっていくロゼリアに、そんなことを気にしている余裕はない。
今できることはこの程度のことだ。だが、何もしないよりは望みはある。
ジョナサンやリンクスも黙って見ていたわけではなかった。女とはいえ、大人の身体に布を巻き付けようとしたら相当の力が必要なのだ。ロゼリアに手を貸していた二人の額から、流れた汗が顎に伝っていく。
「
「
「ええ」
頷くロゼリアに
そうして、これ以上できることはないと部屋を見渡し、初めてもう一人、部屋の奥で誰かが倒れていることに気づいたのである。
「こっ。コーネル国王!!」
悲痛な叫びで駆け寄ったロゼリアは、国王の息がすでにないと気づいたのだった。
「国王陛下!!」
「くそっ! 誰が…」
目の前で自国の王を失うとはどのような気分だろうか。
愛国心の強いリンクスは怒りに震えている。
そして一人、冷静であったシャルネが警戒を促したのだ。
「気をつけて下さい。この状況では国王とミシェル嬢を殺したのが私達であると言われても、反論できるものが何もありません」
「…はめられたか?」
「ええ」
そう言ってシャルネは腰に下げていた豪剣を抜いた。ズン…と大振りの刃が暗闇に向けられる。ロゼリアを守るように背中に隠し、自身は片手で軽々と豪剣を構えるのだ。
気配に気づいたジョナサンとリンクスもサーベルを抜いた。リンクスは暗闇を睨みつけながら顔の横までサーベルを持ち上げる。
闇に包まれた部屋の奥から、ゆっくりと人影が動いた。月明かりに照らされた影は小柄だ。身長はロゼリアと変わらない。身なりの良い服。肩上で切り揃えたサラサラの髪。神童と呼ぶに相応しい…その姿は、ルーゼルの第二王子ドラグであった。
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