第三章 降り積もる思い
第49話 小雪が舞い始めたぞ
「よー、ハク。今朝もご苦労さまだな」
タレットの見張り台で、マイロはアルギル王子から定期的に届けられる手紙に目を通していた。
ここは、リュディアの砦である。もともと教会であったものをアザマからの攻撃にそなえ、ルーゼル軍により要塞の役目となった建物だ。
教会内部は、身廊と側廊の間に並ぶコロネードの上部をアーチでつないだ頑丈な構造。
屋根の一番高い位置に明かり取りがあり、 大きなステンドグラスが今もはめられたままでいる。そのため、砦であるのに天空から色付いた神秘な光が降ってくるのはマイロのお気に入りだった。
ルーゼルの砦を守っているからと言って、マイロはルーゼル軍ではない。隣国エルトサラの出身、国お抱えの近衛隊の隊長だ。
『泣く子も黙る』と呼ばれていたマイロが、ロゼリア姫とルーゼル城に入城したのは、まだ木々の葉が落ちる前のこと。
「相変わらず、あいつの居場所は不明か…。もう一ヶ月以上経つのにな…」
マイロの息が山から吹きすさぶ冷たい冷気にあたって白く濁る。ルーゼルに来たばかりの頃は、ここまで寒くはなかった。リュディアの砦周辺も、夜に降った雪で赤土のところどころがうっすら雪化粧されている。
クククッ…。クククッ…。
「ああ。わかった、わかった。今返事を書くからちょっと待てよ」
この大きな鷲は、アルギルの大鷲。ハクに急かされ、マイロは昨日の昼間におきた小さないざこざの内容と、こちらにもロゼリアからの連絡は何も無い旨を手紙に書く。ハクの足に括りつけられた小さな筒にクルクルと丸めた手紙を押し込んだ。
「よし。じゃあ、しっかり届けてくれよ」
クククッ。
ハクはマイロの言葉に『任せろ』とでもいうかのように答えると、見張り台のわきまでトントンとジャンプして移動する。
一度頭を下げるようにして翼を広げると、トン…と、飛び降りた。マイロの視界から消えたハクは一瞬だけ降下したが、スイ…と浮上して空高く舞い上がり、ルーゼル城目指して飛び立って行った。
「まったく。あいつは今、どこにいるんだよ…」
もちろん、ロゼリアの行先がわからないと知ると、ジョナサンはすぐさま捜索隊を出した。しかし、今も手がかりがつかめていない。
ルーゼルの第一部隊と、アルギル王子や部隊長のジョナサンには、ロゼリアが女であるとわかってしまった。
ここリュディアの砦にいるルーゼル騎士達には、どうやらマイロ自身の失態でロゼリアの正体に気付いたらしい。
リュディアでマイロ達は、ルーゼルの騎士と共にアザマの残兵を鎮圧したのである。しかし急に馬を走らせたロゼリアに向かってマイロは…。
『あ、コラ! ロゼー!! どこ行くんだ! あーくそっ。シャルネ、あいつのあとを追ってくれ!』
と、叫んでいたらしい。『ロゼ』とは、親しい者だけが呼ぶロゼリアの愛称だったのだ。
「まったく。焦っていたとはいえ、何をやっているんだか…」
しかし、ルーゼルの騎士達は気付いたからといって、何かがかわるわけでもなかった。男とか女とか関係なく、彼等は礼儀を持ってロゼリアを一緒に戦う仲間として大事に思ってくれている。
とくにアルギル王子は…ロゼリアを愛しているのだろう…。
「たいしたもんだよな。 たった二〜三日で あいつはルーゼルの王子と精鋭部隊を自分の味方にしてしまったんだ」
ビュッ…と、螺旋階段から強い風が吹き上がり、マイロの着ていたローブが大きく広がり風を孕む。風と一緒に細かい雪が舞いだしていた。
「今は、あいつにシャルネがついていることが救いだな」
シャルネ=リースター。彼女はマイロも認める優秀な騎士だ。女性ではあるが、騎士の中でも随一の豪剣を扱う近衛隊唯一の女騎士。
「まったく。俺の気も知らないで、二人してどこへ行ったんだか。帰ってきたら、ロゼはドレスを着せて二度と剣を握らせないからな。シャルネは…どうするかなぁ」
目を閉じれば…いつだって鮮やかに思い浮かぶのは豪剣を振るう女騎士。男と見劣りしないシャルネはいつだってマイロの側にいた部下だ。
「あーくそっ。言わなきゃわからないのかよ。おまえは優秀で、勇ましい…女なんだぞ。そろそろ俺も覚悟を決めるべきだよなぁ」
太陽が隠れた雪雲の空を、なんとなく見上げる。同じ空を、二人もどこかで見上げているのだろう…。
「ロゼ、せめて俺に一言あってから出て行けよ…。俺は近衛隊の隊長だぞ。…なあ、シャルネ。ここも小雪が舞い始めたぞ。おまえ達は、もっと寒い山の中を歩いているんじゃないのか…」
* * *
それは一ヶ月と少し前。エルトサラにルーゼルから騎士団派遣要請が来たため、マイロはエルトサラの王子とともに、ルーゼルに来たのだ。
だが本当は、エルトサラの王子は王女のロゼリア姫だったのである。
ロゼリアは見事な剣技を披露し、王子としての技量を見せつけ、ルーゼルの騎士からの信頼を得た。しかし、ルーゼルに到着したその夜、エルトサラが落城したのだ。
絶望と、悲しみ、マイロだけでなく近衛隊の騎士たち、誰もが始めて味合う怒りだった。正当な怒りは腹の中がにえたぎるほど…。
だが、誰よりも絶望しているロゼリアが、冷静でいようと努力していたのだ。その後すぐにリュディアの砦から狼煙があがり、マイロ達も戦うことを決意する。
リュディアの戦は、アルギル王子の戦略が成功して、アザマの兵を一網打尽にできた。
しかし、アルギル王子に毒矢が放たれ王子は倒れてしまったのだ。
ロゼリアの知識で、アルギル王子は助かったが、城に帰った第一部隊とロゼリアは、陰謀の罠に落ち、コーネル国王は何者かによって殺されてしまった。
第二王子のドラグは、幽閉。一緒にいたと思われる侯爵夫人の娘、ミシェルは命は取り留めたが、未だ話すこともままならない。疑いのかかるミシェルの母親、クロエ=ヴァンカルチアはその日を堺に侯爵邸で喪に服すよう命じられている。
そしてマイロと近衛隊は、今もリュディアの砦を守っていた。
ロゼリアがルーゼル城を出た朝、今日と同じようにハクが手紙を届けたのだ…。
* * * * *
とうとう 第3章が始まりました!
次回 第50話『リゲル薬草師長』
どうぞよろしくお願いします。
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