第43話 男心と愛欲

 ロゼリアの顔は、羞恥で真っ赤になっていた。

 窓の外を警戒していたと思っていたリンクスが、実はガラスに映っていたロゼリアの着替えを一部始終見ていたのだと気がついたのだ。


 だから気まずそうに顔を赤くしていたのね…って。も、もう、リンクスー!


 なぜあの時、そんなことに気がつけなかったのだと、自分の警戒心の薄さを恥じる。と同時にアルギルが怒っていたのは、リンクスがロゼリアの着替えを黙って見ていたから?


 はあ。決定的だわ。男の着替えを覗き見して、怒る人はいないわよね…。


 もう、アルギルに気づかれていると認めざるを得ない。


 俯いたロゼリアに、アルギルは諦めて肩を落した。何を話しかけても「ええ…」か「はい…」しか答えなくなったロゼリアに、アルギルにしてみたら、リンクスの首を絞めてやりたい。


 寝付けない時に自分が嗜む酒を、ほんの少しだけグラスにうつして渡したのは、ロゼリアのぬくもりをもう少しだけ感じていたい…という下心がなかったわけではないだろう。

 しかし、落ち着いて話をしておきたいことがあったのはたしかだった。明日からのことを考えれば、いつまでも浮ついた気分でいるわけにはいかないのだ。


 だが、気もそぞろでグラスを受け取ったロゼリアは、一息にぐいっと酒を煽ってしまったのである。

 止めるすきがなかったほどて驚く。こんなところでロゼリアの素早い行動を垣間見ても苛立つだけだ。ふらつくロゼリアを暖炉の前にあるソファーに座らせ、自分の軽率さを後悔してももう遅い。


 しかしロゼリアは、すぐに緑の瞳をとろんとさせたかと思うと、今度はぼんやりとアルギルを見上げてきたのだ。

 

 暖炉の温かさが、二人の奥底にある感情の熱を、じわりじわり…と上げていく。

 冷たかった指先にまで熱を感じ、心の灯火が熱い炎でゆらぎだす。

 

 ロゼリアの色づいた頬。

 アルギルは、低く…低く、息を吐き出した。


 愛おしい女がとろけた顔で自分を見上げてくるのだ。アルギルが見つめれば、さっきまで上の空だったロゼリアが、今度はふわりと笑顔を向けてくる。

 もう、腹の底から熱くなる思いはどうしようもなかった。だが、拒絶されたくはない。ロゼリアの横に座ったアルギルは、優しくロゼリアの身体を引き寄せた。


 一瞬だけ大きな瞳を見開いたロゼリアは、アルギルの不安を吹き飛ばすように笑ったのである。それは…雪融けの山で初めて見つけた花のようだった。色づいた唇がゆっくりと開花していくさまは、アルギルの目を釘付けにする。

 

「…ミシェルさんは、大丈夫ですかぁ?」


 語尾があやしく、話す内容は色っぽいものではなかった。だが、ロゼリアの声は取り繕うことを忘れていた。


 「心配ない」と、アルギルが答えれば、本来の柔らかな優しい声で「ドラグは〜?」と、相変わらず役目を忘れようとしない。


「…おまえは何も気にするな」


「そんなの、無理でしょぉー?」


「…わかってる。それでも…今は、眠ってくれ」


 抱きしめてわかるロゼリアの華奢な身体。心は虚勢を張りつづけ、緊張の連続で身体の疲れは限界に近いはずだ。


 頼むから…少し休んで欲しい。

 

 そして今度は、ゆっくりと優しくロゼリアを胸に抱く。怖がらせないように、大切に、優しく抱きしめた。


 拒絶できたはずなのに、ふっと力を抜いたロゼリアは、トク、トク…というアルギルの鼓動を直接耳から聞いたのである。一定ではあるがかなり早い。


 アルギルも…緊張しているの?

  

 城の外は相変わらず風が強い。しかしルーゼル城はとても静かだった。戦の恐怖はみなが感じているだろう。それでも、夜は誰もが身体を休める時間。


 今夜は、家族や恋人と離れがたい時間を過ごす者も多いはずだ。限りある命と知ってしまえば、熱く燃えつきるまで互いのぬくもりを深く深く感じたい。ただ、失いたくないと願って…。


 力を抜いて、アルギルに身体を預けていたロゼリアは、よく回らない頭でも、なぜアルギルはこんなに優しくしてくれるのだろう…と考えていた。


 私が…兄さんでないと、気づいているのでしょう? 


 本当はエルトサラの王女…そう見られることに臆病になっているロゼリアは、自分から確かめる勇気はない。


 …アルギルの手は、兄さんみたいね。ロキセルト兄さん。


 アルギルの優しさを、まるでロキセルトのようだと感じた。優しく頭を撫でる手も、大きくて安心するのだ。いつのまにか、暖かなぬくもりに守られている安心感は、ロゼリアをゆっくりと穏やかな眠りの世界につれていったのである。


 規則正しい寝息を胸で感じたアルギルは、ロゼリアを自分のベットに運んだ。

 

「ん…」


 少しだけ瞼をふるわせたロゼリアは、ベットの柔らかい感触を確かめると安心したように再び深い眠りにつく。

 瞼を閉じていても、冴えわたる美しさ。それなのに、自分の姿にはまったくもって無関心。

 大切に思う気持ちが恋だと知れば、エルトサラの王子として胸を張る姿も、困ったように眉を寄せる顔も、さっきみたいに笑う笑顔も、全てが愛おしくてたまらない。


「俺が側にいるから。誰にも、おまえに触れさせないから…」


 すくい上げたロゼリアの金の髪に口づけする。


 アルギルの誓いに返事をしないロゼリアは、胸をゆっくりと上下させていた。その胸に、そっと手のひらをあててみる。

 生きているあかしを直接、ロゼリアの肌から知りたかった…というのは言い訳にもならないだろう。本来そこにあるはずの柔らかな膨らみを、見たい…確かめたい…と思うのは男の性。無理矢理押さえつけているのは気がついていたのだ。


 今、ここには…アルギルしかいない。王子の部屋に、王子の許可無く扉を開くものもいない。


「…俺しか、いないなら」


 迷いはあったが、手は止まらなかった。

 

 

 

 

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