第92話 本気で閉じ込めてしまいそうで怖い

 カーテンの隙間からさした朝の陽射しで目を覚ましたアルギルは、そっとベッドから起き上がった。


 アルギルの見つめる先には、光を編上たような金色の髪の娘が、穏やかな寝息をたてて眠っている。


「…愛おしいな」


 ほんの小さな呟き。


 思わず、金色の髪をすくい上げて胸いっぱいにロゼリアの匂いで身体を満たせば、昨夜…何度も、何度も繰り返し聞いたロゼリアの甘い声を思い出して、やっとのことで自分の熱を抑え込んだ身体に再び火がつき、知らず知らずのうちにため息が出た。


「…わかってないんだろ?」


 …俺がこんなに、守りたいと思っていることを。


 『好き』が抑えきれなくなる気持ちが『愛』なのだと思っていた。だが、違う。


 ロゼリアのふとした表情や仕草に、アルギルの心臓は、圧迫されているのではないかと感じるほど締め付けられる。


 昨夜だって…キスだけのつもりだった。どれだけ自分がロゼリアを大切に思っているのか伝われば…それでいいと思っていたはずだ。

 だが、素顔をさらけ出して怒る言動や彼女の顔は、駆け引きで笑う凛々しさとは違い、あまりにも無垢で可愛く、アルギルの心をかき乱した。


 強く美しい王女の雰囲気を楽しむ男もいるだろう。だが、やっぱりロゼリアの根本は、素直でバカみたいにお人好し。

 嬉しい、悲しいの喜怒哀楽が王家の娘とは思えないくらい自由で、自分の姿には無頓着。それなのに、自分以外の命は自分を犠牲にしてでも惜しむ。 


 …そんな女、おまえ以外にいるか?


 幼い時に出会ったロゼリアは、王家の息子として厳格に育てられたアルギルには眩しいほど自由で、可愛かった。そしてロゼリアは、今も昔も何も変わらない。


 とにかく可愛いくて大事にしたくなる。

 それが『愛おしい』という感情なのだとアルギルも初めて知ったのだ。

 

 「本気で…おまえを閉じ込めてしまいそうで怖いな」 

 

 もう一度、大きく息を吐いて自分の熱をやり過ごしたアルギルは、ロゼリアを起こさないように、そっとベッドから抜け出した。

 身支度を整え、いつものようにサーベルを腰にさし、ロゼリアの頬に優しいキスを落として部屋から出て行く。


 男爵家をあとにしたその後ろ姿は、一国の王に相応しく堂々たるもの。

 長くアルギルを支えていたジョナサンでさえ、前国王を彷彿とさせる自信と固い決意を感じさせたのである。



 *  *  *



 山々の緑が、いっそう眩しく感じさせる太陽が登り始めると、ルーゼルにもようやく夏が近づいてきたのだと思える季節に入った。


 だがルーゼルは、山々に囲まれた盆地に王都を構えた領土。自然に守られた城塞とは聞こえはいいが、遥か彼方まで赤土の台地が広がり、冬は雪が積もるのに、夏は炎天下で農作地が干上がるほど暑い。ある意味、今が一番過ごしやすい季節なのだろう。


 しかし相変わらず風は強く、舞い上がった赤土は、大事な書類の整理をしていたジョナサンの仕事を煩わせていた。それでも気持ちは幾分明るい。


 ファウスト男爵家からルーゼル城に戻ってからというもの、ジョナサンは寝る暇もないほど準備に追われていた。それがやっと今日で終わる。


 明日からは、また違った意味で忙しい日々が待っているのだが。


 ジョナサンが城に戻ったあとも、第一部隊の何人かは男爵家の護衛を続けていた。しかし、ロゼリアが起き上がれるようになれば護衛などは、ほぼ必要ない。

 だいいちロゼリアの剣の腕は、騎士達の中でも勝負できる騎士は数えるほど…。そんな彼女を襲う夜盗はそういるわけもなく、街の自警団も目を光らせている中だからこそ、目下、ジョナサンは山積みされた任務に集中できたのだ。


「ようやく明日だな、おまえの戴冠式」


「ああ、ようやくだ」


 各国からの書簡を確認しながら、同じように確認作業に追われていたアルギルに声をかける。すると、ここ最近の苛立ちが嘘のように、落ち着いた声が返ってきて顔を上げた。


「おや、その顔は国王を継ぐというよりは、やっとロゼリア姫を婚約者として国民に紹介できるっていう顔だね」


 ニヤリと笑ったジョナサンは、今は部隊長としてではなく、友人としてアルギルを見る。


「色々あったが、おまえのおかげで早く準備できた。助かった」 


「まあね、おまえがファウスト男爵の家で『一ヶ月後に戴冠式を準備しろ』って言い放った時は、正直驚いたけどね」

 

「ああ。だが、他国がエルトサラに興味を持つ前に、エルトサラは保護された国なのだとひろめたかった。それにはルーゼルの王として、俺が民や他国に威厳を示さないといけない」


 実はこの一ヶ月の間に、アザマとエアロ、ルーゼルとの三カ国 協議で協定が結ばれていた。いや、ロゼリアも含めば四カ国になる。

 それぞれの国が互いを友好国として認めることに賛同した。周辺国へは強大な軍事力で互いの国境を強化し、国同士の作物を流通させる。そして一番の目的は、ロゼリアの国、エルトサラを保護する。


「やっぱりアザマには、捕虜の解放が効いたよね。それと、ネリージャの村を雪崩で押しつぶしていながら、実は全ての民は生きていましたっていうからくりかな?」


 最後の書簡に目を通し終えたジョナサンは、立ち上がると二つのグラスに酒を満たした。琥珀色の酒は、風にのって男二人の鼻をくすぐり自然と固まっていた肩の筋肉が緩む。


「ルーゼルの新国王と、新たな未来に」 


 ジョナサンがグラスを傾ける。一つのグラスを受けとったアルギルも静かに笑った。 


「…戦争で亡くなった、全ての命に」


 チン!


 澄んだグラスの反響音が心地よい。グイっと煽った二人は顔を見合わせて笑った。


「上手いな」 


「ああ、悪くないね」


 常に強いルーゼルの風が、この日ばかりは人々の労を労うように友情を深めた男二人の間を抜けて行く。


 さらにもう一息でグラスを空にしたのは、たった一ヶ月でここまでこぎつけたお互いへの賛美さんびだったのだろう。





次回『男が愛おしいと思う心理』を6月22日 土曜日に更新します。

どうぞよろしくお願いします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る