第93話 男が愛おしいと思う心理
空になったグラスをテーブルへ置いたジョナサンは、広げられていた地図をクルクルと丸め片付けを始めた。
忙しい毎日だったとはいえ、今日ばかりは早く身体を休め、明日に備えなければならない。
地図が完全に丸められた時点でふと思い出す。
「あーそういえば、ネリージャ村の民が生きているって知ったロゼリア姫が、エルトサラの国境沿いの村を提供したそうだね?」
「ああ。ロゼリアらしいが…まったく、どこまでお人好しなんだろうな」
変わり果てた故郷を目の前にした民に、寄り添えることができるのは、ロゼリアだけなのかもしれない。
同じように国を無くしたロゼリアは、二季節を巡って訪れたエルトサラの大地を、涙を流しながら静かに歩いた。
国を救えなかった悲しみは、計り知れない。それでも、一歩一歩踏みしめるように、ただ静かに歩いていた。
「きっと彼女は、おまえが民を惨殺する男じゃないって知って、嬉しかったんだと思うよ」
…そうだろうか?
確かに、ロゼリアは嬉しそうだった。だが、あれはジョナサンの作戦なのだ。
「…俺はロゼが助かればそれで良かった」
「はは。ほんとおまえは、ロゼリア姫以外は眼中にないよな」
当然だ…とばかりに真顔で見返すアルギルを見て、今更だったと肩をすくめる。女を寄せ付けないほど国の繁栄に力をそそいでいたこの男が、これほど一人の女を溺愛するとは思いもしなかった。
だが、相手がエルトサラの王女なら全てが納得してしまう。
「まったく…ルーゼルの国王になる男が、配下に向かってそれで良いのかと疑問をもつが、頼むから、王が色情におぼれないでくれよ?」
しかし、友人としてなら、ここは少しばかりからかってやりたくなるのが男同士。
「でもまあ、一晩一緒にいて何もできなかった男だと、国を治めるのも慎重になりすぎやしないかと心配になるんだけどね?」
とたんアルギルの眉が跳ね上がった。
「っ。なにも…じゃない」
「へー。じゃあ、どこまで?」
ジロリと睨まれてもその程度だ。
実はあの夜、扉の前にいたジョナサンは、全てを知っているのだ。アルギルが、ファウスト男爵家で一晩を過ごしたあの夜を。
「姫の護衛を仰せつかっている身としては、部屋の扉を守るのも警護のうちでね」
「…これから夜は、俺が守るからおまえはいい」
「そーお? でも、残念ながら、王の寝室を守る警備兵は必要だから、あの人のかわいいあんな声や、色っぽい声も、おまえだけのものにはできないと思うけど?」
「…聞いたら、殺す」
「ははは。分かった、分かった。まったく、そこまで思っていて良く最後までしなかったと思うよ」
ふてくされた顔も、自分の前だからだと知っていれば王としての威厳を問う気はさらさらない。
「まあ、それだけおまえが彼女を大事に思っているんだろう? 愛おしいと思う男の心理ってやつさ。男が愛おしいと感じる女は、どんなに欲しくても、相手の準備が出来るまでいくらでも待てれるもんさ」
「…おまえはそうかもしれないが、俺はそんな格好いいもんじゃない」
ロゼリアが眠ってしまわなければ、おそらくあのまま彼女の初を散らしていた。
「…まあ、この戴冠式でロゼリア姫の生存とおまえとの正式な婚約が民と各国に知らされる。エルトサラに新緑が生い茂る頃には、ルーゼルの王妃としてエルトサラを見守ってくれるさ」
しかし、婚約はロゼリアの同意を得ていない。お互い忙しく、あれ以来ろくに話ができないまま明日を迎えようとしている。それに…。
「エルトサラの近衛隊とマイロ隊長は、何て言うかな」
「エルトサラの復興は、マイロ隊長の願いだよ。大丈夫さ」
「…そうだな」
「まあ、ここまでこれば、あとはおまえの力量しだい。おまえはもう、ルーゼルの第一王子でなく国王になるんだから。そうだろ? アルギル陛下?」
ジョナサンは、アルギルがルーゼルの王になることを、ずっと望んでいた。しかし、全てが動き出したのは、やはりロゼリア姫がルーゼルに来てからなのだろう。
エルトサラは、アザマとエアロの裏切りによって落城した。そしてそれは、リュディアの砦での戦いに繋がり、この国の国王まで死なせてしまったのだ。さらに最悪な事柄は続き、ロゼリア姫までアザマに連れて行かれてしまうという失態。
だが、結局はロゼリアが自らの力で道を切り開きルーゼルへと帰ってきた。ジョナサン達のした事は、本当に些細なこと。
生死の縁にいたミシェルだって、結局はロゼリアが助けたのだ。ミシェルの言葉で、全てがミシェルの母親であり、前国王の姉、クロエ=ヴァンカルチアの企みだと暴かれた。
証拠は、クロエがアザマの密会相手に送った手紙。
「…まさか、アザマ城を立ち去る時、ザナ王が投げてきた筒が、その証拠となる手紙だったとはな」
「ザナ王にも、おまえやロゼリア姫に会って、思うところがあったのだろう」
「…わからんな。だがミシェルは、やはりドラグにおそわれていた。ドラグが父の死に関わっていないことだけは…救いだったな」
「ああ、そうだね。ミシェルも、自分の今までの悪女を反省し、侯爵を剥奪された父親と二人で田舎街へと送られている。今は心を入れ替え、国境の辺境地で傷の手当を受けながら、その街の医療を手伝っているそうだ」
コーネル王は、この戦で英雄死を遂げたとして国民に納得させ、王暗殺の首謀者であるクロエは、明日、誰の立ち合いもないままひっそりと処刑させられる。
「…全てが終わったんだよな」
「ああ、終わった。…陛下、覚悟はできておいでか?」
新しい未来のために、この国も、隣国の国々も動き出そうとしている。
全ては、各国の王と、その隣で同じ未来を見るロゼリアの手腕にかかっているのだ。
「ああ、覚悟はできているさ」
力強く頷いたアルギルは、戦友であり親友でもある参謀の顔を見る。
「おまえはどうだ? 切れ者と噂されるルーゼルの部隊長、ジョナサン?」
「…そうだなー。命を捧げるって誓うと、未来の王妃様に怒られそうだから…」
ジョナサンは、自分の胸に手を置いた。
「我々ルーゼルの騎士は、アルギル陛下と麗しき王妃様のために、全身全霊をかけて騎士としての任務を全うすることを誓うよ」
その誓いは、生涯破られることはないだろう。
* * *
次回『戴冠式 妻と呼べる幸せを俺にくれ』
どうぞよろしくお願いします。
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