第20話 王子はロゼリア姫?

 もう、遅いのである。

 マイロは、気づいている。そして、ロゼリアも。


「…その抜け道を教えたのは、ここに来る途中、エルトサラの民をエアロの騎士に預けた、私なんです」


「ひぃぃ!」


 男が血相を変えて逃げだそうと、じたばたし始めた。ロゼリアの剣は男の首筋から動かない。ぷつり…と、男の首筋から赤い血が滲み出て流れた。


「そうなんですか…。私が城からの抜け道を教えたせいで…退路も断たれたのですね。エアロは何人の兵を投入したのですか? 百ですか? 二百ですか? いや…あの抜け道をそんなに大勢で通ることは不可能ですので、せいぜい十数人。それでも、ほとんどの騎士が城門付近で戦っているでしょうから…目的は、国王の暗殺なのでしょう」


 誰一人、声が出ない。息をするのも忘れてロゼリアの一言一句に恐怖する。


 この、裏切り者の男を見れば…、ロゼリアの言葉は正しいのだ。


「ひぃぃっ。お、俺は、何も知らねえ! 何も知らされてねぇんだ!!」


「そうでしょうね…」


 ロゼリアの声は、どこまでも静かだ。


「私達がエアロに預けた民は、どうしたのですか? ああ…。おそらく、生きてはいないのでしょう。小さな子供も、未婚の娘もいました。どのような気持ちで、無力な女子供を殺すのですか?」


「ひっ。ひぃー! 俺は、何も知らねえ! 本当だ! た、助けてくれ!!」 


「あなたに殺された人達は、あなたのような命乞いをしたのでしょうか?」


 じわじわと押し寄せる激情に、誰もが男の死を覚悟する。殺されて当然なのだ。しかしその時…。


「ロキセルト!」


 ロゼリアの握っている剣ごと、強く掴んだのはアルギルだった。


「もう、いい…」


「私のせいで…」

 

「もう、いい!」

 

 ロゼリアにアルギルの声は届いていない。


「私が、エルトサラを…」


「もう、いいと言ってるんだ!」


 アルギルが声を荒げた。それでも、ロゼリアは男から目を離さない。


「俺を見ろ。おい、俺を見ろ! 俺を見るんだ、ロキセルト!」


「…あ」


 夢から覚めたようなロゼリアが、アルギルと広間を見渡す。まるで崖っぷちにたった子鹿のようだ。


 誰もが…危なっかしくて、見ていれないのである。

 自分をなげうつ覚悟をしたロゼリアは、今、この瞬間だけを生きようとしている。その姿はあまりにも儚いのだ。


 だが、近衛隊とマイロにとっては、ロゼリアは生きる希望なのである。マイロも動いた。そっとロゼリアに触れて、剣を渡すよう促す。


「…あとは、俺達で聞き出します」


「……もう、何もないと思いますよ?」


 ロゼリアの無表情の下には、煮えくり返る怒りと、悲痛な悲しみが激流の如くぶつかりあっているのだろう。

 

「それでも、知っている全てをはかせます」


 もし、望みがあるとすれば…生き残った者で籠城しているはずである。

 今は、この男にかまっている時間さえ惜しいのだ。


 一瞬だけ泣き出しそうな顔をしたロゼリアは、マイロに頷いて剣を返した。とたんバッと立ち上がった男を、リンクスを含めたルーゼルの騎士達で押さえつける。


「国王陛下!! アルギル王子! エルトサラの騎士達に、国に還る許可を与えてやって下さい!」


 それはリンクスがあげた声だった。まるでその言葉は波紋のように他のルーゼルの騎士達にも伝わる。 


「エルトサラの騎士に誇りを!」

「俺達が、その分最前線で戦います!」

「彼等を、自分の国を救えなかった騎士にしないでやってくれ!」

「俺達が、必ずエルトサラの敵をうってやるから!」

「そうだ! 死んでも戦い抜いてやる!!」


 リンクス達の気持ちは嬉しい。しかし、ロゼリアの頭は、疲れ切っていた。


 近衛隊五十五人で、いったい何ができるというのか…。死に急いで、それが誇りだと言うのだろうか…。

 

 それでも、生き残った民を導いていくのが、王家の役目であり、ロゼリアが国王から託された役目なのだ。


「もっと、違う役目が欲しかった…」


 ロゼリアの金の髪が揺れた。ポツリと呟いたロゼリアに、マイロは何を返してやればいいのか迷う。

 マイロや近衛隊にも、エルトサラの王女であるロゼリアを守り抜く役目があるからだ。


 それはエルトサラを出る前、近衛隊が王と接見した時のこと。


『私や国に…何かあれば、我が娘は生き残った民達の希望になるだろう。あの緑の瞳を見れば、このエルトサラがどんな国だったのか思い出せる。命ある限り、この大地に愛されたあの子を守り抜いて欲しい…』


 まさか、王はエルトサラが攻め込まれるとわかっていてロゼリアをルーゼルへ送ったのだろうか? それでも…。


「…。国を滅ぼされた俺達が、今、どれほどの絶望にうちのめされていても、泣き崩れている暇はないのですよ」


「わかってる…。だから、私は死ぬことも許されない。でも、考えてしまうのです。どうして私の家族は、私をルーゼルへ送ったのか? なぜ、父や母、はエルトサラに残ったのに、私はエルトサラにいないのか? どうして? なぜ私は!? 家族と一緒に逝ってはいけなかったのですか!?」


 はじめてあげたロゼリアの悲痛な声に、すすり泣き出す騎士もいる。肩をふるわせ、思い出すのは幸せであった何気ない毎日だろう。


 いつの間にか夜が明けていた。城に朝の光がさしこむ。ルーゼルの太陽は温かくない。それでも、ロゼリアの悲壮感を慰めるように彼女の金の髪を照らすのだ。


 アルギルは、一縷の希望を見出そうと考えていた。ルーゼルはエルトサラの同盟国だ。だが、ルーゼルの王子である自分が興味本位に、エルトサラの落城を口にしていいわけはない。 

 それでも、何かしなければ…と、心が叫ぶのである。身体は、どうしようもなくロキセルトの絶望に感化されて激情に奮い上がるのだ。


 そう。気づけば…夜が明けている。窓からの朝日が金色の髪に透き通る。その瞬間、ドク…と、アルギルの心臓が跳ねたのだ。身体中の血が沸騰したように熱くなり、まるで記憶を巻き戻すようにフラッシュバックする。そしてやっと納得したのだ。

 

 ああ、やはり、間違いない…。あそこにいるのは、ロキセルトではない。あの光を編み上げたような金の髪と緑の瞳は、ロゼリアだ。エルトサラの国王夫妻と、民と大地に愛された王女、ロゼリア姫だ。


 アルギルは、十数年ぶりに会ったロゼリアの美しさに驚いたのだ。そして、嫉妬した。だが、嫉妬していたのはロゼリアにではなく、彼女を守る近衛隊にだった。


 そうか…。

 俺は、彼女を守りたかったのだな。ロゼリアと会ったあの日から…。

 小さな…小さなロゼリアと、あの緑の城で出会ったあの日から。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る