第27話 意味に心を。②

 アリスの切羽詰まった声を耳にしても、シェリーは振り返らない。彼女は地面を爪先で軽く一蹴りすると、ぽーんと宙を舞った。

 普通ならば、背後からの警告に反射的に振り向くだろう。

 しかしそれすらせずにシェリーが真っ先に回避行動を取ったのは、彼女がアリスへ全幅の信頼を寄せているという証拠に他ならない。



 重力を感じさせないそれにフィールドのアリス達も、見学しているクラスメイト達も、時が止まったようにシェリーが描く軌跡を目で追っていた。

 動けたのは、この場を支配したシェリーただ一人。



 宙を舞うシェリーの紅玉の瞳が、目下のソフィアへと向けられる。するとソフィアの足元に一つ、二つと魔法陣が展開した。

 彼女の逃げ道を塞ぐように両の手で足りる程の魔法陣が現れると、一斉に目映い光を放つ。

 ソフィアは魔法陣の迷宮からの脱出に失敗し、回避から一転して防御魔法を発動した。彼女の防御魔法が完成するのと、シェリーが発動した魔法陣から白亜の石柱が出現したのは、ほぼ同時だった。


 ソフィアの防壁に、石柱が次々と打ち付けられた。破壊までには至らないものの、大小様々な罅が防壁を飾り付ける。

 石柱の一本に、シェリーが音もなく降り立った。彼女の計算され尽くした動きに、アリスは未だ動けずにいた。

 アリスからはシェリーの背中しか見えないが、白亜の石柱の上に静かに立つ彼女はどこか神々しさすら感じられ、まるで神の遣いのようだ。


 シェリーの右腕が空を掻くように、ゆらりと伸ばされる。


 ――魔法を使う。


 そう確信するが、場の空気に呑まれたアリスには補助魔法の詠唱一節、一単語すら頭に浮かばない。




「『水よ穿て! 蹂躙せしめよ!!』」




 突如響いた水属性の魔法の詠唱に、止まっていた時間が動き出すような感覚を覚える。

 しかしそれ以上に、この声の主に対する驚きが上回った。


 アリスの視線の先には、使用する魔力量を誤ったか、肩で息をするミリセントの姿があった。


 アリスの視界の隅で、ミリセントのチームメイトであるソフィアまでもが驚いた顔をしていた。

 確かにミリセントの持つ木属性は、魔法属性を六角形で表した場合隣合う水、光属性は才能や努力次第で七割程度は使いこなせるようになる。

 だが彼女はこれまで、主属性である木属性以外を用いたことはない。



 しかし、ミリセントは主属性に比べ遥かに扱いが難しい他属性の魔法を、この短期間で物にしたのだ。



 フィールドの外では、レイチェルが真剣な眼差しで試合を見守っていた。

 アリスとレイチェルの視線が交錯すると、彼女は不敵に口の端を吊り上げる。ミリセントに水属性の魔法を教授したのが誰か、アリスは瞬時に理解した。



 ミリセントが放った水の鞭は、石柱を次々に破壊していく。

 シェリーは水属性の魔法を使用しているミリセントに目を見張っていたが、足場にしている石柱をも破壊されると、直ぐに表情を引き締めた。

 シェリーの身体がぐらりと空中で傾ぎ、投げ出される。アリスはあっと息を呑んだ。

 しかしシェリーはこちらの心配など余所に危なげなく宙で身軽に一回転し、地面へ軽やかに降り立った。



 眼前の脅威シェリーを一先ず無力化したミリセントは、荒い息を整える間もなく木属性の魔法の詠唱を開始した。

 エミルが彼女の詠唱を妨害しようと光線にも似た属性魔法を放つが、ソフィアの防御魔法により弾かれてしまう。



 ――そして、ミリセントの魔法は成った。



 シルヴェニティア魔法学院の生徒、マリー・エリミールとアメジスト寮の千梨・フォン・フェルトの親善試合を思い起こさせる大樹が、演習場の中心に絶対的な存在感を持って聳え立つ。



「――『新緑よ、切り裂け!』」



 アリスは防御魔法を展開した。咄嗟のことで、エミルやシェリーを気遣う余裕もなかった。

 大樹が身を震わせるようにして落とした大量の葉が、アリス達に降り注ぐ。刃物のように鋭い切れ味と化した葉の一枚一枚が、防壁すらも切り裂いた。

 襲い掛かる大量の葉で視界不良の中、アリスはチームメイト二人の姿を探す。

 二人共、思った以上に近くにいた。さすがにあれ程の魔法を展開されれば、後退せざるを得なかったのだろう。


 フィールドに、魔法を詠唱する凛とした声が響く。この声はソフィア・フィリスだ。彼女の詠唱が進むにつれて、眩い光がどんどん広がっていることに気付いた。


 注意を促そうと口を開きかけるが、コニー・ブラウンがそれを遮るように、枝や根を四肢の如く扱う人型の木々を出現させた。

 木々の動きは、やけに素早く活発だ。疑問に思う前に、彼等はその太い枝を振りかぶる。

 重い一撃が、アリスの防御魔法を襲った。ミシミシと、防壁が軋む嫌な音がした。


 ……コニーは、ここまで強かっただろうか?


 焦燥感を覚えつつ、何とか突破口を見つけ出そうと前を見据えた。

 その時。アリスの視界の隅を、目に捉えられない程の速さで何かが過る。



「……痛っ!」



 絶え間なく襲い掛かる、ミリセントの魔法。

 その葉の一枚が防壁を突き破り、アリスの手に傷を付けていた。

 矢張、勘違いなどではない。ミリセント、コニーの攻撃の威力が増している。



「――ソフィア・フィリスだな。光属性の魔法の中に植物の成長や、木属性の魔法を助ける作用のある魔法があったはずだ」



「そんな魔法があるんだ……」



「お前な……最近、ネロ先生の薬草学で勉強したばかりだろ」



 エミルが呆れを含んだ口調で言った。

 彼はこの襲い来る鋭い葉の乱舞にも一切動じることなく、アリスの物とは違って頑強な防壁の中で泰然と立っている。

 自信に満ち溢れた立ち姿はアリスが一生掛かってもなれないものに違いなく、こんな状況ながらも感心した。



「……手がないことも、ない」



 アリスとエミルのやり取りを黙って聞いていたシェリーが、ぽつりと洩らす。どこか躊躇う様子のそれに、アリスは珍しいなと首を傾げた。


 シェリーは、アリスから少し離れた位置で片膝を突いていた。

 その頭上を、魔物の腕が傘のように覆っている。

 黒々とした魔物の腕は巨大で、人二人位ならば片手で纏めて捻り潰すこともできそうだ。



「――魔力を抑えられている身で、一体何をするつもりだ」



「無茶は駄目だよ、シェリーちゃん!」



 エミルの鋭い声と、アリスの叱責が重なった。

 シェリーが怒られた子供のように肩を竦め、しかし強い口調で言った。



「今は、これしか手が思い浮かばない。ならオレは、自分に出来ることをする――勝つんだろ?」



 それを言われてしまうと、アリスは引き下がるしかない。

 相変わらずぎこちない笑みを浮かべるシェリーに、逡巡したエミルが「……分かった」と苦々しく頷く。


 シェリーは魔物の腕を消し、防御魔法に切り替えた。彼女はゆっくりと立ち上がり、滑らかに詠唱を始める。

 シェリーの詠唱の傍ら、エミルの空色の瞳が力強くアリスを射抜く。



「ウィンティーラ。クランチェの詠唱が終わり次第、ボクも出るからな」



 アリスも、強く頷き返した。

 防壁の外ではコニーの木属性の魔法、人型の木々が枝葉を振るっていた。

 それはソフィアの光属性の魔法の助力を受け、攻撃の手が衰える気配はない。


 だが一瞬、その動きが鈍った。


 太陽が雲に隠れるように足元が陰り、アリスは防壁越しに空を仰ぎ見る。



 ソフィアの属性魔法を、闇が覆い始めていた。

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